江戸の三大鬼子母神といえば、雑司ヶ谷鬼子母神「法明寺」、びっくり下谷の鬼子母神「真源寺」、そして日蓮宗祈祷根本道場、荒行で知られる、千葉・下総中山の鬼子母神「法華経寺」というのが通説です。江戸府内から少し離れてはいるものの、江戸っ子にも超人気だった鬼子母神様なのです。
鬼子母神は、もともとはインド夜叉神の娘で邪神でありました。たくさんの子を産みましたが、性格は凶暴、人間の子供を捕まえては食べてしまうので、人々に大変恐れられていました。お釈迦様は彼女の過ちを正そうと、最も愛していた末の子を隠し、その悲しみと嘆きから鬼子母を諭しました。鬼子母神は過ちを深く悟って仏教に帰依、仏法を護り、子供や女性を護る神となりました。
結果、鬼の字の「角」のとれた鬼子母神となったといわれています。
日蓮聖人生涯4度の法難のうち、「文永元年(1264)の房州の法難」では眉間に大きな疵をおわれたといいます。まさに危急の時、鬼子母神が現れ、聖人の一命を救ったというのです。日蓮聖人はその霊験を深く感じ、その尊像を親刻・開眼されたといいます。
千葉・下総中山法華経寺での鬼子母神祈祷は、御宝前で木剣加持祈祷して、祈祷札を授与してくれるというもの。この祈祷は、荒行修行を終えた祈祷僧によってのみ行われます。
この荒行、「死と蘇生」を体験するというのですから凄まじい。そもそも荒行修行のお坊さんが着る白い袈裟や着物は、「清浄衣(しょうじょうえ)」といって、お坊さんにとっての死に装束…修行中いつ死んでもいいようにあの装束を着るということなのだとか。決死の覚悟が要求されます。
「大荒行堂常修殿」で荒行修行が行われますが、この大荒行は、極寒の11月1日に始まり2月10日まで100日におよぶ荒行で、この荒行修行を終えた僧のみに「祈祷」の秘法が相伝されます。法華経寺の護符は、こうした荒行に耐え、祈祷の秘法を相伝された僧によって作り上られた護符。心血のそそがれた「護符=祈祷秘妙苻」なのだといわれています。
これが、千葉・下総中山鬼子母神「法華経寺」が霊験あらたかスポットとして名を馳せた由縁です。
千葉・下総中山の鬼子母神「法華経寺」は日蓮聖人ゆかりの「五勝具足」の霊跡寺院。五勝具足とは「授法の発初」「精舎の最初」「寺号の発軫(発心)」「本尊仏像造立の最初」「説法権与の最初」の5つの優れた縁起を供えた寺院ということだそうです(冊子法華経寺より)。
文応元年(1260)、日蓮聖人に深く帰依した法華経寺開基の日常聖人は、自邸に法華堂を建て日蓮聖人に提供されました。法難の続いた日蓮聖人にとって、この地は安息の地に。日蓮聖人は、日常聖人にすべての祈祷秘法を相伝、それが荒行を通じ、荒行に耐えた僧だけに伝承されていくこととなりました。
故に、法華経寺には、「立正安国論」や「歓心本尊抄」など、日蓮聖人真蹟という国宝の書や文書が多数残されているんですね
日蓮聖人の真蹟、国宝の「観心本尊抄」や「立正安国論」は、聖教殿というインド風の大宝蔵に納められています。その横にしめ縄のはられた門があり、「瑞門」とよばれていますが、ここが荒行修行僧が潜る霊界への入り口。いったん入ると修行が完遂するまで開きません。この門は、俗界と霊界を分ける結界といえます。
11月1日から100日間、修行僧は朝2時に起き、1日7回寒水に身を清める「水行」と、「万巻の読経」、「木剣相承」、相伝書の「書写行」を続けます。この修行を終えた者のみに「祈祷」の秘法が相伝されます。
厳しい修行にたえた者だけに許される祈祷…千葉・下総中山鬼子母神「法華経寺」には、子育て安産だけでなく、病気平癒、社運隆盛の祈願に多くの人々が訪れます。
荒行修行で、神聖な「霊験あらたか」を鍛えぬく!
千葉・下総中山の鬼子母神「法華経寺」には、「五重塔」をはじめ、日蓮聖人を祀る大堂「祖師堂」、鎌倉時代後期の創建といわれる「法華堂」「四足門」、十羅刹女を祀る「刹堂」など古い由緒ある伽藍が立ち並びます。鬼子母神尊神への祈願が済んだら、境内を歩いてみてください。静かに佇む堂宇は、きっと心の安らぎを与えてくれます
千葉・下総中山の鬼子母神「法華経寺」の山門は重層な巨大な山門(仁王門)ですが扉がありません。いつでも誰にでも開かれているといいます。
参道両側にはいくつかの塔頭寺院があり、参道の奥に明治創業というレトロな茶店があります。法華経寺参詣の後はこちらの茶店で一服されてはいかがでしょう。
時間がおありになれば、境内から少し離れていますが、奥の院にも詣でられることをお勧めします。
鬼子母神尊神を詣で心願祈願。厳かな境内を散策し、参道を出る前にちょっと休憩、日頃の慌ただしさを忘れ、清浄な心に浸れる1日になります。きっと。
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