白洲次郎と白洲正子が暮らした武相荘――東京都町田市

白洲次郎と白洲正子が暮らした武相荘――東京都町田市

更新日:2012/11/27 18:10

東京都町田市にある、緑に囲まれたかやぶき屋根の母屋。戦後、GHQとの折衝や実業家として活躍した白洲次郎と日本美術の評論家・随筆家として活躍した白洲正子が生涯暮らした武相荘(ぶあいそう)です。

白洲次郎と白洲正子とは?

白洲次郎と白洲正子とは?
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白洲次郎、白洲正子とはどんな人物なのでしょう。

白洲次郎:イギリス留学仕込みの英語と「プリンシプル(原則)」を貫く信念で、戦後のGHQとの折衝では、「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめます。その後は、実業家として活躍。自動車とゴルフを愛し、日本で初めてジーンズをはき、近年では「日本一かっこいい男」と言われています。

白洲正子:伯爵家に生まれ、能に親しみ、当時女人禁制の能舞台に立ち、アメリカに留学。帰国後、お互いに一目ぼれした白洲次郎と結婚し、二男一女をもうけます。戦後は、文芸評論家の小林秀雄と美術評論家の青山二郎と親交を結び、文学・骨董の世界に踏み込み、日本美術の随筆家として多数の著作を残しています。

かやぶき屋根の武相荘

かやぶき屋根の武相荘
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第二次世界大戦中、日本の食糧難を見越して鶴川村(現在の東京都町田市)の農家を購入し、東京の都心から疎開した白洲次郎、白洲正子夫妻。かやぶき屋根を母屋とする自宅は、武蔵と相模の境に位置することと「無愛想」という言葉にかけて、「武相荘」と名づけられました。

戦後の発展で、周辺の風景は一変しましたが、四季を彩る植物に囲まれた武相荘は、往年のまま。

館内では、白洲家が所蔵するさまざまな調度品やたくさんの書物に囲まれた正子の書斎を見ることができます。

戦前に海外留学を経験し欧米文化に触れ、また日本美術に造詣が深い白洲夫妻のライフスタイルは、今も廃れることなく影響を与えています。緑に囲まれた閑静な雰囲気の中、和洋が融合したこんな家に住んでみたい!と思うこと請け合いです。

展示内容は季節により、変わります。私が訪れたときは、食器が畳の上に展示されていて、間近でじっくり見ることができました。美しいものを鑑賞すると、豊かな気分になります。

車庫は休憩所に

車庫は休憩所に
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かつての車庫は休憩所になっています。白洲次郎の写真やそのときどきによって、白洲家が所蔵する調度品が展示されています。当時は、写真右奥に見えるかき氷機が展示されていました。置いてあるだけでサマになるかき氷機です!

広い庭には竹林も

広い庭には竹林も
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武相荘の裏手にある、立派な竹林。

臼を利用した新聞・郵便受け

臼を利用した新聞・郵便受け
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大工が得意な次郎が作った新聞・郵便受けが長屋門にあります。臼を利用する発想の転換力と看板から次郎のセンスが感じられます。

館内にはカフェもあるため、疲れたら一休みして、ゆっくり武相荘を楽しんでください。

【旧白洲邸 武相荘】
住所:東京都町田市能ヶ谷7丁目3番2号
開館時間:10時〜17時(入館は16時半まで)
入館料:1,000円(入館は小学生以上)
駐車場:5台
交通アクセス:小田急小田原線 鶴川駅 北口下車、徒歩15分
       鶴川駅より2番乗り場13番系統バスにて「平和台入口」下車、徒歩1分
       4番乗り場26番系統バスにて「平和台入口」下車、徒歩1分

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掲載内容は執筆時点のものです。 2009/07/12 訪問

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