京都洛北にある2つの菌類の碑(いしぶみ)を訪ねる旅

京都洛北にある2つの菌類の碑(いしぶみ)を訪ねる旅

更新日:2016/01/30 18:20

京都の叡山鉄道の沿線には、微生物にかかわる二つの珍しいいしぶみ(碑)があります。ようやく私たちの目の前に、本来目に見えぬ世界の生きものであった微生物が次々と姿を現してきた21世紀。これらの二つの碑を訪ねて、ミクロ世界の未来を考える旅にでてみましょう。

一乗寺村・曼殊院脇にある珍しい微生物供養の「菌塚」

一乗寺村・曼殊院脇にある珍しい微生物供養の「菌塚」
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叡山鉄道修学院駅から道なりに東へ10分ほど歩いたところに、鷺森神社があります。現在の祭神はスサノオノミコト。その社殿の南の宮川にかかる御幸橋を渡ると曼殊院道へ出、その先に曼殊院の勅使門が見えてきます。門跡寺院の内院は見事な庭園と黄不動で有名です。時間がゆるせば拝観いたしましょう。

菌塚へは、やや北側の曼殊院通用門をのぞき、拝観受付に声をかけて芳名録に署名(拝観ではないのでもちろん無料)ののち、寺院脇の小道を奥にたどります。杉木立の中にひっそりとたたずむ菌塚は、工業用酵素剤メーカー大和化成の元社長・笠坊武夫によって1981年建立されました。

碑文には「人類生存に大きく貢献し犠牲となれる無数億の菌の霊に對し至心に恭敬(ぎょうけい)して茲に供養の憶(おもい)を捧ぐるものなり 菌塚題字 坂口謹一郎」と刻まれています。坂口氏とは微生物研究の第一人者で元東大名誉教授。

戦後の日本の経済復興は、発酵と酵素の微生物利用の発酵産業によってなされました。
古代よりの発酵食品づくりの経験知の蓄積があったことが幸いして、我が国でのその本格的な応用は、タカジャスターゼ、グルタミンソーダにはじまります。発酵と酵素、それに遺伝子組み換え操作技術が加われば、世界制覇も夢ではありません。

しかし、ダイナマイトの大量使用に必須のグリセリンを糖から分泌することからオーストリアではじまった微生物利用工業は、人形石からウラニウムを抽出する技術にいたるまで、そもそも戦争目的で発達してきたものであることを忘れてはなりません。

目に見えない世界の生きもの・微生物は、私たち庶民が気がついたときにはあらゆる産業の心臓部分をなしていることが明らかになってきたのが21世紀なのです。
この菌塚は、その意味でとても重要なメッセージを持っています。

岩倉の尼吹山にある「まつたけの碑」

岩倉の尼吹山にある「まつたけの碑」

修学院駅からまた叡山鉄道に乗り継いで、岩倉駅で下車。岩倉門跡寺院の実相院を目指しましょう。

この院の脇にある石座(いわくら)神社付属の小さな霊園脇から尼吹山への踏み分け道を辿ること20分。頂上手前でまつたけの碑に出合います。頂上付近には都の鎮護を祈念した岩倉納経塔もあり、ここ岩倉が京都でももっとも忘れられた、いにしえからの聖地であったことが判かります。

鞍馬石で造られた傘の開いた松茸とその幼菌がなかよく並んだまつたけの碑。その成菌の柄には大徳寺の僧による「松茸の碑」の文字。裏には「故浜田稔博士に教えを受けた者一同これを建てる」と書かれた銅板がはめこまれ、浜田博士の3回忌の1983年に建立されました。

この尼吹山こそが、戦後京都大学から始まった野生大型菌類、すなわちきのこの研究、とりわけまつたけに代表される特定の植物と菌根でつながり共生する菌根菌の研究に心血を注がれた日本菌学会関西談話会の産みの親・浜田博士が、33年間通われた場所なのです。

同じ目には見えない微生物であっても、通称・きのこと呼ばれる野生の菌類(=fungus)は、ほんの2〜3日、私たちの目に触れるほどの大きさの胞子を飛ばす器官・きのこ(子実体)を作ることから、大型菌類とされ、人類と独特の関係を築いてきました。

時に死にいたらしめるほどの毒性を発揮するきのこ。
実験室内ではいまだにきのこをつくるメカニズムが完全には解明できないきのこ。
この微笑ましくもひょうきんなまつたけの碑は、地球最後の征服されざる自然の代表・野生生物の面目躍如たるものがあります。

岩倉のルーツである石座神社

岩倉のルーツである石座神社
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実相院の駐車場北側の坂道をのぼると小ぶりな社が2殿並んだ神社に出ます。これが岩倉地区の産土神を祀る石座神社です。元は近くの山住神社にあったものですが、後述する大雲寺創建の際に鎮守社として遷座されたものです。

10月23日に斎行される例祭は岩倉火祭と呼ばれ、未明に神前に燈明を点じ、雌雄大蛇になぞらえた大松明を燃やして五穀豊穣を祈りるもので見ものです。またこの神社には、12体の神々がまつられていますが、中でも重要なのは東社の東側ある一言主明神社。あらゆる善・悪を一言で効験あらしめる呪言神です。

神仏無き時代を生き抜く大雲寺とその跡地に癒しの滝を訪ねて

神仏無き時代を生き抜く大雲寺とその跡地に癒しの滝を訪ねて
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岩くらの狂女恋せよほととぎす 蕪村

右上にホトトギス、左下にアジサイが描かれた蕪村58歳頃の自画賛に冒頭の句がありますが、実相院・石座神社のある広大な土地にはもともと大伽藍の大雲寺があり、『源氏物語』の「若紫」にも登場する岩倉観音で有名なところでした。

この大雲寺旧境内にあった脳病に効能のあるとされる2筋の細い滝は、古くから岩倉狂院のシンボルとして知られていましたが、大規模な病院と介護施設に変貌したのちは消失して久しいと言われていました。しかし、本堂は近くに再建され、小滝も、残っており、行基の手になると伝えられる秘仏の十一面観音も保存されています。

「京都は一日にして成らず」この岩倉の地は、そんなしぶとい京都魂にも出会えるところ。ぜひ訪ねてほしいものです。

最後に

人類最先端技術の花形産業・微生物による発酵と、地球の緑を守る森のきのこ。同じ微生物による人工と自然の両世界の間に地球と人間の抱える問題のほとんどすべてが包摂されています。この両翼のバランスを回復することのみがわたしたちの明日を確かなものとするのです。

平安時代より続いてきた大伽藍が、金銭をめぐるトラブルから人災により跡形もなく消失したといわれる大雲寺。

こんな古都をめぐる風変わりな旅も、列島とそこに住む人々の現代から近未来を考えるためには、時に必要ではないかと思っています。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/01/10 訪問

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