無料で「日本一」と「昭和レトロ」を大満喫!もうひとつの大阪ベイエリア探検

無料で「日本一」と「昭和レトロ」を大満喫!もうひとつの大阪ベイエリア探検

更新日:2013/06/28 14:33

大阪ベイエリアと聞いて思い浮かべるのは「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」、「海遊館」などなど。日本全国からの観光客がやって来るスポットだ。しかし、USJや海遊館もいいけど、すぐそばに「どこか懐かしい」大阪に出会え、おまけに「日本一」を体験できる何とも欲張りなルートが存在することは、意外と知られていない。しかも無料である。それでは0円でお腹いっぱいの大阪ベイエリア探検に出かけてみよう!

スタート地点は、もう先に線路がない終着駅

スタート地点は、もう先に線路がない終着駅
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大阪市内をぐるっと一周するJR環状線。そのひとつ西九条駅から伸びているのがJRゆめ咲線。支線にしては電車は人がいっぱい。
そして西九条から5分、2つめのユニバーサルシティ駅でどっと降りていく。なにしろここはあのUSJの玄関口だからだ。
ホームの混雑ぶりとは対照的に、電車内は先ほどまでの人いきれがウソのようにガラガラになった。
このゆめ咲線、別の名前は桜島線。その理由はユニバーサルシティの次の駅で分かる。
桜島駅。西九条から7分、ユニバーサルシティから2分。これ以上線路が先に伸びていない、終着駅である。USJのラッピング電車でもわかるように、この路線はUSJを訪れる人々の足として大活躍している。もう一つ先にある終着駅・桜島まで足を伸ばす観光客はほとんどいない。
しかしここが、ノスタルジーあふれ、日本一も体験できる「もうひとつの大阪ベイエリア」を満喫するスタート地点なのである。
まずは駅前にある地図を見て、目的地に向けて歩き始めよう。

100年以上の歴史を持つ渡船の利用者はインターナショナル

100年以上の歴史を持つ渡船の利用者はインターナショナル
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桜島駅を出てしばらくすると普通の住宅街が広がる。歩くこと10分ちょっと。堤防が現れ、ゆるやかなスロープを上がっていくと、画像のような建物が現れる。
天保山渡船場。なんともシンプルな待合室である。建物の中も、時刻表が壁に貼られ、船の到着を待つ人が座る長椅子があるだけといたって簡素。
桜島側にある渡船場からは海遊館や大観覧車など大阪ベイエリアを象徴する施設が見える。住宅街の桜島側の静けさと、際立ったコントラストを描いている。
この渡船は大阪市建設局西部方面管理事務所により運航されている。つまり大阪市営。いま立っている桜島と、安治川をはさんで対岸にある天保山の渡船場を結んでいる。そして運賃は、無料!
この渡船がスタートしたのは1905(明治38)年というから、100年以上の歴史を有している。かつては24時間運航した時代もあったが、現在はだいたい30分に1本の割合で桜島と天保山のあいだを往復している。
出港の時刻が近づくと、続々と自転車に乗った人たちが渡船場にやって来る。
このあたりで働いている近所のおっちゃんという人もいれば、欧米やアジア系など多国籍な顔ぶれも自転車に乗って現れる。この人たちはUSJで働くスタッフ。大阪市営というドメスティックな船の利用者がインターナショナルなのには、こうした理由がある。

新旧大阪の表情を垣間見る3分間の船旅

新旧大阪の表情を垣間見る3分間の船旅

さあ、天保山から渡船がやってきた。天保山からの乗客が全員下船すると、桜島からの乗客が乗り込む。徒歩や自転車の利用者は乗れるが、自動車はもちろん、バイクや原付での利用はできない。
船は小さいが定員80人と意外と収容能力がある。
船内には窓も椅子も自動販売機も何もない。早い話が吹きさらしである。殺風景に思うかもしれないが、それもそのはず。わずか3分ほどで対岸に着いてしまう小さな船旅だから、そんなものは必要ないのだ。
安治川を行き交うキャプテンラインやサンタマリアなど遊覧船が通過すると、渡船のような小さな船はそれらが立てる波でグラっと揺れる。
でも、船の周囲に広がる海遊館や大観覧車、そして阪神高速5号線の天保山大橋を眺めていると、懐かしい大阪とベイエリアに代表される大阪の新しい顔をまとめて眺められて、なんだか得した気持ちになる。
また、天保山には大型のクルーズ客船が停泊することもあり、このときは普段の何倍もの人たちが渡船を利用する。なぜなら客船を眺めるとき、この渡船のルートが撮影に適しており、何よりもリーズナブルだからだ。
桜島を出てから3分後、小さな船旅は終わる。

幕末に生まれた日本一低い山の誕生秘話

幕末に生まれた日本一低い山の誕生秘話
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天保山の渡船場からすぐのところにある天保山公園。
一見、なんの変哲もない公園に思われるが、実はここに日本一のスポットがある。
それが、ここ(画像)!
標高4530mm。日本一低い山・天保山の頂上があるのだ。
酸素ボンベもピッケルもいらない。
気がつかないうちに登頂を果たしてしまう頂点。

厳密に言えば、天保山は自然の山ではない。
自然の山では徳島県徳島市の弁天山(6.08m)が日本一低い山である。
しかし天保山は国土地理院の地形図に掲載されている山の中で一番低いことは間違いない。
それでは人工の山・天保山はいつ誕生したのだろうか?
江戸時代に、さきほど渡船で渡った安治川が開削された。ところがそれによって上流の流砂が堆積し、大阪に出入りする船の航行に支障が出てきた。当時の日本で、大阪は経済の都。船が入らなくなるのは大阪だけではなく日本にとっても一大事!そこで幕府は、1831(天保2)年から2年の歳月と延べ10万1200余人を動員して「御救大浚」と呼ばれる大工事を実施。このときの捨土を盛り上げたものが出船、入船の目標となった。幕府はこれを「目標(めじるし)山」と命名。やがて人々は、工事の行われた年号にちなんで天保山と呼ぶようになった。
この日本一低い山は、少し大げさかもしれないが、日本経済の危機を救うために生まれた山でもあったのだ。

画像の下にある四角が、国土地理院が定める頂上。
登頂記念撮影の際には、これを必ず入れておくことをオススメする。
そしてせっかくの登頂記念が欲しくなるのも人情。
そういう人は「天保山々頂」の表示の右にあるイラスト付きのポスターに注目だ。
天保山商店会加盟店で「天保山登頂証明書」を無料で発行しております、とある。
なにわの人情味たっぷりの商店街に出かけて、証明書をゲットしたい。

昭和40年前後の元気な大阪に、無料でタイムスリップ!

昭和40年前後の元気な大阪に、無料でタイムスリップ!
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天保山公園から大観覧車の方に向かって歩けば、海遊館がある。
あのジンベイザメで有名な、言わずと知れた全国区の水族館である。
しかし今回は海遊館の前を通りすぎて、隣接する天保山マーケットプレースを目指す。
そのなかに「なにわ食いしんぼ横丁」という一角がある。
入場は・・・ここも無料!
この横丁、大阪万博が開催された1970(昭和45)年を目前にした「大阪が最も元気に光り輝いていた時代」=昭和40年前後の「元気な大阪」を演出テーマに当時の大阪下町をイメージした街並を再現している。
まさに「大阪版・三丁目の夕日」ワールドが展開する。
入口で出迎えるのは「おこし」でつくられた太陽の塔。
なかに進みいれば、いろんな仕掛けのある昭和の街並と、お好み焼きやオムライスにカレー、そして鶴橋コリアンタウンの韓国屋台料理など大阪を代表する食べ物をそろえた店舗が軒を並べる。
ここに来ただけで、大阪グルメを制覇できるといっても過言ではない。
食事代は有料だが、桜島駅からここまで昭和レトロ満喫と日本一低い山登頂の達成記念にどんどん味わうのがベスト。
もちろんUSJや海遊館観光のついでに立ち寄るのも面白い。

無料でできる「もうひとつの大阪ベイエリア探検」。
大阪の知られざる魅力を、このコースで発見してみよう!

掲載内容は執筆時点のものです。

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