ハバナだけじゃない!歴史と魅力あるキューバの町々を訪ねる

ハバナだけじゃない!歴史と魅力あるキューバの町々を訪ねる

更新日:2016/04/04 17:43

大竹 進のプロフィール写真 大竹 進 元旅行会社勤務、元旅行専門学校講師
アメリカと国交回復して今話題のキューバは、本州のほぼ半分ほどの広さがある、カリブ海最大の島でもあります。
従って首都ハバナ以外にも、歴史のある町、魅力一杯の町が各地にあり、ハバナだけでは得られない感動を、各所で味わうことができます。
今回はそんなハバナ以外のキューバにスポットを当てて、ご紹介致します。

コロンブス上陸の地バラコア

コロンブス上陸の地バラコア

写真:大竹 進

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1492年、コロンブスがキューバに上陸したのが、キューバ最東端の地バラコアです。

その際に立てたコロンブスの十字架が今も残っており、市内のバラコア教会に置かれています。
実際に立てた当初は2mほどあった様ですが、少しずつ持ち去られ、現在の高さは67cm。
小さくなったとはいえ、あのコロンブスが手を触れたであろうこの十字架を、500年の時を超えて目の当たりにできるのは感動です!

バラコアはキューバ最古の町であり、キューバ最初の首都でもありますが、三方を山脈で囲まれ海に面した町は、1960年代に道路が建設されるまでは陸の孤島でした。
市内に車は少なく、乗合馬車がまだまだ現役の庶民の足という、ひなびたのどかな町です。

キューバ革命が始まった地サンチャゴ・デ・クーバ

キューバ革命が始まった地サンチャゴ・デ・クーバ

写真:大竹 進

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東部にあるキューバ第二の都市サンチャゴ・デ・クーバは、キューバ革命の火蓋が切られた場所です。

1953年7月26日、政府軍兵士が集まっていたモンカダ兵舎(現モンカダ兵営博物館)を、カストロ率いる革命軍が襲撃しました。
この作戦は失敗に終わりましたが、1959年の革命政権樹立に向けての重要な第一歩となり、7月26日はキューバの革命記念日になっています。
兵舎には今も襲撃時の弾痕が生々しく残っていて、その当時の様子をリアルに思い起こさせてくれます。

旧市街の中心にあるセスペデス広場に面して建つ市庁舎では、革命直後、カストロ前議長がこのテラスから最初の勝利演説を行いました。

この広場にはサンチャゴ・デ・クーバを建設したディエゴ・ベラスケスの家もあり、キューバ最古の建物と言われていますが、現在はキューバ歴史博物館として、ベラスケスが使っていた家具を始め、16世紀から19世紀の調度品や装飾品などが展示されています。

市内にあるサンタ・イフィヘニア墓地にはキューバ建国の父ホセ・マルティの墓があり、それを警護する衛兵の交代が30分おきに見られます。

郊外にはカリブの海賊の襲撃を防ぐために建設されたモロ要塞(サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城)があり、世界遺産に登録されています。
要塞の前に広がるカリブ海を眺め、かつて海賊が押し寄せた光景に思いを馳せてみるのもロマンですね。

奴隷監視に使われたマナカ・イスナガの塔

奴隷監視に使われたマナカ・イスナガの塔

写真:大竹 進

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キューバ中部のトリニダー郊外にある、マナカ・イスナガの塔。
かつてキューバがスペインの植民地であった頃、ここロス・インヘニオス渓谷は大規模なサトウキビ農園が広がる一帯で、農園にはアフリカから連れて来られた多くの奴隷が働かされていました。
高さ45m、7階建てのこの塔には、奴隷監視のため各階に違った音のする鐘が取り付けられ、その音で様々な合図を送っていたということです。

急な階段を最上階まで登ると、渓谷に広がる緑のじゅうたんが360度眺められます。
塔の下には大農園主であったイスナガ家の邸宅があり、現在はレストランなどにも使われていますが、邸宅横の作業場には当時使われたサトウキビを絞る機械が置かれていて、観光客もサトウキビ絞りの体験ができます。
サトウキビ絞り機を動かす太い横木を押す作業は、数人がかりで結構体力が必要です。

塔への通路の両側に並んでいる洗濯物の様に見えるものは、ここの名産のレース製品です。
様々なデザインのテーブルクロスがかなり安く売られていますから、お土産にもお薦めです。

ここロス・インヘニオス渓谷は、トリニダーの町と共に世界遺産に登録されています。

フランスの香りがする町シエンフエゴス

フランスの香りがする町シエンフエゴス

写真:大竹 進

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キューバのほとんどの町がスペイン人によって建設されたのに対し、中部にあるシエンフエゴスは、19世紀初め砂糖やたばこ貿易の拠点としてフランス人移民によって建設され、他のキューバの町々とは異なった雰囲気を醸し出しています。

中心となるホセ・マルティ広場の周りにはコロニアルな建物が並び、一味違ったこの町は世界遺産に登録されています。

シエンフエゴスはキューバを代表する国民的歌手ベニー・モレの生まれ故郷でもあり、ホセ・マルティ広場へ続くメインストリートには、彼の横顔を描いたオブジェや銅像などが置かれ、人気の高さを感じます。

シエンフエゴスの他の見どころとしては、海岸沿いのゴルダ岬の先端にあるパラシオ・デ・バジェがあります。
約100年前に大富豪バジェが建設したムーア様式の豪華な邸宅で、現在は隣接するホテルのレストラン&バーになっていますが、屋上からはカリブ海が一望でき、一見の価値があります。

チェ・ゲバラが眠るサンタクララ

チェ・ゲバラが眠るサンタクララ

写真:大竹 進

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キューバ革命の英雄ゲバラは、1967年にボリビアで政府軍との戦闘において捕らえられ、処刑されてしまいましたが、その没後20年を記念して、1987年に革命戦争勝利の突破口になったサンタクララに、ゲバラの銅像と、同じく戦闘で亡くなった38人の慰霊を込めた霊廟が建てられました。

ゲバラの遺骨は長らく所在不明でしたが、1997年にボリビアで発見され、カストロの手でこの霊廟に納められました。霊廟内はバッグやカメラなど一切持ち込み禁止で、衛兵が警護する厳粛な空気が漂う中、ゲバラが永遠の眠りについています。

チェ・ゲバラ霊廟の横に置かれた銅像の台座には、「常に勝利に向かって」というゲバラの言葉が刻まれています。

サンタクララが革命戦争勝利の突破口になったというのは、1958年ここでゲバラ率いる革命軍が、バティスタ政権軍の装甲列車を襲撃し、多くの武器弾薬を奪った事からバティスタは亡命を決意し、革命勝利へのきっかけとなったことからです。
この時襲撃された車両がそのままトレン・ブリンダード記念碑として、モニュメントと共に残されています。

おわりに

キューバは400年にわたってスペインの植民地として統治されていたため、独立後100年以上経過した今でも、言語や宗教、建築物を始め様々な分野でスペインの影響が色濃く残っています。

スペインの植民地政策により、サトウキビやタバコの葉の栽培が行われ、現在でもキューバの主産業は砂糖と葉巻で、都市を離れると至る所にサトウキビ畑が広がっていて、町なかでは葉巻をくゆらす人を結構目にします。

アメリカとの国交回復で、首都のハバナなどは急激な変化が予想されるキューバですが、地方への波及にはまだ時間が掛かるでしょうし、ローカルの歴史ある街並は、観光政策上も保存されて行くのではないかと思われます。

田舎の小さな町でも、その町の広場ではいつも軽やかな音楽が流れ、豊かではなくとも明るい人々の姿が、何処にでも見られるキューバ。
ハバナを離れ、そんな古き良きキューバ、ハバナでは見られないキューバを、あなたも訪れてみませんか?

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/01/17−2015/01/26 訪問

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