世界遺産の平泉・毛越寺庭園をとことん楽しむ!作庭記と歩く浄土庭園

世界遺産の平泉・毛越寺庭園をとことん楽しむ!作庭記と歩く浄土庭園

更新日:2013/07/19 17:20

一昔前までは平泉の文化財といえば中尊寺金色堂でしたが、世界遺産に登録されたこともあり、毛越寺庭園の知名度もだいぶ上がってきました。毛越寺庭園は平安時代に造られた庭園ですが、その当時の作庭のマニュアル「作庭記」が現代にも伝わっています。そして、「作庭記風」の庭園として最も重要とされるのが毛越寺庭園です。そんな毛越寺庭園の見所を作庭記の記述も交えて紹介します。

大海様ハ先あらいそのありさまをたつべきなり

大海様ハ先あらいそのありさまをたつべきなり
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平泉の文化遺産は奥州藤原氏によるものです。戦乱を経て奥州の覇者となった藤原氏が、戦乱で命を落とした人を救うべく、仏の世界を具現的に表したというのが、中尊寺や毛越寺です。毛越寺は奥州藤原氏二代目の藤原基衡によるもので、往時はかなりの数の堂塔があった大寺院でした。当時の建物は残っていませんが、庭園が残っています。仏の世界、すなわち「浄土」を表現した庭園ということで「浄土庭園」という形式の庭園です。写真を見ていただけると、特別な知識などなくても、「浄土っぽい」と感じるんではないかと思います。

庭園の大部分を占めるのは大泉が池とよばれる池です。池はただ水を溜めればいいというわけではありません。作庭記では

石をたつるにハやうやうあるべし 大海のやう 大河のやう 山河のやう 沼池のやう 葦手のやう等なり (略) 大海様ハ 先あらいそのありさまを たつべきなり (略) さて所々に洲崎白はまみえわたりて 松などあらしむべきなり

とあって、池をつくる際には海や川などに見立てることが重要です。この池はまさに大きな海のようです。大海を表現するには、まず荒磯(波の荒い岩の多い磯)を立てて、所々に洲崎(州が海中に突き出た所)や白浜(白砂の浜)を見えるようにすることになってます。写真左の立石とその周辺の石組(いわぐみ)がその荒磯です。写真奥では玉石を敷き詰めて白浜が表現されています。

池の石はそこよりつよくもたえたるつめいしををきてたてあげつれば

池の石はそこよりつよくもたえたるつめいしををきてたてあげつれば
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池の南西部分にある出島から続く石組がこの庭園でもっとも印象的な部分だと思います。先ほどの記述にあったとおり、荒磯の表現です。池中に石を立てるときの技術的なことも作庭記には記されています。

池の石は そこよりつよくもたえたるつめいしををきて たてあげつれば 年をふれども くづれたふるゝことなし 水のひたるときもなをおもしろくミゆるなり

ということで、爪石(指先から少しでた爪のように、水底から少し出る石)をおいて土台にすると崩れることはないし、水がひいても趣があるとして、石をしっかりと立てて見た目にもよい方法が記されています。

池ならびに河のみぎハの白浜ハすきさきのごとくとがりくわがたのごとくゑりいるべきなり

池ならびに河のみぎハの白浜ハすきさきのごとくとがりくわがたのごとくゑりいるべきなり
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こちらの写真は荒磯の石組を手前にして北側を見たところです。東側の岸からは岬のようにつきだした部分があります。最初に引用した作庭記の記述にある「洲崎」です。

池ならびに河のみぎハの白浜ハ すきさきのごとくとがり くわがたのごとくゑりいるべきなり

作庭記のこの部分は洲浜の形状がどうあるべきかを示しています。鋤鉾(すきさき)というのは農具の鋤の先につける金具のことで、鋤鉾のように尖った形状がいいとしています。鍬形(くわがた)というのは兜につけるU字型の装飾具です。この写真では写していませんが、洲崎の手前側に鍬形のような曲線の州浜を見ることができます。

池もなく遣水もなき所に石をたつる事あり これを枯山水となづく

池もなく遣水もなき所に石をたつる事あり これを枯山水となづく
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池の南西部の築山ではごつごつとした石が積まれていて、岩山が表現されています。これは作庭記にある「枯山水」の実例といわれています。ただし、この時代の枯山水は、龍安寺の石庭などで有名な枯山水とは違っていて、作庭記では

池もなく遣水もなき所に 石をたつる事あり これを枯山水となづく

とされています。この文章のあとは

その枯山水の様ハ 片山のきし 或野筋などをつくりいでて それにつきて石をたつるなり (略) すべて石ハ 立る事ハすくなく 臥ることはおほし

と続きますが、この築山でも野筋をつくって石を立てています。作庭のことを石立てというので「石をたつる」などの表現がされていますが、臥せる(伏せる)ことも多いと記されていて、この築山でも伏せられた石を見ることができます。

遣水の石をたつるにハ底石 水切の石 つめ石 横石 水こしの石あるべし

遣水の石をたつるにハ底石 水切の石 つめ石 横石 水こしの石あるべし
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池の北東部分には池に水を入れるために水を流す遣水(やりみず)があります(この写真では水が流れていませんが)。作庭記では遣水について多く記述があるので、当時の庭園ではかなり重要なものだったようです。

遣水の石をたつるにハ底石水切の石つめ石横石水こしの石あるべし (略) 遣水谷川の様ハ山ふたつがハざまよりきびしくながれいでたるすがたなるべし

ということで、山の間を流れる谷川が表現されています。ここの解釈は難しいところで、「つめ石」は詰石ではなく「爪石」、「水こしの石」は水越ではなく「水濾しの石」のようです。遣水の石立ては底石、水切の石、爪石、横石、水濾しの石を使うということですが、これらは石の高さが底と水面に対してどの程度かを示しています。この石の微妙な高さによって水面の表情に変化をつけることが求められていたようです。写真では上流部のみをお見せしていますが、ここから池に水が落ちるまで、水の流れが変化していく様子をよく見ていただきたいです。

毛越寺庭園を作庭記の記述といっしょに紹介してみましたが、作庭記の表現には難しい部分があったかったと思います。作庭記をとてもわかりやすく解説している文献に「図解 庭師が読みとく作庭記」(小埜 雅章著、学芸出版社)という書籍があるので、ぜひ読んでみて下さい(下のメモ欄に販売サイトのリンクをはっています)。そもそも、作庭記はわかりやすく書かれていないんです。「口伝アリ」みたいな注釈があったり、大事なところが平仮名で書かれていたり。ということで、作庭記をきちんと解釈するためにも、作庭記に基づいてつくられたであろう毛越寺庭園が非常に重要な価値をもつのです。

平安時代の浄土庭園として非常に美しい庭園ですが、当時の建物が残っていないのが残念なところです。ということで、平泉に行った際には中尊寺金色堂もぜひ見学していって下さい。平安時代の浄土庭園で当時の建物が残っているところというと、浄瑠璃寺(京都府木津川市)が有名です。浄瑠璃寺では平安時代の阿弥陀堂と三重塔がそろって現存しています。庭園の一部は江戸時代に周回路を整備した際に埋められてしまっていて、平安時代のままというわけにはいきませんが。あと十円玉で有名な平等院鳳凰堂も浄土庭園とあわせて造られた平安時代の阿弥陀堂です。今の庭園のほとんどは近年復元されたものです。福島県いわき市にある白水阿弥陀堂も平安時代の阿弥陀堂で、浄土庭園が復元整備されています。

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/10/08 訪問

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