美観地区と言う名称が正式に使われたのは、昭和44年と言われ、そんなに古い時代ではありません。しかしながら今では、美観地区と言えば倉敷を連想するほど、この呼び方は定着しています。
倉敷川を中心とした地域は、古くから田地の開発が行われて来ました。慶長5年(1600年)、松山藩の港として、物資輸送の中心的な港となります。その後、江戸時代初期となる寛永19年(1642年)になると、江戸幕府の直轄地として倉敷代官所がこの地に設けられるのです。これにより幕府の正式な保護を受けることで、この一帯は大きく栄えて行くことになります。
昔のままの風景の中に自分が立つことが出来る場所、それが本町です。この通りは倉敷と早島を結ぶ街道として、古くから人々の往来があった場所です。今でも残されている格子戸の宿、造り酒屋の杉玉、神社への参道と、さすが美観地区と言わざるを得ません。
また、町並みだけではなく、美観地区内の鶴形山にある阿智神社も美しき場所です。こちらでは宗像三女神を祀り、中世になると仏教と習合した歴史を有しています。
こちらにある岡山県の天然記念物「阿知の藤」はアケボノフジという珍種で、樹齢は300年から500年という古木でありながら、今でも美しい花を咲かせています。こちらは、小高い場所となりますので、あまり暗くならないうちに参拝、観光を済ませておきましょう。
倉敷川は13.6kmになる河川です。倉敷美観地区から岡山市南区の児島湖まで流れています。ここで有名なのは柳の並木。優しい風に揺れる柳は、日本の美しさを改めて感じさせてくれることでしょう。
夕暮れとなり、赤く染まっていく空。水面に映える朱色。川の両側に柳。街灯や建物の温もり。この中に涼しい風を受けながら立っていると、時間の流れが止まってほしい、そう思ってしまうかも知れません。
白壁や格子窓がある町並みは、日本らしき美しさに満ち溢れています。美観地区は辺り前に人々が生活している空間であり、歴史と伝統、そして現代の芸術もが一緒になる独特の世界観が混在する場所なのです。
小さな路地も多くあります。道の様々な場所から、人々の息使いが聞こえてくるようです。
観光客が少ない時間帯に静かな空間を歩いていると、もし、ここに現代の灯りが無かったら、もはや江戸時代と感じてしまうかも知れません。それだけ美しくも静かな時間を過ごすことが出来るはずです。
ところで、この辺りはいくつかの飲食店も開いています。美味しい焼き鳥のにおいに誘われてみるのは如何でしょうか。焼き鳥だけではなく、有名な倉敷ラーメンや小豆島ラーメンのお店もあり、こちらではぜひとも、食べ物を含めて楽しむことをお勧めします。
もちろん、美観地区の中に宿泊場所を確保しておけば、時間を心配することなく楽しむことが出来ます。
美観地区の中で倉敷公民館付近も、古い街並みが残り美しい場所となっています。また、すぐ近くの観龍寺山門の左側にある小門には、幕末に槍で付けられた傷が残されていますが、お寺のある高台から見下ろす夕暮れの町並みも美しいものがあります。これを機会にぜひ、足を運んでみて下さい。
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(2024/4/23更新)
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