写真:手塚 大貴
地図を見る凛々しく聳え立つ3基のエレベーター塔、凝ったデザインの丸窓やアーチ型のアクセント、そして壁面を覆い尽くす緑の蔦。過ぎてきた長い年月の向こうに垣間見えるのは、人々の賑わいと場の華やぎ・・・。
横浜・根岸の丘の上に屹立するこの圧巻の廃墟こそ、「旧根岸競馬場一等馬見所」です。
幕末に日本初の洋式競馬場として建設され、東洋一の規模を誇っていた根岸競馬場。当時は人々の社交場として賑わいましたが、第二次世界大戦により閉鎖されてからは、その役目を果たす機会もなく、現在では旧一等馬見所のみが残されています。
旧一等馬見所の内部の見学はできませんが、外側から見学することができます。廃墟となった建物を見上げて、当時の栄華に思いを馳せてみましょう。
写真:手塚 大貴
地図を見る根岸競馬場がこの地に完成したのは幕末の1866年。翌年に日本で初めての洋式競馬が開催され、その後76年間にわたってレースが行われました。
当初は居留外国人の娯楽として始まった洋式競馬でしたが、やがて日本人、とくに貴族に親しまれるようになり、根岸競馬場は日本人も含めた社交場として賑わいました。競馬は春と秋の年2回開催、現在の天皇賞や皐月賞にあたるレースも行われていたのです。
日本各地に建設された競馬場のモデルともなった根岸競馬場ですが、第二次世界大戦の激化により、1942年に競馬の開催が休止、翌年には競馬場も閉鎖されました。
戦後、根岸競馬場は米軍により接収。1969年に一部施設が返還されましたが、競馬場としての再起には至らず、老朽介していた二等馬見所やパドックも解体。
そして現在、唯一残された根岸競馬場の遺構こそが、この旧一等馬見所なのです。
写真:手塚 大貴
地図を見る現在残されている旧一等馬見所は、関東大震災によりそれまでの馬見所が壊れた後、1930年にアメリカ人建築家、J・H・モーガンの設計で新たに建設されたものです。
東京湾や三浦半島まで見渡せる眺望の良さで、貴賓室やレストラン、騎手室などを備えていました。独特なデザインの3基のエレベーター塔などに、近代の名建築の面影を見ることができます。
旧一等馬見所は、本格的な修復が行われることなく現在に至りますが、2009年にはその価値が認められて、経済産業省により近代化産業遺産に認定されました。
かつてYMOのプロモーション映画のロケにも使われた廃墟。米軍施設となっている正面側から見ることはできませんが、裏側および横からその雄姿を眺めることができます。
写真:手塚 大貴
地図を見るかつて根岸競馬場の馬場だったエリアは、戦後は米軍専用のゴルフ場として使用されていましたが、現在は「根岸森林公園」として一般に開放されています。
この公園の魅力は、広大な緑の芝生!なだからな地形に美しい芝生が広がり、横浜にいながら雄大な気持ちにさせてくれる公園です。
また隣接する根岸競馬記念公苑には「馬の博物館」があり、根岸競馬場や馬の文化に関する展示を見ることができるほか、「ポニーセンター」では本物の馬が飼育されていて、乗馬体験をすることもできます。
旧一等馬見所を見学するだけでなく、根岸森林公園の芝生でのんびり過ごし、馬の博物館で馬の文化を学び、ポニーセンターで本物の馬と触れ合う・・・と、ここは1日いても楽しめるスポットなのです!
写真:手塚 大貴
地図を見る夕方なのでそろそろ帰路へ・・・と、その前に!ぜひもう1度、旧一等馬見所へ足を運んでみてください。
実は旧一等馬見所の前は、夕日の隠れた名所。高台にあるので、みなとみらいの風景などとともに、住宅地の向こうに沈む夕日を眺めることができます。
また夕日に照らされて黄金色に輝く旧一等馬見所の姿も必見です。夕暮れの廃墟からは、昼間見たときよりもさらに威厳のある美しさを感じることでしょう。
眩い西日を浴びながら、今日も横浜・根岸の丘の上で、根岸競馬場の廃墟は存在し続けているのです。
旧根岸競馬場一等馬見所へのアクセスは、JR横浜駅か桜木町駅、根岸駅から横浜市営バスに乗り「旭台」で下車、根岸森林公園を抜けて行くのがオススメ。根岸森林公園には駐車場もあるので、横浜ドライブのときに立ち寄ってみるのもいいでしょう。
広大な森林公園やポニーセンターなど、廃墟ファンだけでなく、親子連れやカップルにもオススメできるスポットです!
日本各地に廃墟スポットは数あれど、首都圏で気軽に訪れることができる廃墟は他になかなかありません。古の競馬場のスタンドを訪れて、廃墟のもつ美しさに触れてみましょう。
静かに佇む廃墟に耳をすませば、遠い時間の向こうから、疾走する馬の蹄の音や楽しげな人々のざわめきが聞こえてくるかもしれませんよ。
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/4/23更新)
- 広告 -