日本国の最初の都「飛鳥」。その原風景は1400年間変わることなく守り続けられている。

日本国の最初の都「飛鳥」。その原風景は1400年間変わることなく守り続けられている。

更新日:2013/07/31 11:00

「飛鳥」は律令国家としての最も古い都であり日本国として原点といえる。飛鳥時代の宮殿や住居などの遺跡が数多く眠っており、現在でも発掘調査が進められている。また、太古の時代の原風景がそのまま保存されている村なので、「日本の心の故郷」と呼ばれたりもする。
実際ここは日本で唯一村の全域が古都保存法対象地域であり、歴史的風土保存の対象となっている。
守り続けていくというのは並大抵の努力ではないはずだ。

石舞台は飛鳥時代の遺構として、もっとも有名で人気のあるスポット

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明日香村の中には沢山の史跡、名所があるが中でも特に有名なのがここ、石舞台古墳。
一辺が50mある方墳(四角い古墳)だったが、何らかの影響で土砂が流れ落ちてしまい、玄室という棺を安置するための部屋の石がむき出しになってしまって、このような形になってしまったと考えられている。
羨道(せんどう)と呼ばれる通路は11m横穴式の構造で、中に入れる。
玄室(げんしつ)の中は長さ7.7m幅3.5m高さ4.7mあるのですごく広いし石が大きい。

当時にしてみても1人用のお墓としては 相当大きな規模であることから、この古墳の被葬者は蘇我馬子であると云われている。

飛鳥には1400年変わらぬ日本の原風景がある

飛鳥には1400年変わらぬ日本の原風景がある
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太古からの原風景を留めている場所というだけなら日本には数多く存在するだろう。しかし飛鳥は、かつて日本の都がおかれ政治の中枢であった場所であった。
そこが他所とは大きく異なるところだ。

日本の都は藤原京・平城京・長岡京・平安京・東京へと移り変わり、時はどんどん流れてゆく。だがそれは決して消えて無くなってしまった訳ではなく、しっかりと国を支える歴史として積み重なっている。

飛鳥は西に金剛山・葛城山・二上山、東は三輪山・多武峰、南は吉野山に囲まれた地にある。その中にあって「大和三山」とよばれる畝部山・耳成山・天香久山に守られている。
これらの名前は万葉集や百人一首などによく登場するので、和歌や詩歌、俳句などを通じて古代の人たちの暮らしや心情などが詠まれて、現代の人たちにも親しまれている。

この景観は1400年前から何ら変わらずここにあり、来訪者を温かく静かに迎え入れてくれ、優しく包んでくれる。

伝・飛鳥板葺野宮(あすかいたぶきのみや)は大化の改新の始まりの舞台

伝・飛鳥板葺野宮(あすかいたぶきのみや)は大化の改新の始まりの舞台
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日本は本来、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の子孫である天皇を中心とした国家造りを進めてきたので、当然ながら「神道」の国だった。
しかし今の中国を中心に、東アジア諸国ではすでに仏教が広まっており、もはや一つの国として建国するには仏教は必要不可欠のものだった。そして、仏教を通じて海外と交流することで文字をはじめ、暦、薬、芸能、といった先進的な文化を積極的に取り入れようとしていたのが蘇我氏。
それに猛反対したのが天皇家よりも古くから軍事と神さまの祭祀を司ってきた物部氏であった。
要するに仏教推進派と神道保守派の戦いが始まり、それはやがてお互いの息子の代になって大きな戦いへと進んでいくこととなる。
そして戦いに勝利した蘇我氏は、入鹿が大臣になった頃には、もはや天皇家を畏れ敬うこともなく、わがもの顔で次から次へと権力をふるい暴虐のかぎりをつくした。
しかしやがて蘇我氏を滅亡に追いやることになった、国家を揺るがす大事件が起こる。645年の乙巳の変…。その現場となった飛鳥板葺宮の遺跡がこちちらである。

すべては…ここから始まった。

入鹿(いるか)の首塚は蘇我宗家の滅亡の証

入鹿(いるか)の首塚は蘇我宗家の滅亡の証
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たび重なる蘇我入鹿の暴虐に、有力豪族の反感は頂点に達し、そこで蘇我氏討伐に立ちあがったのが中大兄皇子と中臣鎌足であった。
二人は周到な計画を練り上げて、645年6月飛鳥板葺宮において、高句麗・百済・新羅の三国からの貢物を献上する儀式の最中に入鹿の首をはねて殺害した。その知らせを聞いた父の蝦夷(えみし)も自宅に火を放ち自害し、蘇我宗家はここに滅んだ。
これが大化の改新の始まりとなる、古代史最大のクーデター「乙巳の変」である。
はねられた入鹿の首は約800mほど離れた法興寺(現在の飛鳥寺)まで飛んだとされ、蘇我氏の邸宅があったと云われる甘樫丘を臨むその地に首塚が残されている。

甘樫丘(あまがしのおか)は飛鳥全体を見渡せる最高のスポット

甘樫丘(あまがしのおか)は飛鳥全体を見渡せる最高のスポット
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ここ甘樫丘は標高148mの丘陵で、展望台からは真南を除いておよそ300度の眺望が楽しめる。飛鳥寺や水落遺跡をはじめとする明日香村の集落はもちろんのこと、大和三山とその中心にある藤原京跡、遠くには金剛山・葛城山・二上山・生駒山までもが見渡せるので、飛鳥を知る上では欠かせないスポットだ。
二つある展望台への登り口は幾つかあるが、南北に約1kmある尾根や麓には遊歩道が完備されているし「万葉集」などで詠まれた植物が植えられており、植物と歌の解説もあるのでゆっくりと万葉の世界に浸ることができるだろう。
とくに夕暮れはこの通り、畝傍山と二上山が夕陽に照らし出され、もはや言葉にならない感動を覚える。
かつてここには蘇我蝦夷・入鹿親子の大邸宅があったとされているが、それもうなずけるというものだ。

現在は丘全体が国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区となっている。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2013/05/24 訪問

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