子規が生まれ、山頭火が没した町で文学散歩〜愛媛・松山〜

子規が生まれ、山頭火が没した町で文学散歩〜愛媛・松山〜

更新日:2016/04/15 15:20

松山といえば何を思い浮かべるでしょうか。地元の方と松山についてお話をするとよく上がるのは、秋山兄弟と正岡子規。そう、司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』の主人公たちです。松山は作家・司馬遼太郎にも歌人・正岡子規にもゆかりが深いのです。さらに、正岡子規はここ松山で夏目漱石とも親交を深め、高浜虚子を弟子にしていました。

子規の関係図の外にも松山ゆかりの文人は多く存在します。松山は文学の町なのです。

松山時代の正岡子規を想う「子規堂」

松山時代の正岡子規を想う「子規堂」
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はじめに、松山は文学の町と紹介しました。事実、松山にはこれを実感することのできる場所が多数あります。今回はこうした場所をご紹介したいと思います。まずは子規堂です。

子規堂とは、子規が上京する17歳まで住んでいた住居を記念館にした建物です。場所は松山で愛されている伊予鉄道のターミナル駅・松山市駅のすぐ南、正宗寺の境内にあります。元々の住居は松山市駅北西の花園町にありましたが、子規と文学仲間であった正宗寺の当時の住職が子規の業績を記念して住居を境内に移し、残したことに始まります。

建物の中では子規の遺品などが展示され、子規が松山中学入学以降に使用していた勉強部屋(写真)や、同じく子規が勉強していたとされる居間が子規のいた面影を伝えています。

また、子規堂には投句ポストなるものがあります。これは子規や漱石の生誕100年祭の記念事業として観光俳句を募集したことに始まり、市内90か所以上に設置されているものの一つです。俳句にも挑戦してみてはいかがでしょうか。

子規の生涯を追体験します「松山子規記念博物館」

子規の生涯を追体験します「松山子規記念博物館」
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正岡子規について知れる建物は、道後温泉の近くにも存在します。それが湯築城跡の道後公園内に立つ松山子規記念博物館です。展示資料が多く、テーマに分けながら詳細に正岡子規の生涯を伝えているのが特徴で、松山の歴史を知ることのできる資料も揃います。

学歴は共立学校、第一高等中学校、帝国大学へと進学するまさに秀才コースをたどり、日本新聞社へ入社。学生時代は野球にのめり込み、文学を志してからは結核と闘いながら俳句を中心に写生的な表現を追求しました。亡くなったのは満34歳でした。佳人薄命、子規の人生は短命ながらも非常に凝縮されたものだったことが分かります。

また、豪雨による土砂崩れで平成22(2010)年に全壊してしまった、子規と夏目漱石が同居していた愚陀佛庵の一部も館内に復元しており、こちらも必見です。

山頭火終焉の庵「一草庵」

山頭火終焉の庵「一草庵」
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子規の記念館が湯築城跡にある一方で、松山城の北、山のすぐ迫るところには、自由律俳句で知られる防府出身・種田山頭火終焉の地があります。一草庵です。一草庵は山頭火が死に場所を求めて結んだ庵です。貧しさを味わいながらも托鉢の旅を続けた山頭火でしたが、齢を感じて死に場所を求め、知人の奔走も功を奏してこの地に居を定めることが叶いました。

松山は当時から“俳句的な土地柄”として知られ、遍路をもてなす旅人に慣れた土地でもあり、温泉もあります。新居に移ったとき、「すべての点に於て、私の分には過ぎたる栖家である」と感涙したと言われています。そして、ここで最晩年の1年を過ごし、果てたのです。

建物は6畳と4畳半の部屋からなる簡素な木造平屋建てでガラス戸、庭も灌木や草花が彩る簡単なものです。風情はあまり期待できませんが、文学の町、俳句の町をよく実感できることでしょう。

シンプルかつ粋な空間と庭が心地よい「庚申庵」

シンプルかつ粋な空間と庭が心地よい「庚申庵」
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松山城の西には、庚申庵という庵もあります。これは、江戸期に活躍した俳人・栗田樗堂(ちょどう)の建てた草庵です。樗堂はここで松山の俳友との交遊を深め、俳諧の道を究めながら隠棲しました。花木に溢れた庭園を望むことのできる庵は、手前の三畳間と奥の四畳半間の2つの部屋に分かれています。三畳間では煎茶を楽しみながら友と交わり、四畳半間では俳諧を楽しみました。

四畳半間には床の間が無く、上座がないので誰もが平等な立場です。抹茶よりも作法の簡単な煎茶を好んだことといい、床の間を設けなかったことといい、樗堂の名利を取り払って誰とも気軽に親しもうとする精神が窺えます。

文学をテーマにした旅も、また一興

市内には多くの句碑が立ち、松山城下には坂の上の雲ミュージアムも開館しました。坂の上の雲ミュージアムの展示内容は、館名から察せられる通り。ここを拠点に『坂の上の雲』を軸にしたまちづくりも進められています。

また、多彩な句碑にはこれまでに紹介した正岡子規、夏目漱石、高浜虚子、種田山頭火は勿論のこと、河東碧梧桐、野村朱燐洞、小林一茶、柳原極堂といった俳人の名も見られ、実に松山ゆかりの俳人が多かったことを感じられます。

松山には、松山城や道後温泉のような一級品の観光名所もありますが、松山の文学にもまなざしを向ければ、より豊かな松山旅が楽しめることでしょう。俳人たちの足跡を偲び、同じく一級品の風雅な精神世界を覗いてみてはいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。

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