世界遺産「姫路城」それは侵入者を欺く巨大迷路だった!

世界遺産「姫路城」それは侵入者を欺く巨大迷路だった!

更新日:2016/06/22 15:53

白鷺城とも呼ばれる白亜の名城、姫路城。その美しさとは裏腹に、攻め入るもの欺き、天守へも近づけさせない巨大迷路のような難攻不落の城だった。単なる観光ガイドではなく見逃しがちな所を中心にご案内する。

真っ白に輝く天守。姫路城が白さにこだわったのは、敵に城をより大きく見せるためだった。

真っ白に輝く天守。姫路城が白さにこだわったのは、敵に城をより大きく見せるためだった。
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JR姫路駅ビルの出口の2階は展望デッキとなっていて、大通りの向こうに白亜に輝く姫路城が見える。駅からの距離はおよそ2Kmだが、修復前に比べてもはっきりと大きく見える。もちろん城が大きくなったわけではない。真っ白だからこそ大きく見えるように感じるのだ。ファッションでも白は膨張色といわれている。太めの人は黒い色を着る方がやせて見える効果があるが、それと同じ原理で真っ白な姫路城は大きく見えるのだ。白をより大きく見せることによって、敵への心理的圧迫、威厳を見せつけていたのだ。

美しくも鉄壁な防御機能を備え、心理的トリックも隠されている姫路城に期待を馳せながら、駅からまっすぐと姫路城へと向かおう。ゆっくり歩いても姫路城の入口大手門までは20分ほどだ。

姫路城唯一の「穴太積の石垣」

姫路城唯一の「穴太積の石垣」
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入城前にも見所スポットはある。多くの方々はさっさと入城するが、ちょっともったいない。入城券売り場前にある天主の庭。今から50年ほど前の昭和の大修理のときに天守閣を解体したらその地盤は、6000トンという天守閣の重みで、かなり地盤が沈下し、26cmも傾いていたという。その時発掘された礎石を忠実に復元されている。

そして礎石の向こうには、黒田官兵衛ゆかりの石垣がある。官兵衛の石墨の特徴は、
1.野面石(自然石)を使用
2.布積み崩し(野面の横目地が部分的に走る)という古式の積み方を採用。
3.隅角ぶ稜線が不揃い
4.石垣が低く、二段石垣で補う
5.間詰め石は、主に河原石を使う
6.転用材(石のリサイクル)を多用し、刻印がない
巨大なお城ゆえ、城壁の石集めにも苦労した様子がうかがい知れる。転用材はあちこちで見ることができる。何を転用したののか…入城後も忘れず石垣に目をやることを忘れずに進もう。

姫路城には、天守へ向かって攻め入る敵を欺くあっと驚く騙しのテクニックがあった!

姫路城には、天守へ向かって攻め入る敵を欺くあっと驚く騙しのテクニックがあった!
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それでは姫路城のメインをなす菱の門から入城します。さすが城の入口を固める重要な門のひとつで、立派な櫓門になっている。多くの城でもそうだが、石垣と土塀で囲まれた枡形門になっている。その先三国堀から、いの門、ろの門と通って行くうちに天守閣が見えなくなる。進む方向が微妙に天守と外れていっているのだ。天守を目指しているつもりの敵にとって、進む方向が違ってる?と言う心理的不安を与える構造になっている。

さらに進み、はの門をくぐるとようやく天守が見える。左を見ると天守には近づきそうだけれど石垣があり行き止まりに見える。右側の屏は緩やかに右にカーブしている(写真参照)。現在は、見学者コースとして整備され、写真の左手の方へ進むようになっているが、見学者道がなければ、その先はまるで行き止まりのように感じる。だから敵は右のカーブした屏に沿って大挙押しかけることになる。だが、その先は、断崖絶壁!勢い余った敵は、崖の下へと落ちていく算段だ!侵入者を断崖絶壁に誘い込む罠が隠されていたのだ。

天守へ向かって上っているはずが、下り坂とは…

天守へ向かって上っているはずが、下り坂とは…
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天守のすぐそば、小さくて低い門が、水の門。ここで天守へは折れ曲がるのだが、ここでもまた勢いづいている敵集団は、おそらくまっすぐに進んで迷路にはまる。そして門の高さは非常に低くなっているので、もちろん馬では突破ず、槍や刀を振りかざしての通過もままなない。おまけに進んでいくと地面はだんだん低くって、天守に上るどころか、道は下り坂。天守はもっと高い位置にあるので、敵は、道を間違えたと錯覚しウロウロし始める。騙しのテクニック、なかなかうまく考えています。姫路城が巨大迷路と言われる由縁だ。

ではさらに天守へ向かおう。先ほどの水の門の先にある石垣。ここの石垣には石臼が再利用されてる。これは姥が石といわれ、石垣の構築にさいして石集めに苦労していた秀吉の話を聞き、餅を焼いて売っていた貧しいおばあさんが、それではと自分の使っていた石臼を寄進したものだ。細かいところだが、見落としのないようにしたい。

ようやく天守へ。天守の中も見どころいっぱい。

ようやく天守へ。天守の中も見どころいっぱい。
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さて天守閣へ上るのもまずは、半地下構造の暗い城門から入っていくことになる。この城はどうも視覚感覚も方向感覚も麻痺させるような造りになっている。美しい大天守も臨戦態勢は万全だ。台所や流し台なども完備され、籠城への備えがなされている。鉄砲挾間も数多く設置され、石落としも設けられている。また武者隠しという隠し部屋もあり、敵への備えも抜かりはない。

天守閣の構造上では中央を貫通する東西二本の大柱が目を引くが、特に東の柱は、地下の礎石から最上階六階の大天守の下までの下までの通し柱になっている。柱の幅は1メートルほどもあるが、通し柱で長さも25メートルほどもある。西の柱は途中で継がれているが、6階床までの通し柱が二本立っている場合には、組み上げて行くとき、作業が困難になるからだ。

また大天守最上階には「長壁(刑部)神社」という神社があるが、天守閣の内部にある神社はおそらくここだけだろう。ぜひお参りして帰りたい。

天主閣の後は、西の丸の百間廊下と西の丸御殿も忘れずに!

西の丸には百間廊下という300mもの長い廊下がある。この廊下は単なる廊下ではなく、姫路城を防御する上で重要な役割を担っていた。城の外側(西側)に向けていくつもの鉄砲狭間が開けられており、いざというときには、鉄砲隊を配備して戦うことが出来た。そして悪天候でもこの長い廊下には屋根があり室内でもあり戦うにも楽な用に作られていた。

長い廊下の東側は、西の丸御殿で働く女中たちの部屋になっていた。今風に言えば、従業員寮と言ったところか。

百間廊下の北端には、化粧櫓があり大きく開放された窓や床の間に畳敷きの豪華なしつらえの部屋がある。こちらは千姫が暮らしていた西の丸御殿だ。こちらで幼いわが子を亡くした千姫は、男子出生と本多家の繁栄をねがって男山の天神社に向かい遙拝していたという。そんな歴史を感じる西の丸も忘れずに訪れたい。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/06/10 訪問

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