山形県「長谷堂城」東の関が原で助け合った直江兼続と前田慶次!

山形県「長谷堂城」東の関が原で助け合った直江兼続と前田慶次!

更新日:2016/06/23 14:00

山形県長谷堂城は「東の関が原」と言われた慶長出羽合戦の主戦場です。山形城から南西方向に直線距離で約5km、東北新幹線蔵王駅西方の2本の国道が交わる辺りにあります。
石田三成と呼応して、徳川方に付いた最上勢を打ち破るべく戦い、関が原での西軍敗戦によって陣を引き払う中で、兼続と慶次は共に助け合いました。
二人が攻めても落城しなかった、猛将志村光安が守った長谷堂城は訪れる人も少ない、忘れられた城です。

強者どもの激戦の跡は消え、城も消えて遺構が残るだけの城

強者どもの激戦の跡は消え、城も消えて遺構が残るだけの城
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ここ長谷堂城を攻める(お城を見学する事を、攻める・やる、と言います)には、六本の登城道があります。今日はその中から八幡崎口からスタートします。

地図はサクランボ幼稚園を示していますが、この反対側が八幡崎駐車場になっています。この八幡崎駐車場は広くてトイレも完備されており、城のパンフレットと登城に便利なスキーのストックが数多く常備されています。城の本丸付近を下から見上げると、そんなに苦労しない道だろうと思ってしまいます。でも急な坂道が続き、ストックの有難味が身に沁みます。御足元に不安のある方は、是非ストックを借りて下さい。

登城ルートは他にも、観音坂口・大手門口・湯田口・西向口・御前清水口がありますが、降りた後に喉を潤せる果樹園の売店もある八幡崎口がお勧めです。

戦いの跡が窺える遺構が数多く残る、八幡崎口登城道

戦いの跡が窺える遺構が数多く残る、八幡崎口登城道

登り始めてしばらくは、きつい坂道が2〜300m続きます。規模は小さいですが、切岸と呼ばれる崖が所々に散見されます。曲がり角は虎口と呼ばれ、敵兵がすんなり進入できないように曲がりくねった工夫を凝らしています。
崩れてしまい規模感は不明ですが、他にも土塁跡も残っています。攻め寄せてくる直江兼続の知略に脅えながらも、ここを死に場所と決めた守り手の足軽たちの姿が見えてくるようです。

本丸近くには当時を再現した柵の防御、道を外さずに!

本丸近くには当時を再現した柵の防御、道を外さずに!
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本丸に近づくと道が曲がりくねり、歩きにくくなってきます。登る途中に幾つか見えた削平地が、不規則に連なっています。道を外れると草が生い茂り、恐らく崖下へと一直線に落ちてしまいそうです。崖の端に沿って柵が連なり、登ろうとする敵兵を妨げています。

初夏から晩秋には害獣対策を忘れてはいけません。熊鈴、ラジオ、甘くない飲料水、淡い色の帽子、ハンズフリーになるデイパックがおすすめです。もちろん怖がり過ぎる必要はありません。対策を怠らなければ大丈夫です。

本丸跡には城跡碑と四阿、北東にはっきりと見える山形城。

本丸跡には城跡碑と四阿、北東にはっきりと見える山形城。
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少し苦労しますが、ようやく本丸跡に到着です。途中遺構を確認しながらなので登り始めて30分、ストレートに登れば20分位で本丸跡に辿り着けます。本丸跡には、石碑と城案内板と四阿があるだけで殺風景な印象ですが、むしろその方が郷愁が湧いてきます。

晴れていれば東北の方向(丑寅)には山形城がハッキリと見えます。ここ長谷堂城は、山形城にとっての裏鬼門に当たり、防御の要の城です。少し下には長谷堂観音が見え、戦いの合間に自身と家族、城の無事を願い祈りを捧げていた武将たちがいたことでしょう。

兼続が攻めて落とせず、前田慶次と共に殿りを務めた戦仕舞!

兼続が攻めて落とせず、前田慶次と共に殿りを務めた戦仕舞!
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長谷堂城から北方約1kmに、直江兼続が長谷堂城を攻略するために菅沢の陣を置きました。長谷堂城からは本当に間近に見えます。城としてのハッキリとした遺構はなく、あくまでも山形城を攻略するため後顧の憂いを無くすために、長谷堂城を早めに落とす、いや落とせると踏んでこの菅沢の陣を引いたのでしょう。

ところが長谷堂城は猛攻に耐え、攻め寄せる敵将も数多く打ち取り、その中には戦国史上第二の強さと謳われた剣豪「上泉信綱」の孫である上泉主水泰綱も含まれていました。(近くに主水塚があります)
そのような中、関が原での西軍敗戦の報が届き、名高い「出羽合戦退き戦」が始まり、前田慶次も大活躍します。

知られざる戦い、長谷堂城と慶長出羽合戦での兼続と慶次!

道の傍らにあまり聞いた事のない石碑や、案内板が立っていることがあります。ふと立ち止まってその歴史を読んでみると、知っている歴史と繋がってくることが時たまあると思いませんか。
直江兼続と前田慶次が共に戦い、ともに名を残した合戦はそう多くはありません。その舞台の一つがここ長谷堂城を巡る戦いです。

訪れる人も少なく知られていない慶長出羽合戦の舞台「長谷堂城」。強者どもが夢を追い、夢が弾けた場所にはその夢のかけらが残っています。兼続と慶次、違った時代に生まれていれば、この二人はどうなっていたのでしょうか。そんな二人が夢を追いかけ、弾けてしまった名もない「長谷堂城跡」にあなたも出掛けてみませんか。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2016/05/29 訪問

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