京都「酬恩庵」で一休みひとやすみ

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京都「酬恩庵」で一休みひとやすみ

京都「酬恩庵」で一休みひとやすみ

更新日:2013/09/18 11:48

京都の南部、京田辺市にある酬恩庵(しゅうおんあん)は、またの名を「一休寺」と呼ばれる室町時代のお寺。
あの「とんち」で有名な一休さんが晩年住職として過ごされ、生涯を閉じられたお寺として有名である。

風格の中に気品を漂わせる門構えは歴史を感じさせる。

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三門をくぐれば目の前には、おびただしい数の楓の木が広がる。今の季節は深い緑色でマイナスイオンを感じることができるし、秋になれば他ではなかなかお目にかかれないほど真っ赤に紅葉する。
とかく秋の行楽シーズンの京都市内の観光寺院は、人混みでごった返していて思うように回れなかったりすることが多いが、市内から車で30分ほど走るだけで静かに素晴らしい紅葉が楽しむことができるのがこのお寺の良いところだ。

一休さんは、後小松天皇の皇子さま。

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アニメや実写版でおなじみの一休さんは一休宗純(そうじゅん)というお名前。今から約620年前、南朝と北朝が足利義満によって統一された後、一休さんは第100代・後小松天皇の側室であった母が南朝方の出身だったことから宮中を追われ、京都の嵯峨野で誕生。その後6歳の時に出家させられることになった。
アニメの中とはいえ、年端もいかぬ小坊主に天下の将軍・足利義満が直々に「これ一休、この屏風の虎を退治してみせよ」などと言いにきたり、寺社奉行という設定の新右衛門(しんえもん)さんは将軍の片腕ともいえる偉いお奉行さんなのに「一休どの〜」と、いつも敬語で話していることからも、何気に一休さんの高貴な血筋をうかがい知ることができる。正当な血筋とはいえないと云われてはいるが、それでもここにある一休さんのお墓は「宮内庁」の管轄であり、れっきとした皇子「宗純王」の御廟なのだ。扉にある菊の透かし彫りが威厳を放っている。

見どころ満載の方丈

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方丈は江戸時代、1650年に加賀藩・三代目藩主・前田利常(まえだとしつね)の寄付によって再建された。
障壁画は、狩野探幽の作となるものが43面も収められている。
また中央の仏間には、一休禅師88歳の姿を表した木像が安置されている。この像は、彼が亡くなる前の年に弟子に命じてつくらせたもので、自分の頭髪とヒゲを抜いて植え付けた珍しいお像である。一休さんは禅宗の僧侶でありながら剃髪をせず、仏教の菩薩戒で禁じられていた飲酒・肉食を繰り返し、摸造刀を差して歩き回るなど、その奇行ぶりは現代に伝えられている。それもこれも禅宗の堅苦しい規則や形などにとらわれることよりも、精神が大切であるという事を伝えたかったと云われている。
また、お抹茶席もあるので名物「一休寺納豆」が入った菓子を食べながら一服するのも楽しい。

方丈庭園にて禅を体感しよう。

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方丈庭園は北庭・東庭・南庭の三つの庭で構成されており、松花堂昭乗や石川丈山といった芸術に秀でた面々が作庭を手がけているおかげか、小ぶりながらとても美しい。
この南庭は白砂の大海をあらわしたもので、ツツジや紅葉など、季節によって彩られる姿を鑑賞するのも良いが、静寂の中ここに座り禅の境地に浸ってみるのも悪くない。

枯山水の蓬莱庭園

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北庭は、石塔や石灯籠、手水鉢などを配し、石組で枯れ滝を表現した、蓬莱(ほうらい)庭園である。 かつて中国大陸から伝わった神仙蓬莱思想というものが日本庭園に多く生かされ、各地の池泉回遊型庭園で蓬莱島や鶴島・亀島が造られていた。
こちらでは蓬莱山の滝から水が流れ落ち海へ流れるさまを、水を使わずに石組みだけで表現している。禅宗寺院ならではの庭といえるだろう。上流と下流では趣の違った石などを配列し、見事に水の流れを演出している。

ここに注目

酬恩庵は京都の南部でありながら、平城京の主要水路であった木津川の畔ということもあり、奈良の北部ともいえる場所にある。
この周辺には蟹満寺や観音寺など白鳳・天平時代の仏像を有する古刹も点在するが、ここは明らかに一線を画したお寺であり京都文化を象徴する最南端といえる。ちょっと大人の京都を愉しみたい方は、ぜひ一度足を運んでいただきたいお寺である。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2013/08/20 訪問

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