写真:古都の U助
地図を見る「智積院」は真言宗智山派の総本山で、京都市東山七条にあるお寺です。現在の智積院のルーツとなっている寺院は2つあり、1つは紀州にあった智積院、もう1つは豊臣家ゆかりの祥雲寺です。
智積院は、もともと高野山大伝法院から興教大師覚鑁上人によって移された、一乗山大伝法院(根来寺)の塔頭でしたが、豊臣秀吉と対立した為焼き討ちにあい焼失してしまったお寺です。
祥雲寺は、豊臣秀吉がわずか3歳で亡くなった愛児の為に創建した寺院。現在の智積院がある場所はもともと祥雲寺があった場所ですが、豊臣秀吉が亡くなり徳川の時代になると、祥雲寺の土地は智積院に寄進され、現在に至ります。
智積院の境内は四季折々に美しい花が咲き、春は桜、その後は紫陽花、桔梗、秋は紅葉も素晴らしいです。どのお花の時期も素敵ですが、梅が咲く時期は特におススメです。
写真:古都の U助
地図を見る金堂のすぐ目の前には沢山の梅の木があり、例年3月上旬になると紅白様々な花を咲かせます。智積院は東山を背にして諸堂が建ち並ぶ寺院で、金堂の背後の少し高くなっている場所にも梅の木があります。
以前の金堂は徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院より与えられた金千両を基に宝永2年(1705)に建立されましたが、残念ながら明治15年火災により消失してしまい、現在の金堂は昭和50年建設されたものです。堂内にはご本尊の大日如来が安置されており、法要や時間帯によっては多くの僧侶が行き交い、とても厳かな気分になれます。
また、境内のそこかしこでは智積院の寺紋、桔梗紋が目に入ります。智積院のある場所に建っていた祥雲寺は、豊臣秀吉の家臣・加藤清正が普請に当たり、立派な寺院が建立されたということで、寺紋も加藤家の家紋を使用するようになり、今日まで引き継がれています。
写真:古都の U助
地図を見る金堂の右手側にある明王殿は、仮本堂としていた方丈殿が昭和22年焼失した際に京都四条寺町にある浄土宗の名刹、大雲院の本堂の譲渡を受け移築したものです。本尊は不動明王で、明王殿は不動堂とも呼ばれています。
古くから湧き水に恵まれたこの地は、夏になると自生の蛍が境内を飛び交っていたそうです。明王殿の前には小さな池があり、夏に蓮の花が咲く光景も美しいです。
写真:古都の U助
地図を見る金堂の左手にある石段の先には真言宗開祖、弘法大師空海の尊像を安置する寛政元年(1789)に建てられた京都府指定の文化財、大師堂があります。
大師堂の東側には興教大師覚鑁上人像を安置する密厳堂もあり、それぞれ境内少し奥まった場所にあり、火災をまぬがれ江戸時代の建物が残っています。
大書院東側にある桃山時代に造られた利休好みの「名勝庭園」や、収蔵庫に納められる長谷川等伯(1539-1610)とその弟子達によって描かれた「楓図」、「松に立葵図」や等伯の長男・久蔵の作とされる「桜図」も、もともとは祥雲寺の頃から伝わっているもので、それぞれ本当に美しいものです。
収蔵庫&名勝庭園の拝観料は一般:500円
その他梅園など境内は、開門時間内は自由にお参りすることができます。
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(2024/4/20更新)
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