激しくも優しい縄文土器「信濃川流域」は火焔土器の宝庫

激しくも優しい縄文土器「信濃川流域」は火焔土器の宝庫

更新日:2016/05/13 14:59

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー
縄文時代にはいろいろな土器が作られていました。この中でも“メラメラと焔が立ち上る”独自の姿が表現され、激しくもどこか優しい土器があります。これが火焔土器で、縄文土器の中でも初めて国宝に指定されたものです。出土場所は主に新潟県の信濃川流域。流域の長岡市や十日町市には、火焔型土器と縄文時代について学べる博物館があります。岡本太郎氏も感嘆したこの土器、本物が見られる代表的な場所に行ってみましょう。

火焔土器とは?

火焔土器とは?

写真:松縄 正彦

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火焔土器をみなさんご存じでしょうか?オリンピックの聖火台を思い浮かべてみて下さい。聖火がメラメラと立ち上る形を想像するとその形が理解できるはずです。

この形の土器は今から5300年前、縄文時代中期に信濃川中流域で多数作られました(写真:新潟県立歴史博物館)。特徴は、まず鶏のトサカのような形(鶏冠状)をした4つの大きな突起がある事。これが火焔を表現しています。また突起の間に鋸歯状のフリルがあります。さらに土器の開口縁部に、周囲の底部側と区別するための“袋”状や“メガネ”状の突起が付き、この突起間に渦巻き様の文様などが表現され、これがどことなく優しいイメージのもとになっています。

馬高縄文館〜火焔土器発見地の博物館〜

馬高縄文館〜火焔土器発見地の博物館〜

写真:松縄 正彦

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最初に火焔土器が発見されたのは新潟県の馬高遺跡で、1936年の事でした。また通常“火焔土器”と言いますが、実はこの名称は、最初に発見された土器の“愛称”だったのです。
正式には、最初に発見された土器以外は“火焔型土器”、あるいは“王冠型土器”と言われ、両者を包括して“火炎土器様式”と言います。ちなみに王冠型土器には鋸歯状のフリルはなく、4つの大きな突起は短冊状で短冊の片側の一部に切り欠きがあるのが特徴。ちょっとややこしい話ですが、“焔”と”炎”の違いと思っておけば良いでしょう。

馬高遺跡のすぐ傍に“馬高縄文館”があります。愛称が火焔土器と名付けられた最初の土器(写真:重要文化財、「新潟県長岡市教育委員会」所蔵)をここで見る事ができます。この施設は火炎土器展示に特化しており、まずここで本物をじっくりと見、その芸術性の高さを味わってください。

ところで、出土した火焔型土器には“おこげ”や“スス跡”がついているものがあり、実際に煮炊きに使用されたようです。芸術性の高い土器を実際に使用するとはもったいない気がしますが、芸術性と実用性の意識が我々とは異なっているのでしょう。

縄文館では前記火焔土器が入口正面に、またその周囲を巡る形で展示場が構成され、入口の右手側では鶏冠状突起やメガネ状突起などが細かく展示され、火焔型と王冠型の土器の違いを分かりやすく知る事ができます。
また縄文の人々は土器を作る時に土器の底に木の葉や網代を敷き、その上で加工をしたようです。この敷物跡が明確に残っている土器破片が入口左手奥に展示されています。土器製作現場の環境がこんな所から分かるのもここならではの見所です。

十日町市博物館〜国宝の縄文土器、国宝指定書も〜

十日町市博物館〜国宝の縄文土器、国宝指定書も〜

写真:松縄 正彦

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次にご紹介するのは信濃川の上流、十日町にある“十日町市博物館”(写真)です。この博物館は雪、織物そして信濃川(火焔型土器を含む)の3つを展示テーマにしていますが、、国宝に指定された“笹山遺跡出土火焔型土器・王冠型土器928点”がここで展示されています。これは新潟県で初めて指定された国宝、また縄文土器としても国内で初めて指定された国宝なのです。

この博物館ではロビーや通路に火焔型土器が多数置かれていますが、国宝の土器は、考古展示室(原始・古代)にあります。但し、多数の国宝があるため、順次入れ替えながら展示されており、“国宝指定書”が併せて展示されているのが面白い点です。こんな証明書があるのにまず吃驚してしまいますが、意外にあっさりと書かれた証明書です。

なお本館展示室では越後アンギンや染色材料などの展示もあり、これも中々見応えがあります。十日町は織物でも有名な場所なのです。

火焔土器をはぐくんだ新潟の縄文文化〜新潟県立歴史博物館〜

火焔土器をはぐくんだ新潟の縄文文化〜新潟県立歴史博物館〜

写真:松縄 正彦

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さて、また長岡市にもどりますが、馬高縄文館の近くに“新潟県立歴史博物館”があります。ここで縄文文化全体を知る事ができます。縄文人の暮らし、大陸との交流や各地で発掘された彩漆土器・櫛、仮面などが展示されているのです。

この博物館には信濃川流域で出土した火炎型土器を一堂に展示したコーナがあります。ほぼ全形の分かる火焔型土器90点が展示され(前掲最初の写真)、圧倒されるはずです。また縄文土器の“文様”の付け方を展示しているコーナもあります。縄の巻き方による文様パターンの変化が多数示され、よくこれだけのパターンを考えたものだと感心させられます。まさに職人の技です。

また土器とともにこの博物館でぜひ見て頂きたいのは“絵”(線刻画)です。南魚沼市の遺跡から出土したものですが、弓矢をもつ縄文人の姿が描かれています(写真)。またすぐ隣には“狩猟文土器”が展示され、この土器には矢をつがえた弓、4本足の動物、また2本の樹木と思われる対象が造形されています(青森県出土品)。
古代の絵というと弥生時代の銅鐸や土器の絵が有名ですが、縄文時代に書かれた“絵”を見られる場所は、この博物館以外ほとんどないはずです。

縄文時代の交流〜火焔土器に影響を与えた土器たち〜

火焔土器様式は信濃川流域で誕生したのですが、この様式には各地の土器様式が影響していた事が分かっています。火焔を表す鶏冠状突起は“東北”の大木式土器、隆線文やトンボメガネ状突起は”関東・中部地方”の勝坂式や新巻敬土器の影響を受けているのです。

この様式の土器は、新潟県内で約150ヵ所の遺跡から出土し、山形県・秋田県にもこの土器が運びこまれました。また、同じ流儀の火炎系土器といわれるものが福島県、栃木県、長野県、群馬県や富山県など隣接する地方でも出土しています。物資の交換だけではなく、地域間の文化交流が当時行われていた事が良く分かります。縄文時代はまさに地方の時代だったのです。

縄文土器は世界最古の土器ですが、火焔型土器は中でも独特です。岡本太郎氏は研究室まで足を運び、その形に感嘆し「火焔土器の激しさ、優美さ」と芳名帳に感想を記されました。火焔土器は東北・関東・中部、また北陸の文化をまとめて誕生した、まさに日本の宝物なのです。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/04/17 訪問

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