西行も秀吉も愛でた桜絵巻!世界遺産吉野山「三万本桜」への旅

西行も秀吉も愛でた桜絵巻!世界遺産吉野山「三万本桜」への旅

更新日:2016/01/26 17:54

和山 光一のプロフィール写真 和山 光一 ブロガー
全山を覆い尽くほどの桜で知られる奈良県吉野山。紀伊山地の北端に位置し、古来より日本一の桜の名所として知られてきました。修験道の開祖・役行者が桜の木に蔵王権現の姿を彫ったと伝えられることから、桜は御神木として守られてきたのです。 そこには日本固有の宗教・修験道が息づき、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に登録されています。桜の花と信仰が長い歳月をかけて作りあげた風景をじっくり歩いてみてください。

桜を御神木とする修験道が吉野山の絶景を作り出す

桜を御神木とする修験道が吉野山の絶景を作り出す

写真:和山 光一

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吉野山には古来桜が多く、ソメイヨシノの原木であるシロヤマザクラと呼ばれる山桜を中心に約200種3万本の桜が密集しています。儚げで可憐な山桜は、おのおの下千本、中千本、上千本、奥千本と呼ばれている4箇所に密集しています。吉野の桜の素晴らしさはなんといっても遠景にあり、多くの桜が“一目に千本見える豪華さ”という意味で「一目千本」と讃えた古人に倣い、千本桜を遠くから眺めた時の見事さは、春爛漫の圧巻の桜絵巻を描いています。

山桜は例年4月初旬から末にかけて、山麓の下千本から中千本→上千本→山頂の奥千本へと順に、尾根から尾根へ 谷から谷へと山全体を埋め尽くしてゆきます。このような咲き方は吉野山の地形が、吉野川のほとりから大峰連山の北端に位置する吉野山に達するまで一すじに上がっている為で、標高が上がるにつれ開花時期がずれて、南北約8kmの吉野の尾根や谷をうめる薄紅色の桜が下から上にはいあがるように咲いていくので長く見頃が楽しめます。

吉野山は、秘められたさまざまな歴史の跡も色濃く留めています。役行者ゆかりの修験道聖地、源義経や後醍醐天皇が演じた歴史ドラマ跡、西行や芭蕉が逍遥した文学の足跡など、世界遺産にも指定されたスポットを身も心も桜色に染めて、古に思いを馳せながら歩きます。

吉野の桜を有名にした西行の庵のある吉野山最奥部の「奥千本」

吉野の桜を有名にした西行の庵のある吉野山最奥部の「奥千本」

写真:和山 光一

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「奥千本」とは、金峰神社と西行庵周辺の桜を指す言葉で、大きな群落こそありませんが、ひっそりと佇む桜は楚々として美しい。世界遺産の「金峯神社」は、吉野山の最奥、奥千本にひっそりと立つ古社で、古くから黄金の守護神として信仰を集め、中世以降修験道の行場として知られ、『栄華物語』に藤原道長参拝の記録が残ります。吉野山の総地主神で金鉱を守る「金山彦命」が祀られています。境内には、頼朝の追われた義経が身を隠したという「義経隠れ塔」が残り、追っ手に囲まれた際、屋根を蹴破って逃げたことから蹴抜けの塔とも言われています。

金峰神社から先は、大峯山を通って熊野本宮大社に至る厳しい修行の道「大峯奥駈道」で、その途中を右に折れ山道を登ると15分程で「西行庵」に出ます。『古今和歌集』の代表的歌人の一人である西行が、吉野山の桜を愛し、俗塵を避け三年間幽居した場所と伝わり、庵の中には西行像が安置されています。ここでは時に、周囲の谷に散った桜の花びらが風で吹き上げられ、辺りが桜吹雪に包まれるという幻想的な風景を見られることがあるといいます。

歌舞伎十八番『義経千本桜』の舞台「上千本」

歌舞伎十八番『義経千本桜』の舞台「上千本」

写真:和山 光一

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奥千本から道なりに下って行き、上千本に鎮まる静寂境「吉野水分神社」からが、義経伝説をもとに源氏と平氏の人間模様を描いた人気演目、歌舞伎の『義経千本桜』の舞台となる「上千本」です。

大和の式内社の水分神社は、水の配分を司る天之水分大神を祀り、大和の東西南北に祀られ、東の宇太と南に当たるここ吉野、あと葛城と都祁の4社だけなのです。また、「みくまり」が「みこもり」と転訛し、平安時代には子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を集めていました。豊臣秀頼や本居宣長もここの申し子とか。社殿は慶長9年(1604)豊臣秀頼により再建され、本殿・拝殿・弊殿・楼門・回廊からなる桃山時代の特色をもった美しい建物で、その本殿は三殿が一棟に連なる珍しい形です。

尾根道下ると吉野山随一の眺めといわれる「花矢倉展望台(上千本)」に着きます。眼下に上千本、中千本、そして淡紅色に煙る山の向こうに吉野山のシンボル蔵王堂を見下ろすことが出来、山一面に咲き誇る桜は絶景です。平忠盛寄進で日本三古鐘(奈良太郎、高野次郎、吉野三郎)の名鐘「三郎鐘」もあり大晦日には中千本に位置する蔵王堂の鐘と上千本にある三郎鐘からも除夜の鐘が鳴り響き、おごそかな雰囲気の中、吉野山に新年の訪れを告げます。

御醍醐天皇ゆかりの吉水神社より、山肌を埋め尽くす桜を眺める「中千本」

御醍醐天皇ゆかりの吉水神社より、山肌を埋め尽くす桜を眺める「中千本」

写真:和山 光一

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「中千本」とは、吉野山の尾根と谷の向かいにある如意輪寺との間に広がる桜の群落です。吉野山でも最も桜が多いところで遊歩道も設けられていて、尾根道から眺めるだけでなく、中千本の中を歩いたり、腰を下ろして弁当を使いながらじっくり花見ができます。

中千本一のビュースポットは太閤秀吉が文禄3年(1594)に花見の本陣を敷いたという「吉水神社」からの“一目千本”です。この宴が日本の花見の発祥とされているように、目の前に胸がすく山景色が広がります。

世界遺産・吉水神社は、中千本でとりわけ日本史に縁の深い神社です。足利尊氏に京都を追われた後醍醐天皇を迎えての行宮となったり、源頼朝に追われた源義経や静御前が隠れたりとたびたび歴史舞台に登場してきます。吉水神社は元は吉水院と称し役小角の創立と伝える吉野修験金峯山寺修験宗の僧坊でしたが、現在は後醍醐天皇、楠木正成・宗信法印を祭る神社となっています。

修験道の総本山「金剛峯寺 蔵王堂」を訪ね、一目千本の眺望を味わう「下千本」

修験道の総本山「金剛峯寺 蔵王堂」を訪ね、一目千本の眺望を味わう「下千本」

写真:和山 光一

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吉野山の尾根上にひときわ高くそびえる「金剛峯寺 蔵王堂」は修験道の聖地・吉野山を象徴する世界遺産。役行者によって白鳳年間に 開かれた修験道の根本道場・金峯山寺の本堂で高さ34m、四方36mの重層入母屋造り・桧皮葺の大伽藍は室町時代に再建された木造古建築では東大寺大仏殿に次ぐ規模といわれ、堂内には巨大な3体の蔵王権現を本尊として祀られています。(通常は拝観できない秘仏)
蔵王堂の正面にある四本の桜「四本桜」は、元弘3年(1333)北条方に攻められた大塔宮護良親王(後醍醐天皇の第3皇子)が吉野城落城寸前にこの桜の前で最後の酒宴を催したといわれる桜なのです。

「下千本」は近鉄吉野駅付近の桜の群落をいいます。日本三鳥居の一つ「銅の鳥居」(あとは安芸の宮島・朱丹の大鳥居/大阪四天王子・石の鳥居)を過ぎ、総門(黒門)をくぐって尾根道を下り、明治天皇の后・昭憲皇太后御野立跡付近から、一目千本と称えられた下千本が一望できます。『これはこれはとばかり花の吉野山』と江戸時代の俳人・安原貞室が詠んだのもこのあたりの眺望だと考えられています。あとは「七曲り」と呼ばれるつづら折りの坂を下りながら下千本の群落の中を通って吉野駅に到着します。

混雑を避けて快適に歩くために

桜の時期、吉野山は大変混雑します。特に週末の午後は、黒門から金峯山寺までの尾根道の両側には土産物店などが軒を連ねていて思うように歩けません。この賑わいを避けることと疲労を軽減するために、先ずバスで奥千本まで行ってしまいましょう。

バスは桜の時期には臨時便が出ていて、近鉄吉野駅前から中千本口行きのバスで中千本口バス停まで、そこから徒歩約5分の竹林院前の奥千本口行きバス乗場まで移動し、バスで奥千本口バス停まで登ります。標高が上がるほど花見客は少なく、最初に奥までバスで登って、あとは下りで見てまわる方が楽です。

吉野山の尾根道は奥千本を除いて舗装されていますが、急な坂道もあり履きなれた靴で行って下さい。やはり吉野山は山なのです。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2014/04/12 訪問

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