写真:今村 裕紀
地図を見る「山王くらぶ」は、明治28年に、当時は「宇八樓」という名前で開業した料亭です。写真からも覗えるように、扇子を模した明り取りや格子戸などの料亭としての工夫が随所に見られ、豪勢な感じを醸し出しています。竹下夢二が酒田を訪れた際には、何度も足を運んだことでも有名です。
その後、戦後間もなく「山王くらぶ」と名を改めて再開業し、平成11年に、その役割を終えました。平成15年には料亭建築の貴重な遺構として、国の登録有形文化財に登録されています。その後、酒田市に寄贈され、平成20年に酒田の料亭文化、歴史などを広くご紹介する施設、新「山王くらぶ」として生まれ変わりました。
写真:今村 裕紀
地図を見る「山王くらぶ」の2階の大広間は40畳ほどあり、「傘福の間」になっています。「傘福」とは、江戸時代から酒田に伝わる「つるし飾り」のひとつで、子孫繁栄や子供の幸せを願って神社仏閣に奉納されたもの。天蓋幕を張った番傘に、着物の切れ端などで作った人形、農作物や動植物などを吊るして、色とりどりに飾ったものです。
近年失われつつある風習を復活させようと地元の女性の方々が伝承に努めています。現在は、「山王くらぶ」で主に作成、展示されています。この「傘福」は、「福岡柳川のさげもん」、「伊豆稲取の雛のつるし飾り」とともに“三大つるし飾り”と呼ばれています。
写真:今村 裕紀
地図を見る2階には「傘福体験工房」が併設されていて、まさにこの横で、ご婦人方が作成されている様子も見られます。部屋中に吊るされた傘福は、まさに圧巻です。
この「傘福」の「つるし飾り」には、それぞれに意味が込められています。昔は食べ物にも苦労し、赤ちゃんも育にくい環境にありました。だからこそ、女性たちは、子孫が繁栄しますようにと、一針一針心を込めて縫いあげた細工物を、神社仏閣に奉納したのです。
子供の形をした「さるっ子」は、災いや病が「去る」という魔除けの力を信じ、「ねずみ」は子だくさんであることから子孫繁栄を願い、つつまれたような形の「おくるみ人形」は、子供の健やかな成長の意味が込められています。さらなる飛躍を願う「うさぎ」なども。それ以外にも、傘福には「宝づくし」と呼ばれる商売繁盛を願ったものもあり、「宝船」や「瓢箪」などが吊るされたものもあります。
写真:今村 裕紀
地図を見る「山王くらぶ」の1階では、料亭であった各部屋の当時の意匠にそのまま触れることが出来ます。それとともに、それぞれの部屋では、テーマごとに設定された酒田の歴史、文化を知ることが出来る展示がされています。
写真は「寺社めぐりの間」と呼ばれる部屋で、北前船貿易で、常に難破などのリスクにさらされていた酒田商人には、信仰心が篤い人が多く、寺社への寄進に熱心であったことを表しています。障子やガラス窓に非常に凝った桟が見受けられます。各部屋では、とりわけ「床の間」「組子入建具」「襖の引き手」などが、手の込んだしつらいになっています。
写真:今村 裕紀
地図を見る「北前船の間」。この障子の桟の凝った意匠は、「変形上下猫魔障子」というもので、四間の障子八枚の中央横に波打つような桟がしつらえられている、非常に珍しいものです。
また、竹下夢二が滞在時に愛用した部屋は「夢二の間」に。その他にも北前船交易で富をもたらした「酒田商人の間」、その商人たちが育んだ「料亭文化の間」、その賑わいによって全国から訪れた「文人墨客の間」というように、すべて異なる意匠の部屋で、酒田の歴史と文化に触れることが出来ます。
「山王くらぶ」の2階には、人形作家、辻村寿三郎氏の「辻村寿三郎の間」(創作の間)が設けられていて、「酒田の雛遊びと舞妓」と題して、氏の「雛人形」と「舞妓」、「花うさぎ」の人形が常設展示されています。酒田の地で、思いがけない氏の作品との出会い、ファンにとってはかなりの感激でしょう。
また1階には、横長の喫茶「宵待亭」が併設されていて、カウンター席から坪庭を眺めながら、ゆっくりと茶菓子を楽しむことが出来ます。
「山王くらぶ」で、あでやかな「つるし飾り」と往時の料亭の優れた建築様式に接して、ぜひ、酒田の今と昔を感じてみて下さい!
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(2024/3/28更新)
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