さすが原産国!春のイスタンブールは色鮮やかなチューリップの街

さすが原産国!春のイスタンブールは色鮮やかなチューリップの街

更新日:2016/02/05 11:05

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ レトロ建築探訪家、地域の魅力伝え人
「チューリップはオランダ」と思っていませんか。確かにオランダはチューリップの生産で有名ですが、チューリップはもともと中央アジア付近で育っていたもの。トルコから欧州に伝わったものなのです。
この歴史都市では美しい花と世界遺産の景色が同時に楽しめるだけでなく、伝統ある手工芸品にもたくさんのチューリップが見られます。
さあ、街中のいたるところで様々な色のチューリップが咲きほこる、春のイスタンブールへ。

イスタンブールへは、郊外からたくさんのチューリップがお出迎え

イスタンブールへは、郊外からたくさんのチューリップがお出迎え

写真:万葉 りえ

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イスタンブールは世界有数の大都会。

古くはビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルとして栄えたイスタンブール。オスマン帝国の首都となっても、東西交易シルクロードの重要都市として物品も人も富も集めてきた歴史を持っています。

ビザンティン帝国のテオドシウス2世は、この豊かな街を守るために城壁を築いていました。大部分は5世紀前半に造られたものですが、今でもイスタンブール市内に当時の様子をとどめて残っています。
城壁の内側、旧市街は過去と現在が交差する街。歴史地区は街ごと世界遺産となっています。

トルコのエーゲ海側には、あの木馬で有名なトロイ遺跡や、世界最大級の古代都市遺跡エフェス遺跡などがあります。イスタンブールとそれらの観光地をつなぐ道路にもこんなにチューリップが咲きほこって、人々を迎えてくれます。

トルコ民族とチューリップの深いつながり

トルコ民族とチューリップの深いつながり

写真:万葉 りえ

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チューリップはもともと、中央アジアからアナトリアにかけて生育していたようです。

トルコ民族ももとは中央アジアにいた騎馬民族。衣服などにチューリップの模様を使っていたようです。その後、数百年をかけて西へと移動していき、それとともにチューリップも西へと広がっていきました。

トルコ民族の多くが移動する中でイスラム教に改宗していったのですが、イスラム教は神や預言者の姿を描くことを禁止している宗教。そのため、モスクの中を彩るタイルなどにも、盛んにチューリップの模様が使われるようになりました。

また、祈りをささげるためにひざまずくカーペットの模様にもチューリップが使われることがあります。

日用品から美術工芸品まで、トルコではさまざまなチューリップを見ることができるでしょう。それは、日本人が桜に対して持っている気持と同じようなものなのかもしれません。

チューリップを愛したスルタン

チューリップを愛したスルタン

写真:万葉 りえ

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オスマン帝国23代皇帝(スルタン)アフメト3世は1703年に即位したのですが、その頃は17世紀から続いていたロシアやオーストリアと戦争では敗退が続き、国家の財政がかなり悪化していました。
そこで彼はお金がかかる戦争をやめて、平和外交政策へと変更します。

また活版印刷をトルコ領内でも許可し、さらに印刷された書物を所蔵するために図書館をいくつも建設させます。おかげで、一般の人々にも西欧の知識が広まっていくことになりました。
国家の財政も安定し、平和になって、華やかな宮廷文化が花開くことになりました。

外交使節も訪れるようになり、トプカプ宮殿ではアフメト3世が開く宴が毎日のように催されたといいます。
そのトプカプ宮殿の庭に、皇帝が好んでたくさん植えさせたのがチューリップです。現在でもこのようにトプカプ宮殿はチューリップがあふれるほど咲いて、人々の目を楽しませているのです。

多くの人に愛されて

多くの人に愛されて

写真:万葉 りえ

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話は少しさかのぼりますが、16世紀にオスマン帝国の勢力がヨーロッパの奥へと達するにつれて、チューリップも伝わっていきました。

チューリップの名前は、その形がトルコの人たちが頭に巻いていたターバン(チューブバン)に似ているから呼ばれるようになったといわれています。

やがてヨーロッパの花愛好家たちの間で人気が高まり、球根が高値で取引されるようになっていきました。
そして、世界最初のバブルといわれている「チューリップバブル」がオランダで起こったのです。

スルタナメット広場の観光バスの発着場そばでは、紳士が日本製カメラでチューリップを接写!現在でもチューリップのかわいらしさに魅了される人はヨーロッパにもたくさんいらっしゃるようです。

総大理石でつくられた宮殿の庭にも

総大理石でつくられた宮殿の庭にも

写真:万葉 りえ

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ボスフォラス海峡沿いに優美な姿を見せるのはドルマバフチェ宮殿です。

オスマン宮廷にはトプカプ宮殿があるのですが、アブドゥルメジット1世はヨーロッパの様式を取り入れた宮殿の建設を始めます。それが1843年から13年の月日をかけて造られたドルマバフチェ宮殿です。

オスマン伝統様式にバロック様式を融合させ、部屋数が285室もある壮大な宮殿。大ホールにはイギリスのヴィクトリア女王から贈られたという重さ4.5トンのクリスタルのシャンデリアが輝きます。

しかしここは歴史の遺産ではなく、現役の迎賓館でもあるのです。
アフメト3世がトプカプ宮殿にチューリップを植えたのと同じように、この宮殿の庭にも春になると色とりどりのチューリップが咲いています。

豪華な宮殿を見学した後は、潮風が心地よい庭園でチューリップを楽しんでくださいね。

おわりに

「チューリップはオランダ」だけではなく、歴史を紐解けば「チューリップはトルコ」ということを知っていただけたと思います。

伝統的な陶磁器の絵付けや、絨毯など、さまざまなものにもチューリップが欠かせない国、トルコ。

咲いている花も、そして文様として描かれた花も楽しめる街。
さあ、麗しい、春のイスタンブールへ出かけてみませんか。

掲載内容は執筆時点のものです。

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