スゴすぎる神話と伝説の杜!名古屋「熱田神宮」の特別な神域

スゴすぎる神話と伝説の杜!名古屋「熱田神宮」の特別な神域

更新日:2018/11/03 20:35

伊勢神宮、出雲大社とも異なる厳かな空気の愛知県名古屋市にある熱田神宮。草なぎの剣を御神体とし、天照大神始め五座神を祀る熱田の杜は、スゴすぎる神話と伝説の宝庫です。
熱田神宮本殿裏を巡る「こころの小径」を御存じでしょうか。熱田神宮でも特別に厳かな空気が漂う神域です。数々の神話や伝説が発祥した社を通り、熱田大神の荒魂を祀る一之御崎神社に至ります。神宮にまつわる伝説と「こころの小径」をご紹介します。

「蓬莱(ほうらい)、蓬左(ほうさ)」の由来は、楊貴妃にもつながる

「蓬莱(ほうらい)、蓬左(ほうさ)」の由来は、楊貴妃にもつながる
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「蓬莱(ほうらい)島」とは中国から見た「楽園」、不老不死の神仙が住む地です。東方の海にあると信じられました。熱田の杜は、美しい松林に囲まれ、海に突き出して見えたことから、古来「蓬莱島」だと考えられました。名古屋には「蓬州」や「蓬左」という呼び名もあり、「蓬左文庫」もあるのです。ひつまぶしで人気の「蓬莱軒」が熱田にあることにも因縁を感じませんか?

そんな熱田に伝わるのが楊貴妃伝説。唐の玄宗皇帝が日本を攻めようとした時、日本の神々が寄り集り協議、熱田の大神が楊家に生まれ、楊貴妃として玄宗皇帝をたぶらかし、日本攻略を思いとどまらせようと決まります。このたくらみは成功しますが、玄宗皇帝は安禄山の乱で楊貴妃を失います。楊貴妃に変身していた熱田大神は、元の姿にもどり、宇津海浦(うつみうら/現在の知多半島内海)まで船で戻り、熱田まで帰りました。そして、楊貴妃のために石塔が供えられたのです。

この石塔の先端の石が、清水社裏の泉にある石(写真)だと伝わっています。この石に3回泉の水をかけると、願いが叶い、この水で顔を洗うと世界三大美人の楊貴妃のようになれるというので、日本人、外国人を問わず、女性が集まるパワースポットです。清水社と泉は、こころの小径入り口からすぐにあります。

「蓬莱(ほうらい)、蓬左(ほうさ)」の由来は、楊貴妃にもつながる
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本殿、社務所と神楽殿前を通ると、右手に「こころの小径」の入り口があります。小径に沿って、土用殿があります。明治時代まで神剣(草なぎの剣)が奉安されていたお社です。

「蓬莱(ほうらい)、蓬左(ほうさ)」の由来は、楊貴妃にもつながる
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龍神社と先ほどご紹介した清水社があり、千年の時を超えた楠の巨木が大地を抱え込むように力強い姿で立っています。そして、金網で区切られた制限区域に入ります。こころの小径は、熱田神宮本殿の裏手をゆったりとうねります。うっそうとした杜に霊気が漂い、地面にはウラジロが密生します。平坦な熱田神宮にあって清水社を回り込むと、緩やかな登り。こころおだやかに歩きましょう。

やがて、小径は本殿の真裏へ出ます。更に進むと北西角に小さなお社、一之御崎神社です。熱田大神の荒魂(あらみたま)を祀っています。こころの小径は9:00〜16:00のみ参拝可能ですが、撮影制限表示がありますので注意しましょう。

一之御崎神社から本殿の西側を通り本殿前に戻ります、まっすぐに伸びた道に荘厳な空気が流れています。

熱田神宮の「五座の大神」とは

熱田神宮の「五座の大神」とは
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一之御崎神社(いちのみさきじんじゃ)の参拝をすると、熱田神宮本宮の西側を通り本殿前にでます。熱田神宮には、境内に本宮、別宮一社、摂社八社、末社十八社の二十八社あります。境外にも摂社四社、末社十三社あり、境内・境外合わせ四十五社あります。

本宮は、熱田大神である草なぎの剣を御霊代(みたましろ)とする天照大神を祭神とし、以下五柱を相殿神(あいどのかみ)として祀ります。

天照大神(あまてらすおおみかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやずひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)

素戔嗚尊は、天照大神の弟、日本武尊は、天照大神の子孫で十二代景行天皇の皇子。従い、この三神は大和朝廷に関わる神々です。

宮簀媛命は、日本武尊の妃。建稲種命は、宮簀媛命の兄。この二神は尾張氏の祖先です。建稲種命は、日本武尊の東征に副官として従ったといわれています。尊と命を分けているのは、命が尊にお仕えした関係です。草なぎの剣を打ち振った日本武尊を中心として五神のつながりが分かります。

熱田神宮の「五座の大神」とは
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熱田神宮南門(正門)の左側にある上知我麻神社(かみちかまじんじゃ/写真)。祭神は、乎止与命(おとよのみこと)で、宮簀媛命と建稲種命の父です。一方、熱田神宮北西の角に下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)があり、祭神は、真敷刀俾命(ましきとべのみこと)で、乎止与命の妃、宮簀媛命と建稲種命の母。下知我麻神社は熱田神宮西門から一旦境外へ出て、神宮横を北上しお参りします。

本宮の祭神、上知我麻神社、下知我麻神社に祀られる尾張氏の四柱の存在が、大和朝廷への貢献が大きかった事がうかがえます。

見どころがたくさんある熱田神宮

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1900年以上の歴史を持つ熱田神宮は、神話や伝説のほか、見どころも紹介しきれないほど豊富です。1560年の桶狭間の戦いで一躍勇名をとどろかせた信長。神も仏も信じない事で有名ですがこの戦い前に熱田神宮で必勝祈願をしました。大勝記念で奉納したのが信長塀(写真)です。日本三大土塀に数えられています。是非ご覧になって下さい。

見どころがたくさんある熱田神宮
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熱田神宮境内に7本ある大楠の一本。大蛇が住んでいることで有名です。卵を奉納できるのです。枝を見上げてみてはいかがでしょう。開運の大蛇が見つかるかもしれません。

見どころがたくさんある熱田神宮
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西行法師が腰かけた事があるといわれる、二十五丁橋(写真)。25枚の石板でできており、名古屋最古の橋と言われています。

亀の頭の上に上知我麻神社、亀の尾の上に何がある???

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蓬莱伝説にはもう少し続きがあり、「蓬莱島」(熱田神宮)は巨大な亀の甲羅に乗っているのです。熱田神宮の地下には(金シャチならぬ)金亀が住み、首の部分に別宮(上知我麻神社の右手)が建ち、頭の部分に上知我麻神社が建っているとのことです。写真は境内きよめ茶屋横の池に佇む亀たち。

亀の頭の上に上知我麻神社、亀の尾の上に何がある???
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熱田神宮の周囲の寺には「亀井山円福寺」など、今でも「亀」の字を持ったお寺さんが20社近くもあり、熱田神宮への旅へ誘います。さらに、伝説によればこの巨亀の尻尾の位置にはなんと、名古屋城が建っています。名古屋城の別名は「亀の尾城」と言うのです。

亀の頭の上に上知我麻神社、亀の尾の上に何がある???

1785年頃、西門近くにきよめ茶屋があったそうですが、焼失しました。これに因んで出来たのが「きよめ餅」です。名古屋の銘菓きよめ餅は、きよめ茶屋で楽しめる他、東門前のきよめ餅総本家、名鉄神宮前駅ビル1F名店街でも購入可能です。

熱田宿(宮の宿)は東海道随一の旅籠数〜シーボルトも渡った宮の渡し

熱田宿(宮の宿)は東海道随一の旅籠数〜シーボルトも渡った宮の渡し
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30分ほど時間に余裕のある方におススメの散策をご紹介します。

熱田神宮南門門前を東西に1号線が横切ります。1本南に、並行して旧東海道が通ります。この辺りが伝馬町です。神宮南門から1号線を挟んだT字路に、熱田宿道標が建っています。北の面には、「北 南 京いせ七里の渡し これより北あつた御本社弐丁道」と彫られています。

熱田宿は宮の宿ともよばれ、東海道でも屈指の規模を誇りました。天保14年(1843年)に旅籠の数では248軒、東海道随一でした。家数は2,924軒、人口は10,342人で、家数、人口でも三本の指に入っていました。本陣2軒(赤本陣、白本陣)、脇本陣1軒を構える大宿場町でした。

熱田宿(宮の宿)は東海道随一の旅籠数〜シーボルトも渡った宮の渡し
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道標から北方向を望むと熱田神宮南門がみえます。

熱田宿(宮の宿)は東海道随一の旅籠数〜シーボルトも渡った宮の渡し
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道標から南へ19号線を渡ると、蓬莱軒(本店)の前を通ります。更に200mほど行くと、七里の渡し(宮の渡し)跡。ここから桑名まで七里(約28km)、風次第ですが約3時間の舟旅でした。シーボルトや芭蕉などあらゆる人々がここを通っています。(東海道五十三次で海上を渡るのはこの他に、浜名湖の「今切りの渡し」がありましたが、こちらは1里半ほどの短距離でした)

おわりに、

五座の大神が祀られた熱田神宮に関わる歴史や伝説は、途方もない面白さがあります。本殿参拝のあと、こころの小径を歩いてみてはいかがでしょう。

熱田神宮へは名古屋駅から名鉄電車で神宮前まで10分程、下車後神宮東門から参拝できます。地下鉄は神宮西駅から神宮西門から入場できます。自動車は東門、南門、西門の3カ所に駐車場があります。

定番の「きよめ餅」、「宮きしめん」、「蓬莱軒」情報をMEMO欄に入れておきます。熱田の境内、境外を甘味やグルメしながら散策してみてください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/03/29−2018/11/02 訪問

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