キリストの墓は、国道454号線沿いの駐車場が整備されたキリストの里公園にあります。
キリスト教の伝来は1549年となっています。織田信長の認可によりイエズス会のフランシスコ・ザビエルらによって布教が開始されましたが、豊臣秀吉の時代になると仏教からの強い意向があり、布教は厳しくなります。そして徳川家康の時代では隠れキリシタンとならざるをえませんでした。それにしても、ここが「キリストの墓」となれば歴史はまったく変わってしまいます。
昭和10年、日本のピラミッドを調査していた鳥谷幡山という画家に同行した竹内巨麿が、自分の家系に伝わる古文書と照らし合わせた結果、ここがイエス・キリストの墓だと発表したのです。
墓は二つ存在しています。イエス・キリストはゴルゴダの丘の十字架で死なず、かつて神学を学んだ日本に逃れます。実際に十字架にかかったのは弟のイスキリであり、この地で没したキリストと、イスキリの二つの墓となったのだと伝えられています。
新郷村には昔から不思議な習慣があったと言われます。
・旧家の家紋が六芒星に似ている。
・生まれた赤ん坊を初めて外に出すとき額に十字を書いた。
・父親をアヤ(アダ)と呼び、母親をアバ(ガガ)と呼んでいた。
なお、2004年には新郷村に、イスラエル東部のエルサレム市の「友好の証」として石碑が寄贈されており、キリストの墓近くで見ることが出来ます。
キリストの墓から左側に進むと「キリストの里伝承館」があり、ここでお土産を購入することが出来ます。ユニークな物は「新郷生キャラ煎餅」です。これは生キャラメルと南部煎餅が一つになった物ですが、他にも様々な物があります。
また、地域に伝わる様々な伝承コーナー、手打ちそば体験コーナーがあります。休憩を兼ねて立ち寄るには便利な場所となっています。
キリストの墓から西に約6キロ離れた山中に、「下大石神ピラミッド」はあります。鳥居をくぐると、そこに倒れた巨石群を見ることが出来ます。こちらには太陽石、方位石、星座石、鏡石と呼ばれる岩があります。
太陽石は古代において光っており、その反射する岩に古代の人々は礼拝していたとされます。方位石は正確に東西南北を指示し、星座石には古代の星座が刻まれ、鏡石には古代文字が刻まれているとされますが地震で倒れた鏡石は、文字面が下になり読み取ることが出来なくなっていると伝えられています。
日本のピラミッドはエジプトのように人工的に石をくみ上げるのではなく、自然の山の地形を利用したものが多いと言われます。昭和10年のキリストの墓発見に続き、翌11年に日本のピラミッドとして酒井勝軍により発表されたのがこの場所です。
巨石の石質はそれぞれ異なっているという指摘があり、その一つは青森県の日本海側にある深浦から出る石質と同じとされ、岩木山麓に住んでいた鬼が戸来まで運んだという伝説が残されています。
巨石群を見るためには斜めの山道を通ることになります。鏡石は山道を少しではあるものの下まで降りることになりますので、足元には注意しましょう。
「大石神ピラミッド」から正面の道に戻り、600m程奥に進むと、右側に「上大石神ピラミッド」の登山道があります。トレッキングとなりますので、足元を守るシューズを履いて登りましょう。
15分程登ると山頂に到着します。ここにある巨石は、まるで意図的に組まれたかのように存在しています。山頂からは前面が開けて見えますので、気持ちの良い眺めを楽しめます。
キリストの墓伝説と古代のピラミッドの話は、海外にも知られるほど有名です。そしてキリストに関してはそれだけではなく、十和田湖方向に進むと迷ケ平(まよがたい)と呼ばれる場所があり、そこがエデンの園であったという話も伝わっています。
歴史的にも論争になったことがあるこれらの場所。これを機会に、新郷村のミステリースポットに足を運んでみませんか?
最後に、青森県には不思議な石碑や霊場恐山、河童がいる神社、国宝の縄文土偶等があります。詳細は下記の関連MEMOをご覧になり、ぜひ旅行の参考として下さい。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索