奈良のアジサイ寺「矢田寺」と太子ロマン「斑鳩三塔」を巡る

奈良のアジサイ寺「矢田寺」と太子ロマン「斑鳩三塔」を巡る

更新日:2016/04/12 10:02

和山 光一のプロフィール写真 和山 光一 ブロガー
慈悲深い菩薩様の中でも、とりわけ身近な存在なのがお地蔵さん。その丸い笑顔のイメージにどんな花よりも似合うのがアジサイです。お地蔵さん発祥の古刹「矢田寺」では、約1万株のアジサイに埋もれるようにお地蔵さんが寄り添います。訪ねてみたい関西のアジサイ名所の上位にランクされる矢田寺でほのぼの気分に浸った後は、田園風景が広がる聖徳太子ゆかりの斑鳩の里に点在する「三塔」を訪ね歩き、太子ロマンに浸りましょう。

関西の紫陽花の名所「矢田寺」

関西の紫陽花の名所「矢田寺」

写真:和山 光一

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「矢田寺」は正しくは矢田山・金剛山寺と号し、矢田丘陵の中央、矢田山の中腹に位置する高野山真言宗のお寺で、我が国の地蔵信仰発祥の霊場の一つです。約1300年前、大海人皇子が矢田山に登って壬申の乱の戦勝を祈願したところ戦いに勝利し、飛鳥時代末の天武2(673)年に天武天皇の勅願により智通僧正が七堂伽藍四十八ヶ坊を造営、天皇の守り本尊といわれる十一面観世音菩薩と吉祥天が安置されました。

その後、平安時代初めの弘仁年間(820年頃)に満米上人と閻魔大王の裁きを補佐していたという参議小野篁により地蔵菩薩が安置されて以来、地蔵信仰発祥の地として栄え、“矢田のお地蔵さん”として親しまれています。このお地蔵様に因み植えられた約60種、1万株のあじさいはこの時期境内一帯に咲きそろい「あじさい寺」とも呼ばれています。あじさいの丸い花はお地蔵様の手に持っておられる宝珠の形でもあるとのことです。

「花のテラス」からあじさい園を一望

「花のテラス」からあじさい園を一望

写真:和山 光一

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本堂前にあじさい園があり、あじさいの森と化しています。1965年ごろから、山腹に大きく広がる境内に、日本庭園の研究家として知られる森蘊(もりおさむ)氏の流れをくむ造園家が手がけた京風の回遊式あじさい園を整備したのが始まりです。これが今や約一万株が咲きこぼれるまでになっているのです。竹や石を巧に配した園は、川のせせらぎを石伝いに散策するなど、ちょっとした山歩き気分も楽しめます。 お地蔵さんの間からひしめきあうように咲いているあじさいもまた風情があります。あじさい園の参道は細く人がすれ違うのがやっとなのですが、両側から様々な色彩の花が咲いていて迫ってくる感覚になり、控えめなあじさいの花もなかなかの迫力があります。あじさいの色は土の土壌によって色が違い 酸性だと青色、アルカリ性だと赤色になるらしく、とにかくお寺と雨に最も似合うのがあじさいでしょう。

お地蔵さんにはどんな花よりアジサイが似合います

お地蔵さんにはどんな花よりアジサイが似合います

写真:和山 光一

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境内には多くの石仏が点在していますが、その代表格が自家製の味噌を口元に塗ると味がよくなるという「味噌なめ地蔵」です。名前の由来は、昔近くに住む農家の主婦が自家製の味噌の味が悪くて困っていたところ、お地蔵さんに味噌をなめさせると味がよくなるという夢のお告げがあり、翌朝、矢田寺に参詣しその通りにしたら、味噌の味が良くなったという伝承からです。優しいお顔が、背景の丸く、かわいらしいあじさいの花と絶妙に似合っているように感じます。

あじさいの青色や紫色とお地蔵さまの赤色の前掛けがとてもカラフルで、「味噌なめ地蔵」以外にもいたるところで石仏とアジサイのコラボが見られます。あじさいに彩られたお地蔵さんは、いつにもまして身近で優しいお顔、お姿に感じられるはずです。

聖徳太子ロマンあふれる斑鳩の里を歩く。バス停を降りたら「法起寺」

聖徳太子ロマンあふれる斑鳩の里を歩く。バス停を降りたら「法起寺」

写真:和山 光一

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あじさいを満喫した後は、法隆寺行き臨時バスに乗り込み法起寺前で降りましょう。奈良市の南西、のどかな田園風景が広がり、美しい塔が点在する斑鳩の里は、世界遺産「法隆寺」を中心としたし静かな山里です。この斑鳩の里は、推古天皇の摂政として斑鳩宮を置いたことから始まり、太子ゆかりの古寺が点在します。

バス停のすぐ後ろが世界遺産「法起寺」です。推古30(622)年に聖徳太子が甍去される際に、息子の山背大兄王に太子が「法華経」を講じられた岡本宮を寺に改めるよう遺命されたのが始まりとされ、舒明10年(638)に造営されたと伝わります。聖徳太子の建立にかかる七寺の一にして「岡本尼寺」「池後尼寺」とも呼ばれており、金堂と塔の位置が法隆寺と逆になった法起寺式と呼ばれる七堂伽藍の大寺院だったとのことです。

当時の姿そのままに、今も斑鳩の空に高く聳え立っている三重塔(国宝)は慶雲3(706)年の完成で、創建当時の高さ24Mの現存するわが国最古の三重塔です。遠くより見る安定感、なだらかな斑鳩の里に調和した美しさをただよわせています。

田園風景が広がる大和古寺巡礼の道

田園風景が広がる大和古寺巡礼の道

写真:和山 光一

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ここから「法輪寺」まで田園風景の中、のどかな道を歩きます。推古30(622)年、聖徳太子の長子・山背大兄王が太子の病気平癒を祈願して創建されたと伝わります。土地の名にちなんで三井寺とも言われ、「法林寺」「法琳寺」とも書きます。法隆寺式伽藍配置をとり、七堂伽藍を完備していましたが、創建当時の建物はなく、法隆寺・法起寺とともに斑鳩三塔として美しさを讃えられた三重塔は、昭和19(1944)年に雷火で焼失し、昭和50(1975)年に昔ながらの工法で再建されたのです。そのため残念ながら世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物」には含まれていません。

講堂には、薬師如来坐像と虚空蔵菩薩立像の2体の飛鳥仏と6体の平安仏を安置されています。

世界遺産「法隆寺」は必見!

聖徳太子ロマン溢れる斑鳩の里・三塔めぐりのクライマックスは「法隆寺」です。飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られ、1993年世界文化遺産に日本で初めて登録されています。「法隆寺」は聖徳太子と推古天皇が先帝・用命天皇の遺志を継ぎ、推古15(607)年に創建されたという正式名は法隆学問寺。「日本書記」には天智9年(670)に伽藍が焼失したとあり、現伽藍は8世紀初頭に完成し、東大寺や興福寺のように兵火や天災に見舞われず、往時の姿を伝えています。「法隆寺」は五重塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。西院伽藍は中心に五重塔と金堂が並び、中門と大講堂をつないで回廊が囲む配置は法隆寺式伽藍配置と呼ばれていて、鎌倉時代に花開いた日本独自の仏教と違い、より大陸からの影響が残されています。

「五重塔」は高さ約32.5Mでわが国最古の五重塔として知られ、最も美しい塔だと言えます。それは初層から上に行くにしたがって柱間をせまくしていき、屋根もそれに応じて程よく小さくなっていき、こうして全体が調和のとれた二等辺三角形におさまっているからだといいます。斑鳩三塔は斑鳩の田園風景を彩る無くてはならないものになっています。

アクセスは近鉄郡山駅から奈良交通バス矢田寺行き臨時バスが出ていますので矢田寺まで行きましょう。矢田寺からは法隆寺行き臨時バスが出ていますので歩くのはチョットという方は法隆寺まで行って下さい。最寄駅のJR法隆寺駅まで徒歩20分です。

掲載内容は執筆時点のものです。 2014/06/29 訪問

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