日本の始まり、飛鳥に秘められた古代ロマンへのサイクリング旅

日本の始まり、飛鳥に秘められた古代ロマンへのサイクリング旅

更新日:2016/05/17 14:17

和山 光一のプロフィール写真 和山 光一 ブロガー
飛鳥の地では、1400年以上も昔推古天皇の時代から約100年間、天皇が住み、政事が営まれていました。また万葉集でも数多くの歌が詠まれた地で、万葉歌碑がいくつもあります。今も変わらない青垣の山々、のどかな里山風景にこころ癒される飛鳥には、古社寺や古墳、神秘的な石造物などが点在し、日本の古代から続く悠久の時の流れを感じます。そんな飛鳥を自転車で古代ロマン薫る風を感じながら巡ってみてはいかかですか。

古代日本の中心舞台・飛鳥めぐりの起点は「石舞台古墳」から

古代日本の中心舞台・飛鳥めぐりの起点は「石舞台古墳」から

写真:和山 光一

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近鉄飛鳥駅でレンタルサイクルを借りて、先ずは約3KMの緩やかな坂道を上り、飛鳥のシンボル「石舞台古墳」に向かいます。

約30個以上もの花崗岩の巨石を積み上げた古墳で、日本最大級の横穴式石室を持ちます。築造は7世紀の初め頃と推定され、元々は1辺約55Mの方墳だったとされていますが、早い時期に古墳上部の盛土が失われ、現在は巨大な石室が露出した姿となっています。その形状から『石舞台』と呼ばれるようになったと言われれ、昔々狐が女性に化けて石の上で舞を見せた話や旅芸人がこの巨石を舞台に演じた話などが残っています。

石の総重量は約2300tと推定され、埋葬された人物は不明ですが、乙巳の変で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父・蘇我馬子の墓ではないかといわれています。国営飛鳥歴史公園石舞台地区のこの一帯は「島庄」といわれ強大な権力を持っていた蘇我氏の居住地でした。それゆえ「島の大臣(おとど)」といわれたといいます。石室が露出しているのは、馬子の専横ぶりに反発した後世の人が封土をはがしたためと伝わります。

大化の改新の先がけ「乙巳の変」の舞台「伝飛鳥板蓋宮跡」

大化の改新の先がけ「乙巳の変」の舞台「伝飛鳥板蓋宮跡」

写真:和山 光一

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西国三十三ヶ所第七番札所で、高さ約4.8M、日本最大の塑像である如意輪観音菩薩坐像(重文)が本尊の「岡寺」に寄り道してから、2KM程先の小さな丘陵に囲まれた平地にポツンとある、蘇我馬子邸に隣接していた皇極天皇宮殿跡「伝飛鳥板蓋宮跡」を訪れます。645年華やかな外交儀式が執り行われていた宮殿で起きたクーデター“乙巳の変”、皇極天皇の目前で、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を斬殺した舞台です。

飛鳥の真ん中にあるここが古くから板蓋宮跡と伝承され、1963年、飛鳥寺南側の田んぼの中に発見された大井戸を囲むように、石敷き広場や石組みの井戸など宮殿の遺構が復元されています。宮殿の屋根を茅や柿葺と違って板葺きにしたためこの名でよばれていますが、この遺構は天武天皇の飛鳥浄御原宮のものとみられ、板蓋宮はさらに下層に埋まっているといわれています。さらに斉明朝の後飛鳥岡本宮もあったとのことです。かつての日本の首都であった飛鳥には今は何事もなかったかのように、のどかな明日香風が吹いています。

蘇我馬子が「仏法興隆」の拠点とした「飛鳥寺」

蘇我馬子が「仏法興隆」の拠点とした「飛鳥寺」

写真:和山 光一

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さらに北上すること6分程で飛鳥大仏の看板が見えてきます。飛鳥大仏で有名な「飛鳥寺」自体は現在、安居院だけの驚くほど小さなお寺です。飛鳥寺は推古4年(596)に蘇我馬子の発願で建てられた日本初の本格的仏教寺院でした。本尊である銅造釈迦如来坐像(重文)は「飛鳥大仏」の通称で親しまれており、609年推古天皇が仏師・鞍作鳥に造らせたとされる日本最古の仏像です。

アーモンド型の眼やアルカイックスマイルといった大陸風の凛々しいお顔立ちが特徴です。 仏像よりお堂が先に完成し、入口より大きい仏像を入れるという不可能なことを、止利の秘技で入口を壊さず、その日のうちに納めたという逸話もあります。入鹿を暗殺した後、蘇我氏の反撃に備えて中大兄皇子らが立てこもったのが飛鳥寺でした。

寺の西には「蘇我入鹿の首塚」である五輪塔が残っており、飛鳥板蓋宮で暗殺された入鹿の首が600M離れたここまで飛んできたと伝えられています。またこの一帯は乙巳の変以前に、中大兄皇子と中臣鎌足が蹴鞠の会で初めて出会った社交の場、「槻(つき)の木の広場」の推定地とされています。

走り疲れたら古民家の喫茶店でほっと一休み、珈琲「さんぽ」

走り疲れたら古民家の喫茶店でほっと一休み、珈琲「さんぽ」

写真:和山 光一

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左手にかつて蘇我蝦夷・入鹿父子がそろって広大な邸宅を構えていたという飛鳥の要衡である標高148Mの緩やかに続く小高い丘・「甘樫丘」を見ながら飛鳥川沿いの“飛鳥葛城自転車道”を3KM程走って「橘寺」に向かい、県道155号に出ます。ここまで約10KMを寄り道しながら3時間ちょっと走ってきたことになります。

明日香村役場のまん前にある、1928年築の民家を改装した喫茶店「珈琲さんぽ」は、自家焙煎の豆を一杯ずつハンドドリップしてつくるこだわりのコーヒーが飲める明日香村の小さな珈琲店です。飲んだあとに心地いい余韻が残る上品な味わいがひかります。

おすすめは、お昼のランチの「海南鶏飯(1000円)」です。ハイナンチキンライスとも呼びますが、その昔、中国の海南島の人たちがマレーシアに移り住んで考え出した料理だと言われ、現在マレーシアのソウルフードということです。お皿に御飯と蒸鶏ときゅうりとミニトマトが盛られていて、これにチリソースと生姜醤油をかけ、混ぜて食べるとのことで綺麗な盛り付けを壊すビビンバのようなものですが、これが絶品です。(店主の奥さまがマレーシア人とのこと)

聖徳太子生誕の地「橘寺」

聖徳太子生誕の地「橘寺」

写真:和山 光一

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「橘寺」の地にかつて「橘の宮」という欽明天皇の別宮があり、572年厩戸皇子(聖徳太子)がここで誕生したとされています。本尊は35歳の姿の聖徳太子像であり、皇子建立の七ヶ寺の一つで、美しいタチバナ形の塔心礎が当時を物語っています。

そんな橘寺の本堂前にあるのが脚首のみが白く、他の馬とは比べようもないぐらい足が速かったという「黒駒」像です。太子は黒駒にまたがりさまざまな地を巡ったとされ、黒駒は太子を乗せて空を駆け、三日三夜経っても疲れる様子がなかったと伝わります。

この橘寺にあるのが、謎の石造物のひとつ「二面石」という善面と悪面2つの顔をもつ石造物です。その姿形から猿石と同じ場所から掘り出されたと考えられていて、高さ1Mほどの石の左右に男女の顔が彫られており、無垢な顔つきの善面と、大きくゆがめられた悪面の対比が目を引きます。

ここからはサイクリングにも最適な田畑に囲まれた飛鳥の周遊歩道を走り、最後に明日香村内最大の前方後円墳で墳丘の緑と濠が美しい「欽明天皇稜」に向かいます。その西横「吉備姫王墓」域内にある年代や制作理由も不明の、猿を思わせる顔の石造物「猿石」を見て飛鳥駅に戻ります。

心ゆくまで古代の謎を巡りましょう「古代ロマン飛鳥日帰りきっぷ」

謎と伝説の地を一日かけてたっぷり巡るには、関西の私鉄沿線から日帰りで飛鳥を自由に楽しめる「古代ロマン飛鳥日帰りきっぷ」が断然お得です。近鉄に乗り継いで飛鳥を訪ねる往復乗車券に飛鳥周辺の奈良交通バス、レンタサイクル、施設・店舗の割引チケットがセットになって1850円(阪神版)です。

チケット2枚の使い方は様々で上手に使いましょう。今回ご案内したレンタサイクルを使ってめぐるなら2枚とも割引に使います。ハイキングの場合は行きは歩いて帰りはバスなら1枚はバスの乗車券に、もう一枚は物販・飲食の割引に、行きも帰りもバスなら2枚ともバスの乗車券に使えます。

今回の飛鳥周遊コースは約13KMで約5時間(施設見学と昼食含む)の行程になります。まだ体力と時間のある方はオプションコースとして、岡寺駅から「益田岩船(登山に5分ほどかかる)」「マルコ山古墳」で飛鳥駅に戻る5.3KMのコースや、壺坂山駅から「キトラ古墳」「高松塚古墳」で飛鳥駅に戻る4.8KMの飛鳥満喫コースもありますよ。

車ではアクセスしにくい細い道にある飛鳥の見所も楽に行けることから、飛鳥はサイクリングで巡るのが断然お勧めです。バスと違い乗車時刻を気にせず観光できるのも利点です。

里中満智子作「天上の虹」(講談社コミック文庫)を読んで一度古代史を少しおさらいしてから訪ねると、その舞台は想像以上にロマンティックなのです。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/09/23 訪問

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