ナポレオン最後の戦いの地!ベルギーのワーテルロー古戦場跡

ナポレオン最後の戦いの地!ベルギーのワーテルロー古戦場跡

更新日:2016/06/18 15:01

ベルギーの「ワーテルロー古戦場跡」は、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が、1815年にウェリントン公率いるイギリス・オランダ軍、およびプロイセン軍とワーテルローで対決し、決着が世界史の行方を塗り替えたナポレオン最後の戦いの場です。約2キロ平方メートルにおよぶ、なだらかな丘陵地帯のパノラマ風景と各国陣営跡という、2つの世界遺産候補を含んだ、ユネスコ世界遺産暫定リスト登録地域です。

まずはワーテルローの戦いを伝える「メモリアル1815」館内の地下展示室へ!

まずはワーテルローの戦いを伝える「メモリアル1815」館内の地下展示室へ!
地図を見る

「ワーテルロー古戦場跡」は約2キロ平方メートルにおよぶ、田園風景が残るなだらかな丘陵地帯一帯を指します。「ワーテルロー古戦場跡」では、毎年実際の各国軍が参加しての「ナポレオン最後の戦い」再現イベントが行われ、世界中から観光客が訪れます。2015年にはワーテルローの戦い200週年を記念して、観光の拠点である「ライオンの丘」周辺が大幅整備されました。

新設された「メモリアル1815」館内には「ワーテルローの戦い」が学べる展示室と、隣接するパノラマ館への入り口、そしてナポレオン関連の土産物が手に入る売店があります。そしてこの「メモリアル1815」館ですが、実は古戦場の展望を邪魔しないよう、建設されたのはなんと地下の中!世界でも珍しいモダンな地中博物館です。

「ナポレオン・ボナパルト最後の戦い」を最新ハンズオン展示で学べ!

「ナポレオン・ボナパルト最後の戦い」を最新ハンズオン展示で学べ!
地図を見る

元々ワーテルローのあるベルギーのワロン州は、このワーテルローの戦いでナポレオン・ボナパルトが敗れた1815年まで、長らくフランスの一部でした。ヨーロッパ各国の交通の要所であるワロンは、地理的な軍事優位性はもちろんのこと、ヴェルサイユ宮殿の増築の際には、この地域から卓越した手工業ギルドの技光る職人たちが招聘されたり、赤大理石や鉄資源を供給したりと、フランスの歴史と文化に大いに貢献してきました。

だからこそ、この敗戦で特にこの地域が割譲されたとも言えますが、よく「フランス系」と思っているカナダのケベック州やアメリカのルイジアナ州への移住者は、元々その多くが現在のベルギーにあたるワロン地域からの移民であることが知られています。彼らは19世紀前半までの古式フランス語を今に伝え、独特の単語やイントネーションで話しますが、今でも彼らは通訳なしでお互いの意思疎通ができるのだそうです。

つい2世紀前までフランス人だったワロンの人たちにとって、ナポレオンへの思い入れは人一倍強いものがあります。民主化に望みを託し、命をかけて先祖たちが参戦した「ラ・グランド・アルメ」のリーダーであるナポレオンは、今でもヒーローそのもの!その想いはワロン州の50箇所以上で年間を通して行われている、ユネスコ無形文化遺産の「アントル・サンブル・エ・ムーズの行進」としても伝えられています。

「メモリアル1815」はそんなワロン州が、文字通り予算に糸目をつけることなく、リニューアルのためにエネルギーと予算を注いだ博物館なのです。
(写真は世界に先駆け民主化を謳い、現在も多くの部分が引用されているフランス民法のルーツ「ナポレオン法典」の解説。)

ナポレオン・ボナパルトと「ラ・グランド・アルメ」の迫力行軍!

ナポレオン・ボナパルトと「ラ・グランド・アルメ」の迫力行軍!
地図を見る

ワーテルローの戦いを学ぶ「メモリアル1815」館の展示室では、「ワーテルローの戦い」における、当時の複雑なヨーロッパの歴史事情と、3日間にわたって交戦した軍事展開を時系列で解説しています。展示室内では多国語での解説はもちろん、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍だけでなく、イギリス・オランダ連合軍やプロイセン軍各軍の立場からも理解できるよう、最大限の配慮がなされています。

特にワロンの人たちがこだわるフランス軍「ラ・グランド・アルメ」の細部までこだわり通した展示は「お見事」のひと言!各構成部隊を実物大で再現した空間は圧巻です!
(写真はナポレオンがフランス軍司令官と戦略会議をする様子の再現。当時身につけられた衣装の複製品も当時の技術で再現し、細部に至るまで忠実に再現されています。)

地元のナポレオン演じる映画に涙した後は、パノラマ館も必見!

地元のナポレオン演じる映画に涙した後は、パノラマ館も必見!
地図を見る

ワーテルローの戦いは、毎年6月に地元のベルギー人有志グループが中心となって、血の海と化した戦争の悲惨さを、平和への祈りとともに後世に伝える再現行事が行われています。これを年間を通じて訪れる「メモリアル1815」への来館者にも体感してもらうため、展示の最後には、パノラマ短編映画が上映されます。

地元の有志グループは毎年の再現行事のために、家族ぐるみで年間を通しての乗馬や剣術、銃術の練習を自主的に行うなど、行事に注ぐ時間とエネルギーは並大抵のものではありません。ナポレオン・ボナパルト役も普段はお医者様として、地域の人々に慕われているのだとか。

パノラマ短編映画では彼ら地元の有志が出演し、そのままそれぞれの役を努めています。日頃から当時の人々と想いをひとつにして生活している彼らのこと、指揮もベルギー出身の映画監督が務めており、彼らの思いがひとつになった短編映画は美しいと同時に迫力満点で見応えがあります。最後は1815年当時ならではの戦法で、信念を貫くため勇敢に前線に歩み続けた、ワロンの人々の想いに触れ、思わず涙せずにはいられません。

そんな西ヨーロッパの中心地ワロンの歴史を学んだ後は、「メモリアル1815」に隣接する「パノラマ館」内部で360度に繰り広げられるワーテルローの戦いの中に身を置いて、当時の戦いの様子を体感してください。

ワーテルローに聳える「ライオンの丘」より、かつての古戦場に思いをはせる

ワーテルローに聳える「ライオンの丘」より、かつての古戦場に思いをはせる
地図を見る

ワーテルローの戦いの古戦場の主戦場になった場所は、厳密に言うと「ラ・ベル・アリアンス」という地域であり、ここには現在「ライオンの丘」と呼ばれるモニュメントがあります。実はこの「ライオン丘」、1820年にオランダ国王ウィレム1世が参戦した息子のオラニエ公が負傷したとされる場所に、オランダの象徴であるライオン像を設置させたという私的な記念碑で、ワーテルローの戦いと直接関係があるものではありません。

とはいえ、ワーテルローの緑の広野にそびえ立つ「ライオンの丘」が、ワーテルローの戦いそのものの象徴のように、人々の記憶に印象づけられたことは変わりありません。せっかくワーテルローの古戦場を訪れたのなら、パノラマ館内部を観た後には、多国籍な観光客に混ざって、ぜひこの頂上から実際の古戦場を展望してみましょう!頂上では迫力満点の「ライオンの像」が身近に見られるほか、合戦場のひとつとなったラ・ベル・アリアンスの農場など、ここから周囲の合戦ポイントを展望することができます。

ヨーロッパの侵略戦争の縮図「ワーテルローの戦い」を胸に刻む

決着から5日後に戦場を視察に訪れたW・E・フライ少佐が「その光景は身の毛もよだつものだった。」と記したワーテルロー古戦場も、今では緑の平野が広がり平和そのもの。西ヨーロッパの中心として、数々の侵略戦争を経験したワロンの人々だからこそ、戦争の悲惨さと平和への祈りを伝えるために語り継がれる「ワーテルローの戦い」。その戦場にぜひ一度あなたも足を運んでみてください。思い出深いベルギーの旅となること、間違いなしですよ。

掲載内容は執筆時点のものです。 2016/04/02 訪問

- PR -

旅行プランをさがそう!

このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!

条件を指定して検索

- PR -

この記事に関するお問い合わせ

- 広告 -