写真:乾口 達司
地図を見る大和神社は奈良県天理市にある神社。その創建は古く、崇神天皇の時代までさかのぼるとされます。『日本書紀』によれば、日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は皇祖神・天照大神とともに宮中にまつられていましたが、神威はなはだしく、世のなかが乱れたため、崇神天皇の命により、市磯邑に遷されました。それが大和神社のはじまりであるとされます。
写真は境内の東の端に位置する一の鳥居付近を撮影した一枚。「大和神社」と書いて「おおやまとじんじゃ」と読むというあたりからも、大和神社が古代の大和の国の中心的な神社であったことが読み取れます。
写真:乾口 達司
地図を見る大和神社は、伊勢神宮に鎮座した天照大神に次ぐ大神として、古くより朝廷から篤くうやまわれました。しかし、中世以降、朝廷の勢いが弱まるにともなって衰微。広大な社領は失われ、現在にいたっています。
大和神社に参拝すると、田園にかこまれた村の鎮守といった印象を受ける方もいらっしゃるでしょう。しかし、数百メートルにおよぶ長く、大きな参道には、ありふれた村の鎮守とは一線を画したたたずまいが随所に見られ、大和神社のかつての勢いがしのばれます。
写真:乾口 達司
地図を見る本殿は3つの社から成り、それぞれ「日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)」「八千戈大神(やちほこのおおかみ)」「御年大神(みとしのおおかみ)」がまつられています。
写真:乾口 達司
地図を見る本殿の周囲には、摂社が点在しています。
写真は「高龗神社(たかおおかみじんじゃ)」。祭神は雨師大神すなわち水神さまであり、古来、10年に一度の大祭の折には近郷近在から大勢の参拝者がつめかけたといわれています。いまも篤く信仰されていることは、奉納された幟の数からもおわかりいただけるでしょう。
写真:乾口 達司
地図を見る高龗神社の脇には、磐座も置かれています。磐座とは、古代、神の依り代となったとされる岩のこと。磐座の存在からも、大和神社の古さがうかがえますね。
写真:乾口 達司
地図を見るしかし、磐座だけではありません。大大和神社の境内には古墳もあるのです。
写真は祖霊社の裏手に位置する星塚古墳。大型の前方後方墳、あるいは細長い鞍部で連結した2基の方墳と考えられています。
写真:乾口 達司
地図を見る境内の一角には「戦艦大和ゆかりの神社」と刻まれた石碑も立っています。その高さは2736ミリメートル。「2736」は戦艦大和の乗組員の数にもとづいています。
建造当時、世界最大とうたわれた戦艦大和の艦内には、同名であることにちなみ、大和神社の分霊がまつられていました。その縁で、現在、亡くなった大和の乗組員および坊ノ沖海戦における第二艦隊の戦没者計3721柱がまつられています。
大和神社が戦艦大和と深い縁があったこと、ご存知でしたか?
写真:乾口 達司
地図を見る戦艦大和ゆかりの神社ゆえ、「戦艦大和展示室」と銘打たれたミニ展示室も設けられています。室内には奉納された戦艦大和の模型やそれにちなんだ写真や絵画、資料が展示されています。
写真:乾口 達司
地図を見る授与所では、戦艦大和を模した土鈴などもいただけます。戦艦大和のファンの方はぜひお参りください。
写真:乾口 達司
地図を見る奉納された写真の絵馬では、「勝」の一字が、大日本帝国の勝利を願って建造された戦艦大和を象徴しているともいえるでしょう。もちろん、戦艦大和に限らず、合格祈願などにも御利益があるとされているため、さまざまな「勝」を願って絵馬を奉納してみてはいかがでしょうか。
大和神社の知られざる歴史、おわかりいただけたでしょうか。境内は、古代、飛鳥・藤原地区と平城京とを結んでいた「上つ道」沿いに位置している上、その東方には日本最古の街道といわれる「山辺の道」も通っています。したがって、散策にはうってつけのところであるといえるでしょう。大和神社に参拝し、その豊かな歴史に触れてみて下さい。
住所:奈良県天理市新泉町306
電話番号:0743-66-0044
アクセス:JR長柄駅より徒歩3分
2023年2月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
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(2024/4/20更新)
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