諸葛亮孔明も訪れた四川省の世界遺産・都江堰の美しさと難事業の歴史

諸葛亮孔明も訪れた四川省の世界遺産・都江堰の美しさと難事業の歴史

更新日:2018/08/03 20:23

中国四川省都江堰市西部に位置する「都江堰」は、古代の治水工事場所にも関わらず、今も使われています。その昔、地域の人たちを困らせる岷江(川)の氾濫があり、水を治水しようと一人の男が立ちあがります。工事半ばで病没しますが、息子が難事業を引き受け完成し、四川省は「天府之国」と呼ばれるようになります。

三国志の諸葛亮孔明が重要視し何度も訪れ、2000年に「世界遺産」に認定された「都江堰」をご紹介します。

世界遺産「都江堰」とは

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成都空港がある四川省成都市からは、北西約60kmと近いところに都江堰はあります。

紀元前272年、秦王の命を受け、李冰が四川省の太守となります。広い四川をくまなく歩き、やがてこの地にやって来ました。そこで知らされた状況は、極端な水不足になるかと思えば、今度は川の氾濫で苦しむ農民。そこで李冰は大規模な工事を行おうと立ちあがるのです。

どのようにすべきか現地の調査に3年の年月をかけ、じっくりと状況を観察しました。春の雪解けで水かさが一気に増すことにより、川の流れが緩やかになる辺りで水があふれることも突き止めます。上流にダムを作り水量を調整するのが一番確実な方法ですが、軍用水路として活用する必要があることからも、直接岷江の工事を行うこととしたのです。

紀元前256年から紀元前251年の間で、最初の堤が完成します。山を削り、暗渠を埋め、砂の流出を防ぐ、難工事の連続でした。その後も工事は続きますが、やがて李冰は病に倒れ、息子の李二郎が志を継いで、完成させます。

そして四川省は、穀物が豊かに実る大地として「天府之国」と称されるようになったのです。

「伏龍観」の近くの見落とされがちな「商木」

「伏龍観」の近くの見落とされがちな「商木」
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正面から入ると、古代の李冰の石像がある「伏龍観」があります。こちらは荒れ狂う龍を縛り付けた場所と言われます。龍は水の象徴であり、治水を物語るものです。

もちろん、こちらも見逃すわけにはいきませんが、建物の右側に「商木」という看板がありそこに古い木が残されています。これは約3000年前のものです。世界でも極めて珍しい古木ですので、見落とさないようにしましょう。

治水の様子が分かる「水利文化展庁」

治水の様子が分かる「水利文化展庁」
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都江堰を、パネルや模型を使って説明している展示館が「水利文化展庁」です。説明の他にも民具の展示もあります。また、様々なお土産品を購入することが出来ますので、休憩を兼ねて足を止めてみて下さい。

先端の「魚嘴」

先端の「魚嘴」
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都江堰の先端に当たる場所に魚嘴(ぎょし)があり、観光ではここで折り返すことになりますが、難工事であった治水作業において、川の中央に魚嘴という堤防を築き、水の流れを外江と内江に分けたのです。これにより外江で水量の調整を行い、内江で農地へ水の引き込みを行うことが出来るようになります。なお、川を二つに分けるというアイデアは、李冰によるものと伝えられています。

魚嘴の上から川を眺めると、どれだけの難工事であったのかを感じることが出来るでしょう。

明の時代に焼け落ちた「安瀾橋」

明の時代に焼け落ちた「安瀾橋」
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全長261mのこの橋は「安瀾橋」と呼ばれ、宗の時代に竹と木で作られ、全長500mありました。しかしながら明の時代(1368−1644)の戦乱で、焼け落ちています。長らく橋は存在していませんでしたが、1803年にある夫婦の呼び掛けから始まり、再び橋が通されるのです。そこから夫婦橋とも呼ばれています。その後は修復、掛け替え等が行われ、現在の美しい姿になっています。

橋の上から滔々と流れる岷江を眺めて、長い歴史に思いをはせてみるのはいかがでしょうか。

諸葛亮孔明が何度も訪れた世界遺産「都江堰」

李冰親子が都江堰を整備したからこそ、成都は豊かな大地となり「天府之国」と呼ばれるようになりました。三国志の英雄、諸葛亮孔明は都江堰に重要な意味を見出しており、何度も訪れては治水工事を指揮しています。諸葛亮が尊敬した人物こそ、李冰だったのです。

これを機会に、世界遺産であり、はるか古代の技術が現代でも生かされ、諸葛亮孔明とも縁が深い都江堰に、ぜひとも足を運んでみて下さい。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/05/06 訪問

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