上杉鷹山公をもてなした宿!山形県南陽市「上杉の御湯御殿守」

上杉鷹山公をもてなした宿!山形県南陽市「上杉の御湯御殿守」

更新日:2016/06/29 09:44

山形県南陽市赤湯温泉は米沢盆地の北側にあり、寛治7年(1093年)に源義綱に発見されたと伝えられる温泉地。市街には農林水産省の「美しい日本のむら景観百選」に選ばれた、つや姫の圃場が広がっています。

古くから湯治場、奥羽街道の宿場町として栄えた赤湯温泉には、上杉家の殿様の入る御殿の湯を守ってきた宿があります。赤湯御殿を譲り受け、上杉家伝統のおもてなしを今も伝える宿、それが「上杉の御湯御殿守」です。

迎えてくれるのは、「お着き酒」と真空管が優しい音色のオーディオが奏でる「談話室」

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宿に着くと上杉家伝統のおもてなし「お着き酒」が迎えてくれます。上杉家では、お客を迎えた時お酒でおもてなしをしました。そのお酒は、室町時代に作られた「菩提もと」の復刻酒、清酒(すみさけ)の発祥といわれています。

洛中洛外図屏風と共に上杉謙信公の愛用した朱塗りの「春日杯」が展示され、「菩提もと」をこの杯でいただくこともできます。室町時代のお酒はスッキリとした後味、上杉家家紋の杯でお酒を飲み干すと上杉藩の武将になった気持ちになります。

談話室は真空管のオーディオから柔らかい音楽が流れています。コーヒーや紅茶のウェルカムドリンクを飲みながら、チェックインの手続きをします。図書コーナーのある談話室では無線LANが使用でき、夕食後のケーキと朝のモーニングコーヒーのサービスもしています。

御殿守は創業380年の宿!ラウンジには上杉家の歴史を伝える「時の倉」

御殿守は創業380年の宿!ラウンジには上杉家の歴史を伝える「時の倉」
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米沢は、伊達藩領から上杉藩領となり、赤湯温泉は殿様が入る箱湯となりました。「御殿守」は米沢上杉藩の第二代藩主の上杉定勝公の時代から、上杉家の別荘「赤湯御殿」として始まりました。「御殿守」とは赤城御殿の守番の役職名で明治時代に上杉家から譲り受け、創業380余年の歴史を刻んでいます。

米沢上杉藩主の中でも第9代藩主の上杉鷹山公は赤湯温泉を愛し多くの来駕の記録を残しています。ラウンジの「時の倉」には、川中島合戦のジオラマや、上杉鷹山公をはじめ、上杉謙信公や上杉景勝公、鷹山公の師・細井平州の書や掛軸が展示され、「赤湯御殿」の御殿守の歴史を展示しています。

北投石の露天岩風呂に、100トンの原石をくりぬいた日本一の大石風呂!お風呂も多彩!!

北投石の露天岩風呂に、100トンの原石をくりぬいた日本一の大石風呂!お風呂も多彩!!
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御殿守のお風呂は、東湯と西湯の2ヶ所あり、毎日男女が入れ替わるので、夜と朝で違うお風呂に入ることが出来ます。東湯には、内風呂の「東大浴場」をはじめ、北投石の露天岩風呂や、重さ100トン、縦5メートル、横4メートル、高さ5メートルの原石をくりぬいた日本一の大石風呂の「龍神の湯」、源泉100%の「枡風呂」、重さ40トンの大石をくりぬいた「原石風呂」など、5つのお風呂が楽しめます。

西湯は、内風呂の「西大浴場」に、北投石の「露天岩風呂」、東湯の大石風呂の石に川底で寄り添っていた石が、めぐりあわせで御殿守の湯船になった大石くりぬき風呂「原石風呂」や、青森ヒバの丸太をくりぬいた「青森ひば風呂」、100%源泉の「樽風呂」、北投石の「蒸し風呂」と、こちらは6つのお風呂があります。

御殿守の温質は、含硫黄―ナトリウム・カルシウムー塩化物泉、泉温は63度、浴用の効能は、切り傷、火傷、糖尿病、神経痛、五十肩、飲用の効用は、糖尿病や便秘などです。「北投石」は、世界でも、台湾と秋田県玉川温泉の2ヶ所から産出されないラジウム放射線を有する重唱石の一種で、現在では、特別天然記念物に指定され持ち出すことはできない貴重な石です。

この他に、有料の貸切風呂「御殿の湯」や、岩盤浴「ぬくもり」があり、入浴後は、休憩所の「壷中庵」や、酸素チャージャーが付いたマッサージ機のある「リラクゼーションルーム」、大型スクリーンで米沢の民話が楽しめる「民話の部屋」にはサイダーのサービスがあります。

米沢牛の石焼に山形牛のすき焼き!食材王国山形の食材が並ぶ夕食!!

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夕食は8室の個室がある食事処「赤湯八景」、かつて上杉鷹山公が赤湯の風景を画家に書かせ「舟泉八景」と名付けたのに因んだそうです。掘りごたつ席なのでゆっくりと食事を楽しむことが出来ます。

料理は、食材王国山形の旬を使った会席料理。食前酒の「梅酒」が食欲をそそります。「前菜」は、シイタケやニンジン、昆布、水菜の冷汁に、鰆の西京焼き、タコ足旨煮、鯉団子など8種類。「お刺身」は、マグロ、ホタテ、甘エビ、タイ。厚く切られた身は艶々と輝いています。

「煮物」は「カレイの旨煮」肌色のタケノコと赤いニンジン、緑のきぬさやが添えられ彩り鮮やかです。鍋物は「山形牛のすき焼き」豆腐、糸こんにゃく、白菜やマイタケが煮えたら、程よくサシが入ったお肉を入れ、溶き卵でいただきます。

「凌ぎ」の冷たい「めかぶ蕎麦」で口直しをする頃、「焼き物」の「米沢牛の石焼」霜降りのお肉が焼ける香りが室に広がります。肉と添えられたパプリカに焦げ目が付き、見るからにおいしそう。ニンニク醤油に付けて口に運ぶと、柔らかい肉がとろけてしまいます。

この後、「蒸し物」は、ウニの「茶碗蒸し」」、「揚物」は、アナゴ、ホタテ、蓮根などの天ぷら、「お汁」につや姫の「食事」、「デザート」と続きます。どの料理も旬の食材を生かし、山形の食材の豊富さが堪能できる夕食です。談話室では、夕食とは別にケーキが用意されているので、胃袋に自信のある方にお勧めします。

朝から食欲全開!20種類の食材と上杉家伝統の「かてもの料理」の朝食!!

朝から食欲全開!20種類の食材と上杉家伝統の「かてもの料理」の朝食!!
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朝食会場は1階の大宴会場。上杉家の家紋が入ったパーティションで宿泊者ごとが区切られているので、ゆっくりと朝食を味わうことが出来ます。主食はご飯とおかゆを選べ、中央の白い器に「かてものの由来」と書かれた小さなパンフレットがそえられています。

「かてもの」は、鷹山公が領民を飢饉から守るために保存食料として食べられるものを研究させ、その保存法から食べ方までをまとめた書です。約80種類の植物や肉、魚の貯蔵法を20年の歳月を掛け、赤湯御殿滞在中に完成させました。このため、米沢藩では、天保の大飢饉で1人の餓死者を出さなかったと伝えられています。

この日の「かてもの」は、「うど」と「かたくり」「くきたち」の3種類。「うど」は、食用とする若芽の後に伸びきった茎を利用したもので、クロロゲン酸、アスパラギン酸などを含んでいます。「かたくり」は、若葉、花、茎の全てが食用になり、便秘解消の漢方薬にもなっています。「くきたち」は、菜の花のとうが立ったものを干したもので、ビタミンDを含んでいます。煮付けた「かてもの」は味が凝縮され、出汁が程よく浸みてなかなかの美味です。

このほか、プチトマト、赤かぶ、ニンジンの「生野菜」に「ポテトサラダ」、主菜は「牛肉の時雨煮」「ニシンの昆布締め」「厚焼き玉子」「焼鮭」、蕨とゼンマイ、こんにゃくの「煮付」に、ご飯のお供に「甘お味噌」「からしきのこ」「のりの佃煮」「明太子」、大きな豆と粘り気が少ない「秘伝豆納豆」など物沢山。素朴な味わいの朝食にご飯が進みます。

「上杉の御湯御殿守」は明治天皇をはじめ、多くの政治家、財界人、文化人に選ばれた宿!!

「上杉の御湯御殿守」は寛政8年(1796)鷹山公から御殿守の初代が上杉家赤湯御殿の御殿守に命じられたのが始まりです。

赤湯御殿御来駕の記録には、鷹山公をはじめ定勝公や綱勝公、忠弘公の来駕の記録が残っています。その中でも鷹山公は赤湯温泉を愛し、数多くの来駕の記録が残こり、赤湯の風景を画家に書かせた「舟泉八景」は上杉神社に保存されています。

明治14年、明治天皇の東北巡幸で御殿守に宿泊されました。その他、多くの政治家や財界、文化人に御殿守が選ばれています。米沢牛と山形牛など、食材王国山形の旬を使った夕食と、藩主が領民を守る「かてもの」の心を伝える宿、それが「上杉の御湯御殿守」です。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/06/15−2016/06/16 訪問

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