雪女や平将門も!東京「青梅」で楽しむ”妖怪”探し

雪女や平将門も!東京「青梅」で楽しむ”妖怪”探し

更新日:2016/03/04 12:32

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー
奥多摩の東京青梅市、ここは隠れた妖怪の里です。あずき婆、ムジナババアや、こんにゃく岩・・など40以上の妖怪が居た地です。小泉八雲の怪談“雪女”の話しは、この地の”雪女郎”などの言い伝えがもとになったのです。また青梅の地名そのものも、怨霊となったあの”平将門”に由来します。さあ青梅で妖怪探しをしてみましょう!

まずは“にゃにゃまがり(七曲り)”から

まずは“にゃにゃまがり(七曲り)”から

写真:松縄 正彦

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青梅駅前は猫だらけです。これは住吉神社がある関係で、ネズミを退治する猫が”町興し”に使われた事に由来します。ということで青梅に来たら、まず駅の近くの“にゃにゃまがり”(写真)を通って探検にでかけましょう。
ここはその名の通り、いかにも猫が好きそうな細い路地で、300匹近くのいろんな猫がお出迎えしてくれます。どんな猫がいるか見ながら好奇心を高め、まずは猫の妖怪さんから探してみましょう。

猫地蔵〜常保寺

猫地蔵〜常保寺

写真:松縄 正彦

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市民会館前の坂を下りたT字路の左手に常保寺があります。ここにいるのが最初の妖怪“猫地蔵”(写真)です。
このお寺には有名な“大涅槃図”があります。涅槃図にはいろんな動物が描かれているのですが、“猫”は描かれていません。これはお釈迦さまのお使いがネズミだった事と関係します。猫のいない涅槃図があるお寺に猫地蔵、とはなんとも不思議です。涅槃図から抜け出して来た、あるいはおれも加えろと言っているのでしょうか?

さらに不思議なのはこの猫地蔵、背中に“南無妙法蓮華経”と彫られています。この言葉は”日蓮宗”の題目として有名ですが、この常保寺は”禅宗”です。これも不思議千万ですね。
この猫、左手を上げています。”招き猫”は左手を上げると千客万来を意味するとされますが、この猫地蔵も「開運招福」「商売繁盛」にご利益があるとされます。しかし神社に招き猫は普通ですが、お寺に猫というのは珍しいですね。

またこのお寺の周りは、妖怪が多数出現した場所です。まず常保寺の道路向いに青梅美術館がありますが、ここの駐車場は“おりん淵”といわれた場所です。昔、おりんという娘さんが居ましたが、不幸が続き、多摩川に身を投げたのです。それ以降、深夜、この近くでは「しくしくしくしく」と泣く”おりんさんの泣き声”が聞こえてくるとか。また傍の交差点には昔、橋があったのですが、養えない赤子をこの橋から流したといわれます。このためここは”赤子橋”と呼ばれ、赤子の声が聞こえるといわれます。
さらに、近くにはムジナが出る原っぱがあったといわれ、近くの清宝院では”ムジナババア”という上半身だけの妖怪が出、人を襲ったといわれているのです。夜更けにこの寺の辺りを歩くのは避けた方が良いでしょう。

閻魔大王〜梅岩寺

閻魔大王〜梅岩寺

写真:松縄 正彦

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にゃにゃまがりを抜け、線路の北側にあるのが“梅岩寺”です。ここには、冥界の王、地獄で裁きを下す閻魔大王様(写真)がおられます。地獄で閻魔様に嘘をつくと舌を引き抜かれるといわれますが、ここの赤い顔の閻魔様は鬼ではなく、写真のように百体ものお地蔵さんに囲まれ、慈悲を施されている優しい方です。実は安産の神様になっているのです。そういえば一寸、笑っているようで優しい表情をしていますね。

雪女の地〜調布橋

雪女の地〜調布橋

写真:松縄 正彦

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それでは、次に”雪女”の地に行ってみましょう。「小泉八雲」の雪女の原話は武蔵国調布村の農夫(ソウハチ)から聞いた話とされているのですが、その調布村は青梅市の”調布橋”の辺りとされています。そう、雪女の話は八雲が島根から東京に転居してから作られた話なのです。青梅市は現在、都心と同じく降雪量が少ないのですが、江戸時代にはここは豪雪地帯で、雪が四尺(約120cm)も積もったという記録があるそうです。
調布橋は多摩川にかけられていますが、川幅が広いため昔は渡し舟で多摩川を行き来していたといわれます。また橋ができてからもここから身投げをする人も多かったとか。

昔、橋は黄泉の世界との境界でもありました。川の両岸で世界が違うという事が意識されたのでしょうか?この場所には「雪おんな縁の地」という碑(写真)が建てられています。この題字は、小泉八雲のお孫さんの「小泉時」氏が揮毫されたものだそうです。
なお、青梅では雪女とはいわず”雪女郎”あるいは雪座頭という言い方をしています。また昭和レトロ館の2階には”雪女の部屋”があります。雪女に関する資料がありますのでこちらもお楽しみ下さい。

平将門〜金剛寺

平将門〜金剛寺

写真:松縄 正彦

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平将門は怨霊となった事で有名ですが”金剛寺”は将門が建立した寺と伝えられています。境内には将門が植えた(馬のムチ代わりにしていた梅の枝)といわれる梅が茂っています(写真)。この梅、”秋になっても青いまま”で、青梅のあるところ、とこの地が呼ばれた事から”青梅”という名前がついたのです。青いままとは不思議な梅ですが、将門と青梅は縁が深いのです。また名前のように青梅は梅の名所です。春先にこの地を歩くと梅の香りが心地よく漂ってきます。

なお、金剛寺の近くでは、”笑い地蔵”という妖怪も出たといわれます。深夜、笑いながら地蔵が話しかけてくるのです。

ところで将門の乱では、成田山新勝寺の不動明王が将門を調伏するのに用いられました。驚くことになんと金剛寺の近くにはこの新勝寺のご本尊を模刻した不動明王を本尊として祀る寺があります。前記のムジナババアをご紹介した”清宝院”です。怨霊となった将門を、この青梅の地で、今も封印しているのかもしれません。

宿場と妖怪

妖怪探し、いかがでしょうか?
青梅街道の宿場町青梅。この地にはいろいろな人々がやってきました。地元に伝わる話、出入りの人々から伝えられた話等をもとに、独特の妖怪話がはぐくまれてきたのです。ご紹介した他にも、人を化かすのが得意な“テン”の妖怪”テンマル”や”こんにゃく岩”などなど多数の妖怪がいました。昔は不思議な現象、弔われなかった霊などを妖怪としたのでしょう。また、この地は多摩川が流れ、川の両岸であの世とこの世を意識し易かったのかもしれません。
妖怪はこんな日本人の心のあり様を反映した存在です。古い姿が残る青梅、お子様と探検しても楽しい思い出がつくれるはずです。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/02/27−2016/03/01 訪問

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