すすきみみずく民話の伝承に心安らぐ 「安産・子育ての神様 東京雑司ヶ谷鬼子母神」

すすきみみずく民話の伝承に心安らぐ 「安産・子育ての神様 東京雑司ヶ谷鬼子母神」

更新日:2016/05/12 10:21

東京豊島区雑司ケ谷鬼子母神は、安産・子育に霊験あらたかとして、古くから広く庶民の信仰を集めてきた「江戸三大鬼子母神の一神」。
この鬼子母神様には「すすきみみずく」という、心安らぐ民話の伝承があり、江戸時代以来の、すすきの穂でできた素朴な可愛いいみみずくの玩具も伝えられています。
鬼子母神様への子授け・安産・子育て祈願と可愛い「すすきみみずく」に会いに、雑司が谷へ出かけてみませんか。

安産・子育てに関する祈願なら「雑司ヶ谷鬼子母神堂」へ

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寺伝によれば、雑司ヶ谷鬼子母神堂でお祀りする鬼子母神尊像は、室町時代永禄4年(1561)、清土の池付近(現在の文京区目白台)に出現されました。後、尊像は東陽坊というお寺に納められ、天正6年(1578)稲荷の森と呼ばれていた雑司が谷に、村の人々が御堂を建ててお祀りしたのが鬼子母神堂の始まりといいます。
現在の本殿は、安芸浅野家に嫁した前田利常公のご息女・自昌院殿が寛文4年(1664)寄進し、建立されたもの、東京都の有形文化財に指定されている重厚な建物です。

江戸時代天保7年(1836)に出版された、神田の名主・斎藤月岑(げっしん)が出版した名著「江戸名所図会」にも、霊験あらたかな神様として紹介されています。その一説を引用させていただくと、曰く…「この地は遥かに都下をはなるるといえども、鬼子母神の霊験著明しく(いちじるしく)、諸願あやまたず叶えたもうがゆえに、つねに詣人絶えず…十月の御会式には、ことさら群集絡繹(らくえき)として織るが如し」とあります。
江戸庶民の信仰が大変篤かったことを物語っています。

鬼子母神とは

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「鬼子母神尊神」は、古来、安産・子育(こやす)の神として広く信仰されていますが、もともとはインドの夜叉神の娘で邪神でありました。たくさんの子を産みましたが(俗に1000人とか)、性格は凶暴で、近隣の子を捕まえては食べてしまうので、大変恐れられていました。
お釈迦さまは彼女を過ちから救おうと、最も愛していた末の子を隠し、その時の嘆き・悲しみから鬼子母神を諭しました。
鬼子母神は過ちを深く悟って仏教に帰依、仏法を護り、子供や女性を護る美しい神様となりました。
雑司ヶ谷鬼子母神尊像は羽衣・櫻洛をつけ、吉祥果をもち、幼児を抱いた美しいお姿をしているとのことで、鬼の「´(角)」の取れた鬼なのです。

心やすらぐ「すすきみみずく」伝承

心やすらぐ「すすきみみずく」伝承
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「すすきみみずく」は江戸時代から「麦藁細工の角兵衛獅子」とともに、雑司が谷に伝わる子供の玩具ですが、心やすらぐ民話伝承があります。
『雑司が谷に「くめ」という親孝行な娘が住んでいましたが、家が貧しく、おかぁさんが働き過ぎがもとで病気になってしまいます。薬も買うことのできない「くめ」は、優しいおかぁさんの病気が早く治るようにと、百度参りを始め、毎日毎日鬼子母神の御堂へと通ったのでした。
60日、95日…そして満願の日…「くめ」はついに疲れ果て、倒れ込んで眠ってしまいました。すると鬼子母神の化身の美しい蝶があらわれ、「お前の気持ちはよくわかりました。この辺りはススキの多い処、そのススキでミミズクを作り御堂の前で売りなさい」と告げました。
くめがはっと目が覚めるとミミズクが木の上で鳴いていました。家に帰ったくめは必死にすすきミミズクを作り、鬼子母神の御堂の前で売ると…なんとすすきミミズクは飛ぶように売れ、おかぁさんに薬が買えるようになり、おいしいものも食べさせてあげることができるようになりました。おかぁさんの病気もみるみるうちによくなり、幸せに暮らせるようになりました。』というもの。
心温まるくめとおかぁさんの愛情とそれを見守る鬼子母神様、可愛いすすきミミズク…今は童話として、豊島区親子読書連絡会の版画紙芝居にもなっています。

参拝のおりには、参道沿いの「雑司が谷案内処」へ立ち寄られることをおすすめします

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荒川線「鬼子母神駅」、地下鉄副都心線「雑司が谷駅」からの参道沿いに、「雑司が谷案内処」があります。「すすきミミズク」にはここで会えますし、お買い求めもできます。他にも地元の情報がいっぱい。すすきみみずく版画紙芝居もここで購入できます。
ご担当の係の方がおられて、親切にいろいろ教えていただけますので、鬼子母神様参拝の際には、是非お立ち寄りになることをお勧めします。雑司が谷お散歩マップなどの資料も頂けます。
2階がギャラリーになっていて展示会場とかにも利用されていますので、企画展なども開催されていればご覧になることができます。企画展の情報はホームページでご確認ください。

鬼子母神堂境内でちょっと一服…名物おせん団子はいかがでしょう。

鬼子母神堂境内でちょっと一服…名物おせん団子はいかがでしょう。
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おせん団子の名前の由来は、鬼子母神には1000人の子供があったことにあやかり、沢山の子宝にめぐまれるようにとの願いから来ているそうです。江戸時代には参詣の人々の休憩に、また、お土産としてとても人気が高かったようです。
毎週土曜日・日曜日と縁日(8日、18日、28日)には鬼子母神堂境内の大黒堂で買い求めることができます。
一時は販売が中止されていましたが復活されました。日暮里の羽二重団子謹製。さっぱりした甘さで、ほっとするおいしさです。大黒堂内で召し上がれるのは、1人前お団子2串…お茶もいただけます。

最後に

境内の入り口に、樹齢およそ700年、「子授け銀杏」と呼ばれる、樹高30mを超える大きな公孫樹の木があり、都の指定天然記念物になっています。文政年間(1818〜1829)にしめ縄が張られました。この木も古来より信仰の対象になっています。この辺り、古くは「稲荷の森」と呼ばれていましたが、大公孫樹の奥には地名の謂れとなった「武芳稲荷堂」があり、大黒堂の正面には、江戸時代創業というレトロな駄菓子屋さんもあります。参拝の折にはちょっと覗いてみられてはいかがでしょう。

ところで、世に「百度参り」という言葉がありますが、「江戸名所図会」に興味ある記述があります、曰く…百度参りについて…≪寄願あるもの、その社前を往返して百度参拝す。これを俗に百度参りと号す。ある人云うには、「このことは当社(雑司ヶ谷)鬼子母神をもって始めとす。その故は十羅刹女を始めとし、千人の御子にねぎ奉る意(こころ)にて、十と千の間をとり、百度参りするといえり」≫なのだそうです。
昨今ではお百度参りはなかなか大変ですが、雑司ヶ谷鬼子母神参詣は、心願祈願と江戸の風情に触れられる心安らぐ1日になります。きっと。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/05/02−2016/05/11 訪問

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