是川縄文館は2011年7月に開館しています。最近では、2015年に公開された映画「ライアの祈り」でロケ地にもなりました。
その歴史は古いものがあります。1920年(大正9年)に地元の泉山岩次郎、斐次郎両氏が是川で遺跡を発掘したことから始まります。その場所は是川中居遺跡と名付けられました。
1961年(昭和36年)に両氏から八戸市に出土品約5000点が寄贈されます。翌年に出土品を収納、展示するための是川考古館が建設されました。その後1975年(昭和50年)に八戸市歴史民俗資料館として開館します。
1999年(平成11年)から2004年(平成16年)まで是川中井遺跡において新たな考古学調査が行われました。その後2006年(平成18年)に是川縄文館と名称を改めています。そこからさらに造成工事、建築工事が行われ、2011年に開館することになったのです。
正面入り口を入り、階段を上がって2階に行きます。上がって正面左手に受付があり、その奥から展示室に入ることになります。
なお、展示室内はフラッシュ、三脚を使わなければ撮影は自由です。
縄文への道を通り、縄文くらしシアターを過ぎると、漆の美というエリアになります。こちらには漆が使われた出土品が多く展示してあります。その朱色の鮮やかさからは時代を越えてリアルな生活感が伝わって来ます。
ここで興味深いのは樹皮を使った入れ物の一部です。表面の漆に、縄文人の指紋が複数ついているのです。大きさから女性か子供ではないかと推測されているそうです。こちらに来たら、どうぞ探してみて下さい。
漆は今から9000年前の縄文時代早期には利用されていたことが分かっています。時代が進むにつれて単に強度を保つためではなく、工芸技術品として確立していきます。
続く展示コーナーには香炉型土器、装飾品などが展示されています。中でも目を引くのは、縄文後期から晩期の出土品で有名な遮光器土偶です。ご覧の通り、ここからも多数出土しています。
遮光器土偶が有名なのは東京国立博物館にある亀ヶ岡遺跡からの出土品ですが、縄文時代は様々な地域で相互交流があったことが出土品から分かっています。
なお、是川、風張とはそれぞれ地名のことです。
合掌土偶は一部屋で展示してあります。入って正面には国宝指定証があり、右手のガラスケースの中で合掌し座っているのです。ケースの回りはぐるりと歩けるようになっています。
合掌土偶は漆による着色がされていました。よく見ると一部に朱色を見ることが出来ます。また、アスファルトを接着剤として足を補修したことも分かっています。補修までしているのですから、とても大事にされていたものと考えられています。
出土状況ですが竪穴式住居の入口から入って正面の一番奥にあったもので、ここは古代のシャーマンの家だったのではないかとも言われています。
青森県は縄文文化が有名であり、東京国立博物館にある遮光器土偶は亀ヶ岡遺跡からの出土品。また、青森市の三内丸山遺跡は縄文の歴史を塗り替える大発見となりました。
はるか昔の人たちがこの土偶にどのような思いを込めたのか、時に日常を離れて様々なことに思いをはせるのもまた、面白い時間ではないのでしょうか。
なお、充実している売店では国宝土偶の姿をした人形焼きが人気であり、レストランも完備されているのでゆっくりとした時間を過ごすことも可能です。
最後に、付近には天然芝生がとても珍しい「種差海岸」、200万本の大迫力のひまわり畑がある「山の楽校」、河童伝説の「櫛引八幡宮」が点在しています。関連MEMOをご覧のうえ、ぜひ、足を運んでみて下さい。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索