写真:藤 華酉
地図を見るロードス島はギリシャ、エーゲ海に浮かぶ島です。ギリシャ領ではありますが、アテネよりはトルコのイスタンブールに近く、古くから交通の要として栄えて来ました。
その歴史は伝説に遡る程古く、世界七不思議の「ロードスの巨人像」が立っていたのもここだと言われています。ギリシャ神話やローマ帝国の時代の史跡にも事欠きませんが、この記事では主に中世、聖ヨハネ騎士団が活躍した時代の観光スポットをご紹介致します。
写真:藤 華酉
地図を見る青い海や砂浜、熱帯の木々が茂るロードス島に、重苦しい石造りの城砦は違和感があるかも知れません。それもその筈、この城砦を建設したのはギリシャ人ではありません。聖ヨハネ騎士団は、スペイン人やフランス人、ドイツ人などを含む多国籍騎士団でした。特に、ロードスの城砦、「騎士団長の館」の建設にはイタリア人が多く関わっていたそうです。今でも、ロードスの町は、スペイン地区やイタリア地区と言った国ごとの地区に分かれており、イタリア門やスペイン塔と言った名の付く建築物が残っています。
写真は騎士団長の部屋です。床のモザイクは大理石製で、非常に美しいものですが、意外に質素に感じるのでは無いでしょうか。エルサレム時代から、ヨハネ騎士団は裕福ではありましたが、清貧を旨とし、実際イスラム教徒との戦いに明け暮れていました。煌びやかな生活を送っている場合ではなかったのかも知れないですね。
余談ですが、現在もロードス島には騎士団の末裔であるイタリア人や、のちの勝利者であるトルコ人が多く住んでいます。つまり、ロードスに観光に来る方は、食事にも期待出来ると言う訳です!
写真:藤 華酉
地図を見るロードス島、ロドスの旧市街は世界遺産に登録されています。旧市街はぐるりと回っても2時間程度の然程大きくない町ですが、町を囲む城壁の堅牢さは世界でも類を見ません。
5〜10m程の二重、三重の分厚い城壁、湖のように深い堀、要所要所に建つ高い塔、と付け入る隙の無い造り。写真は町の山側ですが、今となってはすっかり公園と化した深い堀が残っています。城壁を回りながら、スルタンに命じられたトルコ兵になったつもりで、篭城戦を突き崩せるポイントを探すのも楽しいかも知れません。途方にくれる事請け合いです。
また、町中には30cm×30cm程度の丸い石が無数に並んでいます。これは、ロードス騎士団VSトルコ戦の際、トルコ側が打ち込んだ砲弾です。文字通り雨のように降り注いだので、戦後も処分に困り、今ではガードレール代わりやご家庭の漬物石に使われていたりもします。
写真:藤 華酉
地図を見るロードス旧市街は一周しても徒歩で二時間程度。狭い小道が多い為、旧市街の中は電車は通っておらず、バスも疎らです。見所は「騎士団長の館」「施療院」「スレイマン・モスク」「イタリア人の門」などで、全て徒歩圏内に収まっています。しかし、ロードス旧市街は「城砦都市」。その全ての小道、崩れかけた城壁、草生した中世の民家など、町の至る所がフォトスポットです。
旧市街の中は、魅力的なレストランや可愛いお土産屋さんも盛り沢山なのですが、この島は観光業で成り立っている島。冬場(11月〜3月)は殆ど休業になってしまう点にお気をつけ下さい。
ロードス島はギリシャ領ではありますが、位置的にはトルコに近接しています。また、ロードス島に最も多く訪れる観光客は、中世・自分の国の騎士・夏のリゾート地が大好きなドイツ人。こうした事情から、ロードス島にはトルコのイスタンブールか、ドイツのフランクフルト・ミュンヘン空港からの便が便利で、特に夏のシーズン中は毎日のように飛行機が発着しています。ギリシャのアテネからは飛行機で一時間半程度です。
ロードス島へは、エーゲ海のクルーズでも到着できます。サントリーニ島やクレタ島を経由する定期便が週に3本程度出航しておりますので、時間にたっぷり余裕がある時には、青い海を眺めながらの長旅もオススメ出来ます。
ロードス島はファンタジーの中の世界ではありません。今会いに行ける島です。ギリシャのイオニア風建築や、トルコのイスラム建築の中にぽっかりと残った中世ヨーロッパ。治安も良く、島に残ったイタリア人とトルコ人のお陰で食事も美味しく、世界でも有数の城砦を持つ世界遺産は、死ぬ前に一度は見るべき歴史の舞台です。
宗教紛争が再発している現代、今は平和なかつての宗教戦争の舞台で、歴史に思いを馳せてみるのはいかがでしょう。
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(2024/4/24更新)
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