岩手「盛岡市先人記念館」新渡戸稲造ら総勢130名の先人の足跡

岩手「盛岡市先人記念館」新渡戸稲造ら総勢130名の先人の足跡

更新日:2017/11/17 12:06

“D号券五千円札”では肖像画にもなった国際人・新渡戸稲造、アイヌ研究の先駆者で国語辞典の編纂にも尽力した言語学者、国語学者・金田一京助、“良識の提督”と呼ばれた海軍大将で第37代の内閣総理大臣・米内光政。三人とも盛岡出身です。また原敬、石川啄木、宮沢賢治などを始め、数多くの盛岡ゆかりの偉人たち。総勢130名の偉大な先人たちの功績や足跡を知ることが出来る岩手県「盛岡市先人記念館」を御紹介致します。

岩手県「盛岡市先人記念館」へのアクセス

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岩手県盛岡市にある「盛岡市先人記念館」では、明治期以降に活躍した盛岡ゆかりの先人130人がその功績と共に紹介されています。それぞれの偉大な人間形成の過程を学び、多くの人材を輩出した盛岡を広く紹介するために1987年(昭和62年)に開館されます。

盛岡駅西口から徒歩で約15分、岩手山や北上川に合流する雫石川など盛岡の風土を楽しみながら向かえます。東北自動車道盛岡インターチェンジからは車で約15分で、大きな駐車場も完備されています。バスの利用も“盛南ループ200”に乗車し、「県立美術館前」で下車後、徒歩約5分と、各種のアクセス環境も整っています。

“武士道”を世界に発信した国際人・新渡戸稲造

“武士道”を世界に発信した国際人・新渡戸稲造
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新渡戸稲造(にとべ いなぞう、1862年〜1933年)は文久2年に盛岡で生まれます。札幌農学校を卒業後、東京大学(1877年〜1886年の旧東京大学)を経て、アメリカ、ドイツに留学。アメリカのフィラデルフィアでメリー・P・エルキントンと結婚し、帰国後には京都帝国大学、東京帝国大学、東京女子大学などで教育に従事します。

1900年には『Bushido, the Soul of Japan』(邦題『武士道』)が出版、翻訳され世界中で読まれ日本文化を発信。人類の平和維持と国際協調を目指した国際連盟の事務次長として、職務を全うします。

洋風で荘厳な雰囲気を漂わせる記念室内。中央には大きな地図を模したモニュメントがあり、「太平洋の架け橋」として国際交流に尽力した新渡戸稲造の業績が、国際人、教育者、公人、私人といった様々な角度から紹介されています。愛用した調度品や、新渡戸稲造の肖像画の入ったD号券・五千円札も展示されています。

※D号券・五千円札:1984年〜2004年発行・2007年支払停止

“良識の提督”海軍出身の内閣総理大臣・米内光政

“良識の提督”海軍出身の内閣総理大臣・米内光政
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米内光政(よない みつまさ、1880年〜1948年)は明治13年に盛岡で生まれます。海軍兵学校を卒業。連合艦隊司令長官、海軍大臣などを歴任後、第37代・内閣総理大臣に。

ヨーロッパ視察の経験などから国際情勢にも通じ、日中戦争では戦線不拡大、ポツダム宣言を巡る一連の会議では受諾の方針を表明。終戦後には戦争で父や息子を亡くした遺族訪問を行う。“良識の提督”として、海軍軍人・山本五十六、経済学者・小泉信三などを始め多くの人々から敬愛されます。

記念室内には米内光政の等身大の像があり、その横には背丈を比べられるよう台座が設置されています。また書道を愛した米内光政の掛け軸などの書作品も展示されています。頼まれれば喜んで、筆を執ったというエピソードも、その人柄の一面を表しています。

アイヌ研究、国語辞典の編纂に尽力した言語学者・金田一京助

アイヌ研究、国語辞典の編纂に尽力した言語学者・金田一京助
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金田一京助(きんだいち きょうすけ、1882年〜1971年)は明治15年に盛岡に生まれます。東京帝国大学を卒業後、国学院大学、東京帝国大学、早稲田大学などで教授、講師を兼任。

言語学者、国語学者として、特にアイヌ語や口承文学・叙事詩「ユーカラ」の研究で大きな功績を残します。『明解国語辞典』などの編集や教科書編修に携わり広く活躍しました。

記念室内には、著書、コレクション、遺品などの多くが展示されています。復元された金田一京助の邸宅の一部分もあり、当時の雰囲気を感じられます。記念室の庭に目を転じれば石川啄木の「ふるさとの山に向ひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」と記された歌碑。

書は、啄木の盛岡高等小学校・盛岡中学校時代の先輩であり、友人でもあった金田一京助によるものです。“ふるさとの山”の岩手山の景観も是非、楽しんでみて下さい。

縦横無尽に各分野で活躍した“盛岡の先人たち”

縦横無尽に各分野で活躍した“盛岡の先人たち”
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二階には総合展示室があり、政治、経済、学術、芸術などの各分野別で127名にも及ぶ先人たちの紹介がなされています。

第19代・内閣総理大臣に就任、爵位を固辞し続け“平民宰相”と呼ばれた原敬(はら たかし、1856年〜1921年)、札幌農学校の第1期生として、ウィリアム・スミス・クラーク博士から直接、薫陶を受け、後に“北海道大学の父”と称えられた佐藤昌介(さとう しょうすけ、1856年〜1939年)。

帝国大学を卒業後、恩師で近代建築学界の権威・辰野金吾と共に辰野葛西事務所を設立し建築・設計に従事した葛西萬司(かさい まんじ、1863年〜1942年)、東京生まれで、幼少期に父親の故郷・岩手に移り、盛岡中学校へ通った画家・松本竣介(まつもと しゅんすけ、1912年〜1948年)などなど、あらゆる方面で活躍した数多くの先人たちが顕彰されています。

岩手県「盛岡市先人記念館」のまとめ

一階、新渡戸稲造、米内光政、金田一京助の3名に加えて、二階では127名の偉大な先人たちを紹介し、合計130名の功績を称え、後世にその道筋を示し、盛岡の精神風土を磐石なものとしている岩手県「盛岡市先人記念館」。

近くには“岩手県立美術館”、“盛岡市遺跡の学び館”、“盛岡市子ども科学館”といったように大人から子供まで楽しめる施設が多くあります。また盛岡市内には“原敬記念館”、“石川啄木記念館”等もあり、共通入館券を購入すると割安で各施設に入館できてお得で便利。

上述の新渡戸稲造に関しては、花巻市に「花巻新渡戸記念館」があり、紹介記事へのリンクが下部関連MEMOにありますので、宜しければそちらも御確認下さい。

以上、偉大な盛岡ゆかりの先人たちの軌跡を学べる岩手県「盛岡市先人記念館」の御紹介でした。

※撮影協力:盛岡市先人記念館

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/12/15 訪問

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