天狗使いの里に立つ千古の霊場!栃木県「金剛山瑞峯寺」

天狗使いの里に立つ千古の霊場!栃木県「金剛山瑞峯寺」

更新日:2016/04/11 19:13

古峰原金剛山瑞峯寺は、天平宝元年(757年)に日光山を開いた勝道上人により、奥之院三昧石が開創された修験道千古の霊場です。

日光山の発展とともに古峰ヶ原も多くの修験者で興隆しましたが、明治時代の神仏分離令と大正時代の大洪水により衰退しました。その後、浄地を現在の地に移し霊域も回復しました。

数奇な運命をたどった瑞峯寺は、北関東三十六不動尊霊場の第十七番札所で約50体の仏像が心を癒してくれます。

迎えてくれるのは青黒色の不動明王!

迎えてくれるのは青黒色の不動明王!
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不動明王は大日如来の化身と言われています。如来が手を焼く有情を救うため恐ろしい形相で表されます。目を怒らせ、右手に邪悪な心を断ち切らせる剣を持ち、左手には、悪い心を縛る羂索(けんじゃく)を持っています。

明王は、剣や龍にたとえられ、その像は金色か青黒色で作られます。瑞峯寺の駐車場を降りると、青黒色の不動明王三尊が迎えてくれます。明王の右側には制多迦童子(せいたかどうじ)、左手には矜羯羅童子(こんがらどうじ)を従えています。

明王の右側の制多迦童子は右手に金剛棒(こんごうぼう)、左手に金剛杵(こんごうしょ)という武器をもってけん制していますが、左側の矜羯羅童子は優しい顔で合掌しています。三尊像は平成元年に北関東三十六不動尊霊場の第十七札所に選定された際、建立されました。

お寺なのに鳥居?神仏分離令によって分離された数奇な運命

お寺なのに鳥居?神仏分離令によって分離された数奇な運命
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参道までの道沿いに天狗の履物、腰位の高さがある高下駄があります。その隣には日光山開山の祖、勝道上人とご本尊の金剛童子が並んでいます。金剛童子は制多迦童子と同じく、両手に金剛棒と金剛杵を持って邪悪な心を拒んでいます。

参道には鳥居があります。「ここはお寺では?」と疑問を感じますが、明治時代の神仏分離以前は、神仏習合の神社は特別なものではなく、日本中のほとんどが神仏習合であったようです。神社とお寺の分離が進む中、神社から寺は徹底分離されましたが、お寺からの神社の分離は緩かったようです。

右手に、「しゃくじょう龍」「剣」、左手に「聖観音」「弁天」、「十一面観音」が並ぶ石段を登ると、本堂前には両脇に仁王に守られた不動明王の座像があります。明王が座っている石は「盤石」といい、迷いが無い心を表しています。ここでは自然と背骨が伸び姿勢が正されます。

境内には、本尊の金剛童子をはじめとする50体の仏像!

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本堂には、本尊の金剛童子が安置されています。童子は蔵王権現と同体と云われ山岳信仰と仏教が結び付き、災いを除き、修行者を守り、願いをかなえてくれる日本独自の修験道の本尊です。本尊の金剛童子は秘仏なので姿を見ることはできません。

境内には、神変大菩薩やほうき地蔵、弘法大師、大日如来、聖観音など、約50体の仏像があります。修験道の開祖といわれる「神変大菩薩」は左右に、前鬼と後鬼を従えて右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に巻物を持ち、一本歯の下駄を履いて岩に座っています。神変大菩薩は、山岳信仰の第一人者で修験により鍛えたことから、足腰の弱い人を救ってくれます。

小さな体に優しい顔で立っているのは「ほうき地蔵」。ほうきを持ったこの地蔵は、愚痴などの心のゴミを掃除していつも綺麗な心にしてくれます。剣術と神通力に優れている「烏天狗」は参拝者に災難が起きた時、飛んできて取り除いてくれます。

不動明王の怒りの顔で邪悪な心を戒め、神変大菩薩やほうき地蔵、聖観音の優しい顔などに心が癒され、境内にたたずむと時間を忘れます。

奥之院は勝道上人が修行三昧の地

奥之院は勝道上人が修行三昧の地
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古峰ヶ原は、日光開山の祖・勝道上人の修行の地。鎌倉時代から深山巴の宿や三昧石を中心に、山岳信仰の修験者の修行の地となっていた霊地です。現在では、深山巴の宿は古峰神社の禊所となり、三昧石は瑞峯寺の奥之院となっています。三昧石は、岩が3枚重なっていることから名付けられたと伝わっていますが、勝道上人がここで座禅修行を続けたことから三昧石と名が付いたとも言われています。

朱塗りの鳥居には「古峰原金剛山瑞峯寺奥之院」と書かれ、灯篭と天狗の団扇が建てられ、石に沿うように建てられた本堂には金剛童子が祀られています。本堂右に、石を割って桜が伸びている「夫婦石」、左奥には、舟のように平たい石に、弁天竜神、大白竜神、弘法大師が祀られている「勝神舟石」が横たわっています。

すぐ近くには、途切れることなく湧水が湧く「聖観音菩薩金剛水」があり、三昧石は、厳しい修行場の感じはなく、穏やかな陽だまりの霊地です。三昧石へは、登山道を歩くので登山の装備が必要です。また、瑞峯寺では、4月〜11月の間、「講中奥之院三昧石参拝」、11月には「奥之院三昧石参拝」が行われています。

日光修験道の歴史「勝道上人」

日光修験道の歴史「勝道上人」
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勝道上人は天平7年(735年)に下野国芳賀郡に生まれました。子供が無かった両親が伊豆留(現在の栃木市出流町)の岩屋にこもり、自然が造った鍾乳石の千手観音像に祈願し懐妊したと伝えられています。このため、出流山(いずるさん)満願寺の十一面観音菩薩は、子授け、安産の信仰があります。

20歳の頃、伊豆留の岩屋にこもり、千手観音像に祈りを捧げ大剣峰(現在の横根山)で修行を積みました。その後、下野薬師寺に入門し、僧侶となり、再び、大剣峰に戻り修行を重ね、自分の信仰を完全にするために、誰も登ったことが無い、日光山(男体山)登頂を目指しました。そして、3度目の試みで登頂に成功します。この修行の地が、深山巴の宿、三昧石です。

勝道上人によって開山されたお寺は多数あり、栃木市出流町の「出流山満願寺」、日光市の「日光山輪王寺」と、上人が刻んだ十一面観音菩薩が本尊の「中禅寺」、温泉を発見したことにより開かれた、日光湯元の「温泉寺」など、数え切れません。

真岡市の仏生寺は「日光開山勝道上人誕生地」として県指定史跡になっています。

古峰ヶ原は天狗使いの里!神仏分離令で数奇な運命をたどった金剛山瑞峯寺

古峰ヶ原は、日光開山の祖、勝道上人の修行の地。そのため、古くから日光修験と深くかかわり、江戸時代には「天狗使い」と知られていました。瑞峯寺は明治時代の神仏分離令と、その後の洪水により衰退しましたが、浄地を現在地に求め、霊域も回復した、数奇な運命をたどった寺院です。

不動明王三尊が迎えてくれ、参道の左右には、金剛童子、弁天、しゃくじょう龍が並び、境内には、神変大菩薩やほうき地蔵など約50体の仏像に囲まれます。恐ろしい顔に緊張し、優しい顔に心休まり、なぜか心が癒される不思議な空間です。かつての日本は山や岩を神とする信仰がありました。その信仰を今に伝える瑞峯寺が貴方を待っています。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/10/24 訪問

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