JR弘前駅から西へ1kmちょっと、こんもりとした樹々とお堀が見えてきます。城郭への入り口は何か所かありますが、やはり大手門口から入城しましょう。左手に弘前市立観光館の大きな建物が見えると、右手に大手門口があります。この市立観光館も弘前市内の様々な観光に関する情報を発信しており、お車の方はここの地下駐車場(有料)を利用すると便利です。
大手門口を入ると追手門、少し紛らわしい門の名前ですが、意味としては一緒で正面入り口の事です。”追っ手を掛ける”という意味が含まれているのが追手門で、少し古い言い方になります。一階の門が上に高くなっているのは、槍を掲げたままでも入門できるように配慮したと云われています。
お城には山の上にある「山城」と丘もしくは小高い山にあるのが「平山城」、そして平地にある「平城」と分かれますが、この弘前城は微高地にある「平山城」と分類されます。でも歩いても段差や階段は気になりません。
この赤い橋は、天守と重なった風景が有名な下乗橋ではなく「杉の大橋」と云います。名前の由来は敵が攻めてきた際には、すぐに燃える材質という事で「杉」が選ばれたからです。江戸時代後期には檜に変えられ、タマネギに似た「擬宝珠」も付き、橋としての格式も高められました。
この杉の大橋がある弘前公園内には、南内門や市立博物館・市民会館などがあります。この後は二の丸巽櫓を右手に見て、孕んだ石垣と天守を目指します。
道は広く舗装されているので歩き易くなっています。お堀沿いに歩いて行くと桜並木や石垣が目に入ってきます。少し振り返ると、木の枝の隙間に東内門が見え隠れしています。東内門は現存門と言って江戸時代に造られたものがそのまま残っている貴重な城門です。
もう少し行くと写真にあるように、天守が元あった場所の石垣が少し膨らんでいるのが分かります。これは主に水圧によって石垣が少しずつ前へと押し出されてしまう(経年劣化もあります)現象です。このまま放置しておくと、上にあった天守代りの御三階櫓が崩落してしまいます。この弘前城の石垣みたいになったら、工事が必要になります。実は石垣修復工事がもうすぐ必要になるお城が、全国には結構あるんです。
何度も御三階櫓をみている方はもちろんの事、初めて見た人も拍子抜けしてしまいます。むしろ貴重な経験が出来ると言った方がいいかもしれません!何でもそうですが、有るべきところにあるものがないと、違和感を感じます。また跡地を見るとこんなに狭い処に、天守代りの御三階櫓が建っていたのかと驚きがあります。
でももっと驚くことがあります!弘前城は1699年に完成しましたが、その約200年後に石垣の崩落が起り、今回と同じく天守の曳屋と石垣の修築が1897年から行われました。最終的に修築が終わったのは1915年になったと云われています。
今回の石垣修築工事予定は10年間だそうです。その間も時々修築中の姿を見せる仕掛けもあるそうなので、時々訪れながら気長に待ちましょう。
曳屋された御三階櫓は、やっぱり見た目には落ち着きません!私たちも家を建て直す際には仮住まいに引っ越します。同じ引っ越しでもそこが次の住まいなら、馴染むのもきっと早くなります。お城も一緒なんでしょう、早く元の場所に帰りたいと言っているような気がします。
弘前市は曳屋の最中も、御三階櫓の中を見学できるように対応してくれています。仮の展望台も作って観光客を楽しませてくれます。観光客の人たちもたくさん来ていますが、皆さんの反応は「見栄えがいい」とか「なんか落ち着かないよぉ」などなどマチマチです。
やっぱり人それぞれに違う反応が面白いですね。皆さんもご自分の目で曳屋された御三階櫓と孕んだ石垣、その修築中の姿を実際に見てみましょう!むしろお城の本当の姿が見えてくるかもしれません。
今回はご紹介できませんでしたが、やはり桜の時期は「桜のトンネル」を歩いてみる(大混雑していますが)のがお勧めです。樹木にも「アイグロマツ」「ツルマサキ」など珍しい樹々があります。また最古のソメイヨシノがあることでも知られています。
天守の奥側には昔道場だった「武徳殿」があり、様々な種類のお土産が売られています。城郭外の北東側には「ねぶた村」があり、毎日定期的に津軽三味線ライブが行われています。またリンクを貼った「弘前公園」の中の再発見MAPは、細か過ぎる位見所を教えてくれます。
津軽家は関ケ原の合戦の折り、嫡男信建は大坂城に籠り、当主為信と三男信枚は徳川方に味方したため、東西両軍のどちらが勝っても津軽家は生き残れるという、2016年の大河ドラマ「真田丸」の真田家と同じ戦略策を取りました。
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(2024/4/19更新)
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