「鎌倉大仏」の鎮座する寺!「高徳院」の見どころはここだ!

「鎌倉大仏」の鎮座する寺!「高徳院」の見どころはここだ!

更新日:2017/06/22 12:00

渡部 洋一のプロフィール写真 渡部 洋一 フリーライター、カメラマン
日本有数の観光都市として人気の神奈川県鎌倉市。世界遺産登録を目指す古都であり、歴史的価値の高い旧所名跡・神社仏閣が街の至る所に点在しています。

そんな鎌倉に数多ある名所の中でも指折りの人気を誇るのが、街のシンボルと言える「鎌倉大仏」。今回は、鎌倉唯一の国宝仏像である大仏様の鎮座する、「高徳院」の見どころをご紹介します。

2体の仁王像は必見!鎌倉・高徳院の「仁王門」

2体の仁王像は必見!鎌倉・高徳院の「仁王門」

写真:渡部 洋一

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江ノ電長谷駅から徒歩約7分、鎌倉の中でも超人気のエリアに位置する名刹「高徳院」。
本尊の阿弥陀如来像は、「鎌倉大仏」または「長谷の大仏」として有名ですが、この寺院の見どころは大仏様だけではありません。

高徳院を訪れてまず最初に出会う建造物は、「仁王門」。内部に安置された2体の「仁王像」は、18世紀初頭に他所から移築されたものと伝わります。大きさは大仏様に敵わないけれど、その姿は力強く、見応え十分です。

高徳院のシンボル!「鎌倉大仏」はやっぱり凄い!

高徳院のシンボル!「鎌倉大仏」はやっぱり凄い!

写真:渡部 洋一

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強烈な存在感を放つ、高徳院の本尊「阿弥陀如来像」。「鎌倉大仏」や「長谷の大仏」の愛称であまりにも有名です。

その歴史は未だ不明な点が多く謎に包まれていますが、『吾妻鏡』によれば造立が開始されたのは1252年。かつては巨大な大仏殿に囲まれていましたが、その後の天災により露座となりました。

高さ約11.39メートル(台座を含めると約13.35メートル)、重量は約121トン。その大きさはまさに「大仏」と呼ぶに相応しく、見る者を圧倒します。
また、大きさだけでなく、中国宋の様式と慶派(日本の仏師の一派)の影響が融合した、鎌倉の仏像独特の美しさも魅力的。奈良の大仏と比べ、ほぼ造像当初の姿を残している点も貴重で、鎌倉の仏像で唯一国宝に指定されています。

名所たるに相応しく巨大で美しい「鎌倉大仏」は、高徳院のみならず鎌倉の街のシンボルとして親しまれています。

鎌倉・高徳院に残る大仏殿の「礎石」

鎌倉・高徳院に残る大仏殿の「礎石」

写真:渡部 洋一

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高徳院に鎮座する、鎌倉大仏。かつては巨大な大仏殿に覆われていました。しかし、その大仏殿は1334年の大風や1498年の地震による津波で倒壊し、現在その姿を見ることはできません。
それでも、露座となった大仏様の周囲には、大仏殿の「礎石」が今も残されています。

青空の下の大仏様を拝むだけでなく、その周囲の大仏殿の礎石にも目を向けると、高徳院をよりいっそう楽しむことができるでしょう。

大仏サイズ!巨大な「わらぞうり」

大仏サイズ!巨大な「わらぞうり」

写真:渡部 洋一

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高徳院の大仏様を囲む回廊の内壁には、巨大な「わらぞうり」が飾られています。

わらぞうりは長さ約1.8m、幅約0.9m、重さ約45キロと、まさに大仏サイズ。
「大仏様に日本中を行脚していただき、人々を幸せにしてほしい」という思いを込めて、戦後間もない1951年に常陸太田市の子ども会によって奉納されたのが始まりです。1956年以降、3年に1回作り替えられています。

徳川秀忠ゆかりの「観月堂」

徳川秀忠ゆかりの「観月堂」

写真:渡部 洋一

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15世紀、朝鮮王宮内に建てられたとされる「観月堂」。世界的に貴重な建物で、大正13年(1924年)に高徳院境内に移築されました。内部には、江戸幕府2代将軍の徳川秀忠公が所有していたと伝わる、「聖観音像」を安置しています。

また、「観月堂」のすぐ側には、「与謝野晶子歌碑」も置かれており、こちらも必見です。

「鎌倉大仏」の待つ寺!「高徳院」へ行こう!

鎌倉のシンボル・大仏様が鎮座する、「高徳院」の見どころをご紹介しました。

圧倒的な存在感を放つ「鎌倉大仏」はもちろん、その他にも見どころ目白押しの高徳院は、まさに鎌倉を代表する観光名所。鎌倉を訪れたのなら、是非とも足を運びたい絶対おすすめのスポットです。

鎌倉・高徳院へのアクセス、拝観料、拝観時間等の情報は、記事下部にある「MEMO」をご参照ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/04/26 訪問

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