甲府に訪れたなら、まずはこちらを見ましょう。連戦連勝の信玄にもたらされた富は、甲府を中心に信玄の領国である甲斐の人々を潤しました。ゆえに、信玄の時代の甲府は空前絶後のバブル成長時代だったと言われます。
甲府駅南口広場に立つ、陣中で腰を下ろす武田信玄公像は3メートル。台座を含めると6メートルに及び巨大です。この大きさが、今もこの地では武田信玄が偉大な存在であることを示しています。
甲府駅の南側には武田信玄公像。対して、北側には藤村記念館が立ちます。明治8(1875)年に建てられた小学校舎で、当時の山梨県令・藤村紫朗が推進した町の洋化政策を伝える貴重な遺産です。
建物は木造2階建ての宝形造りで中央部に塔屋を乗せた桟瓦葺きです。漆喰の壁や軒天井の菱組の透かし打天井は白ですが、円柱、窓の戸や漆喰塗りのアーチ型の枠、外壁の隅の擬石隅積形などは黒に塗られており、このコントラストがクラシカルな印象を与えます。
当時の日本の建築技術で西洋建築へどのように近づこうとしたのかが知れるのが面白いです。入館無料の館内では、藤村紫朗に関する資料、再現された教室も見られます。
甲府駅の北口からまっすぐと北に延びる道があります。その長さ約2キロ。この道の先に水堀を廻らせ、入口に鳥居の立つ武田神社が鎮座します。祭神は武田信玄。水堀はかつてこの地が信玄の居館・躑躅ヶ崎館であったことを示す遺構です。
境内には宝物館があり、信玄公軍配や信玄公画像といった全国の武田家関係者から奉納された遺宝や、明治14(1881)年に京都三条家から寄進された太刀・吉岡一文字などの宝物が収蔵展示されています。こちらも見逃せません。
甲府の中心市街より東郊に構えるのは甲斐善光寺です。甲府にもこうした巨刹があります。開基は永禄元(1558)年、川中島の合戦で信濃善光寺が焼失することを恐れ、本尊などを奉遷するために建立したものです。ところが実際はこちらの善光寺が天災に人災にと焼失を繰り返してきました。
現在の金堂は明和3(1776)年から寛政8(1796)年にかけて再建されたものです。総奥行き49メートル、総高約27メートルは東日本最大級の木造建築と言えます。朱塗り・銅板葺きの鮮やかさ、貴重な仏像群、日本一の規模を持つ鳴き龍。みどころも豊富です。
甲府でぜひ訪れておくべき場所が信玄ゆかりのもの以外にもあります。それが中心市街の西郊、緑豊かな芸術の森公園敷地内の山梨県立美術館です。展示は主に西洋画、日本近現代美術、山梨ゆかりの画家の作品に分かれており、西洋画の中心は19世紀フランス・バビルソン派の巨匠・ジャン=フランソア・ミレーの作品が中心で、ゆえに山梨県立美術館は“ミレーの美術館”と呼ばれています。
ミレー、コロー、ルソーらの作品は自然とともに生きる農民たちが主人公。西洋の農村風景が穏やかに、時には躍動感を持って描かれています。木々の緑の美しさや、表情豊かな空の姿も強調されており、絵画を通し改めて自然の美しさに気付かされます。
富岡鉄斎、横山大観、梅原龍三郎、小磯良平などの作品も必見で、郷土の作家がどのような作品を制作したのかも気になるところです。甲府歴史探訪の気分転換にも良いでしょう。
いかがだったでしょうか。武田信玄ゆかりの社寺を筆頭に、近代建築、美術館を紹介してきましたが、実際はまだまだ見どころがあります。武田氏の館を守る砦の機能も有した甲府五山と呼ばれる寺院が駅の北側の市街に点在し、信玄の隠し湯と言われる湯村温泉、積翠寺温泉も健在。積翠寺温泉の付近には信玄の父・信虎が築いた要害山城跡も見られます。
甲府駅前には武田氏滅亡後の甲斐国を統治した甲府城があり、官公庁などにも近代建築が見られます。とかく見どころの多い甲府。多彩な楽しみを与えてくれます。
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(2024/4/23更新)
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