奈良・唐招提寺の天平の甍(いらか)は、鑑真和上の不屈の精神を今も伝え続けている

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奈良・唐招提寺の天平の甍(いらか)は、鑑真和上の不屈の精神を今も伝え続けている

奈良・唐招提寺の天平の甍(いらか)は、鑑真和上の不屈の精神を今も伝え続けている

更新日:2013/08/30 13:28

日本に正しい仏の教えを授けるために命を懸けて、鑑真和上(がんじんわじょう)が唐から来日したのは753年12月のこと。東大寺大仏殿にて聖武上皇・孝謙天皇らに正式な受戒を行い、日本の仏教の基礎を作り上げた。その鑑真和上によって創建された唐招提寺は、建築物も仏像も天平時代からの一級品を数多く揃えているだけでなく、その清く正しい不屈の精神をも今の時代に伝え続けているお寺といえる。

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金堂の雄大な大屋根と丸みを帯びた柱は、参拝者を天平へと誘う

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この唐招提寺は南大門から一歩境内に踏み入れると、ものすごく空気が優しい。正直これは文字で表すことはできないので、現地に来て頂かないと分からないのだが、とにかく癒される。金堂はこのお寺の本堂であり、天平時代の金堂建築として唯一現存する貴重な建物である。寄棟造、本瓦葺きで、左右に鴟尾(しび)を飾る。円柱の中ほどに膨らみをもつエンタシス式の柱が並ぶ姿は雄大で温もりがある。
解放された扉の奥には、御本尊の毘盧遮那(びるしゃな)仏を挟んで向かって右側に薬師如来・左手に千手観音と、三体の巨大な仏像が並び、四隅には東西南北をそれぞれ守護する四天王、それに梵天・帝釈天がおられ、その荘厳さに圧倒される。どの仏像もすごく厳しい眼差しで凛としたお顔をされているのだが、同時に慈しみに溢れているとでも言えばよいのか、とにかくとても温かく感じてしまうから不思議なものだ。
これらの仏像たちのお顔に、いったいどれほど多くの人たちが心癒され、救われてきたことだろうか。

講堂は唯一現存する、平城宮にあった建造物

講堂は唯一現存する、平城宮にあった建造物
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当時の日本では正式の授戒の制度はまだなかったので資格を持たない者が私的に出家してしまい、税や労役から逃れるために僧となる者が多く社会秩序の乱れにつながっていた。そこで聖武天皇の勅命により遣唐使と共に唐に渡った普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)という留学僧の決死の嘆願により、正式の伝戒の師として来日することになったのが鑑真和上であった。
初めの5年間は東大寺の戒壇院にて受戒をしておられたが、のちに平城京右京五条二坊の新田部(にいたべ)親王邸の跡地に寺領を譲り受け、厳しい戒律伝導の拠点として現在の唐招提寺を建立 。
この講堂は平城京に建っていた東朝集殿という建物を移築・改造したものであり、まさに平城宮の遺構として現存する唯一の建造物として非常に価値が高い。
お堂の中には鎌倉時代の弥勒如来をお祀りしている。

蚊に血を与えるのも菩薩の行

蚊に血を与えるのも菩薩の行
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鼓楼(ころう)は西側の対称的位置に建つ鐘楼(しょうろう)に対し「鼓楼」と称するが、この建物には太鼓があるわけでなく、鑑真和上が唐から持ってこられた仏舎利(釈迦の遺骨)を安置しており、そのため舎利殿ともいわれる。
ここでは毎年5月19日に梵網会(ぼんもうえ)通称「うちわまき」とよばれる行事が行われる。 これは、鎌倉時代に唐招提寺を復興した覚盛(かくじょう)上人を偲んで行われる行事であり、鼓楼の上から数百枚のうちわ(天平時代の夫人が持っている柄杓に似てハート型をしている)が撒かれる行事だ。
何故うちわなのか、これについては次のようなエピソードがある。ある日、修行中の覚盛上人が座禅をしているときに、蚊にさされそうになったのを見ていた弟子の僧が、その蚊を叩こうとした。すると上人は「生きとし生けるものは、何らかの施しで支えられている。蚊に自分の血を与えるのも菩薩行である」と言われたと伝わる。
そして覚盛上人が亡くなった後その徳をたたえ、教えを守るということで尼僧たちから「せめてこの団扇で蚊を追い払ってください」と霊前に供え、参拝に来られた人たちに授けるようになり、いつしか覚盛上人の命日に行われるようになったのが、この「うちわまき」の由来である。

御影堂(みえいどう)で鑑真和上の御心に触れる

御影堂(みえいどう)で鑑真和上の御心に触れる
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この御影堂は、興福寺別当坊一乗院の宸殿で、昭和39年に移築された建物である。宸殿の間の奥の厨子には国宝・鑑真和上坐像が安置されて、その周りを包むかのように東山魁夷(ひがしやまかいい)画伯による襖絵5部作がある部屋が取り囲んでいる。
正面にあたる南側の宸殿の間の「濤声(とうせい)」は鮮やかな色彩で描かれた海の絵で、荒々しい波から緩やかになるまでを部屋いっぱいに表現している。まるで幾多の困難を乗り越えて日本に来られた和上の渡航の様子が表現されているようだ。
御影堂は非公開なので6月5〜7日の3日間の開山忌のみの拝観となるが、2013年の春より「お身代わり像」が旧開山堂で常時公開されているので和上のお顔を拝することができるようになった。

深い静寂の中で鑑真和上の御廟に手を合わせる

深い静寂の中で鑑真和上の御廟に手を合わせる
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金堂・講堂をはじめとする諸堂を巡って、境内の一番奥に歩いていくと何ともいえない風情をもった土塀がでてくる。「鑑真和上御廟」と書かれた入り口を一歩入ると、一面ふかふかの苔と背の高い木立に包まれた空間が広がる。参道となる白砂の道の突当りに八角形に囲まれた墳丘があり、宝筐院塔が立っている。この前では誰しも襟を正したい気持ちになることだろう。
鑑真和上は「日本は仏法興隆に有縁の国…誰もゆかぬなら我がゆかん」と55歳で来日を決意、日本に正しい仏教の戒律を伝え続け、76歳の時この唐招提寺の宿坊で、西を向いて座したまま静かに波乱の人生を閉じられた。
梢を過ぎる風の音が、和上の厳しく優しい声のように聞こえ、温かく包まれるように感じる。
このように唐招提寺はけっして華やかなお寺ではないが、どこをとっても鑑真和上の人と心が感じられるお寺なのである。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2013/07/15 訪問

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