徳川ミュージアムへは、水戸駅北口からバスに乗って10分と便利。偕楽園の梅桜橋からも徒歩8分ほど。水戸の名所、偕楽園や千波湖からも歩いていくことができ、風光明美な水戸を存分に味わえる立地。
ともかくウォーキングという方には、水戸南口から桜川沿いに歩いて千波湖に向かい、橋を渡り偕楽園センター前のなだらかな坂道を歩いて行くコース。また桜川の橋のたもとには、レンタサイクルもあるのでこちらの利用もおすすめ。
偕楽園は、一般に開放されている公園面積では、セントラルパークに次いで世界で2番目。また公園脇の全周3キロの千波湖は、ジョギングやウォーキング用に道が舗装されていて、地域住人の健康維持に一役かっています。
冬には、白鳥も飛来する美しい水辺。春の日の梅の季節にその美しさはクライマックスに。梅まつりには、偕楽園の臨時駅もオープンします。
徳川ミュージアムが建つ丘には、もともと水戸光圀公の茶亭、高枕亭(こうちんてい)が建っていました。門に入ると目の前にその碑が。その後ろに広がる緑の芝生と真っ白な博物館の建物のコントラストが美しい。2016年からは常設展の写真撮影も可能になり、所蔵品がより身近に。
常設展では当時の文化を垣間見ることができます。例えば、牛乳瓶!水戸駅の改札を出ると全国に類をみないミルクスタンド「ミルスタ」がありますが、実は茨木で酪農を始めたのは、水戸藩主の徳川斉昭公。1833年のことでした。ミュージアムでは、当時の牛乳瓶の展示も。
ビスケットも水戸藩の蘭学者の柴田方庵が保存できる食料として長崎のオランダ人から製法を学び持ち帰ったのがはじまり。観賞用だけでなく、食糧難に備えて作り始めた梅干といい、水戸藩では心と体にいいものを領民と共有する文化が根付いていました。
ミュージアムにある農人形も興味深く、代々藩主が農民と穀物に感謝をして食膳に置いていたというもの。微笑ましい展示物です。
水戸の徳川ミュージアムには、光圀公が敬愛していた儒学者、朱舜水(しゅしゅんすい)の像があります。ご本人の要望により顔のシミまで正確に再現。よく見ると爪が異様に長い。びっくりです。
爪の長いのは、知的労働者というステータスの現れ。朱舜水は、明の滅亡とともに当時鎖国していた日本の長崎に亡命。その後、光圀公が水戸に呼び寄せました。光圀公に今でいうラーメンや餃子などを伝授。光圀公が日本で初めてラーメンを食べたことは、黄門ファンには有名な話。
朱舜水は、漢方に精通しており、いまでいう医食同源に基づく食事を光圀公に伝授しました。体が弱かった光圀公ですが、食べてアンチエイジングに成功。平均寿命50歳の時代に73歳まで長生きしました。
自ら麺をうったという光圀公。彼の食生活は現代人も興味津々。水戸の料理士、故大塚子之吉氏の研究により再現された黄門料理は、今でも水戸市内の9店舗で味わうことができます。
今回、ご紹介した黄門料理は徳川ミュージアムの近く千波湖のほとりにある「とう粋庵」。今でいうチーズによく似た白牛酪をはじめ、黄門様が好んで食された食べ物を中心に、水戸の郷土料理も味わえます。
冬ならプリプリのあんこう鍋も!材料の関係で黄門料理を提供するお店は、いずれも事前の予約が必要です。3-4日前までのご予約をお忘れなく。
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(2024/4/25更新)
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