BRT区間が終了する旧小川駅から県道を南下すれば田園の向こう、小高い丘の中腹に廃止されたはずの車両が顔を出します。高台に建つ小川南病院。その向かいの駐輪場には鉾田線の気動車が保存されています。
廃線当時まで約半世紀もの間現役で頑張っていた1957年製のディーゼルカーは、塗装し直されて非常に綺麗な状態のまま保存されています。
小川南病院から坂を下ると、田んぼの真ん中にぽつんと小川高校下駅跡が残されています。駅名表示板や線路、信号機などは取り外されていますが、それでも往年の雰囲気を今に残しています。
地元の子供達が学校行事でペイントした「未来へ走れ!鹿島鉄道」の文字が、虚しくも時代の流れを思わせます。
小川高校下駅跡から先、鹿島鉄道は暫く霞ヶ浦沿岸を走ります。かつては船運や漁業で賑わいを見せた霞ヶ浦ですが、今では長閑な農村と田園風景が広がるのみ。レールも撤去され雑草と葦に覆われ、土塁だけとなった廃線跡を辿れば、踏切や鉄橋、高架などだけが当時の面影を残しています。
生活道の上に掛けられたこの高架橋は、鹿島鉄道開通当時の大正15年製。
県道が岬を迂回するように丘を登った所で、霞ヶ浦側へと下る道があります。まるで林道のようなその狭い道は、竹藪や雑木林を分け入りながら下って行きます。するとやがて、まさかこんな所に駅が!?と思えるような森の中に、突然姿を現すプラットホーム。
霞ヶ浦沿岸を走る旧道には八木蒔集落があり、その集落の奥から丘の上の県道へと抜ける間に駅がある形となります。八木蒔集落は古くて立派なお屋敷が多く、それでいて廃屋もちらほら。モータリーゼーションに加えて、過疎化も利用客の減少へと繋がったのでしょう。
八木蒔の先、玉造町から廃線跡は霞ヶ浦を離れ、雑木林と田園の中を進んで鉾田へと向かいます。その鉾田のひとつ手前、坂戸駅跡も雑木林の中に隠されています。
山の裾野に広がる坂戸集落。立派な日本建築が建ち並ぶ静かな住宅街の中ほどの、まるで私道のような狭い路地が駅へのアプローチです。
坂戸には近くに日帰り入浴温泉「ほっとパーク鉾田」があり、そこにも鹿島鉄道の車両が保存されています。また鹿島鉄道の終着駅である鉾田駅跡にもプラットホームが残されていますが、こちらは東日本大震災当時の液状化現象で崩壊しています。
鹿島鉄道の遺構は年々解体工事が進んでおり、今回ご紹介しました遺構もいつ消えてしまうか分かりません。近年廃墟がブームとなりつつありますが、廃線跡という少し変わった廃墟を巡る旅も面白いものです。
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