本丸跡には明治天皇陵も!豊臣秀吉が築いた京都「伏見桃山城」

本丸跡には明治天皇陵も!豊臣秀吉が築いた京都「伏見桃山城」

更新日:2015/11/15 17:04

伏見城は、豊臣秀吉が天下統一を果たした後に隠居城として、現在の京都府伏見に建てられました。城は残っていなかったのですが、昭和39年にオープンした遊園地のシンボルとして天守閣が復元されました。
さらに本丸のあった辺りには現在、明治天皇が眠っておられます。
伏見のシンボルとして復元された天守をぜひ見学にいきましょう

伏見城の歴史

伏見城の歴史
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伏見城は、豊臣秀吉が隠居後の住まいとするために築城されます。当初は文禄元年(1592)に伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に建設されますが、完成直後に慶長伏見地震によって倒壊しました。そのため、指月から北東に約1kmほど離れた木幡山に城が再建されることになり、慶長2年(1597)に城は完成しますが、秀吉はその1年後の慶長3年(1598)に城内で亡くなってしまいます。

秀吉の死後、遺言により豊臣秀頼は大坂城に移り、伏見城へは五大老筆頭の徳川家康が入り政務を行います。関ヶ原の戦いの際には、家康の家臣鳥居元忠らが伏見城を守りますが、西軍の攻撃により落城。建物の大半が焼失しました。

その後、伏見城は慶長7年(1602)ごろ家康によって再建され、慶長8年(1603)には、伏見城で徳川家康が征夷大将軍の宣下を受けます。以後三代徳川家光まで伏見城で将軍宣下式が行われました。

伏見城の跡には、江戸時代に桃の木が植えられて「桃山」と呼ばれるようになります。そのため伏見城は「桃山城」あるいは「伏見桃山城」とも呼ばれるようになりました。
正門(写真)とその先に見えてくる天守閣が現在の見所となっています。

天守閣を見よう

天守閣を見よう
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現在の伏見桃山城の天守閣は、昭和39年(1964)に伏見城花畑跡にオープンした遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」のシンボルとして建設された鉄筋コンクリート製の模擬天守閣です。遊園地は平成15年に閉園され、現在は「伏見桃山城運動公園」となっています。

当初取り壊される予定であった天守閣は、地元の要望もあり市へ寄贈されました。しかし、耐震基準を満たすためには多額の費用がかかることから、現在は内部非公開となっています。

明治天皇陵も併せて

明治天皇陵も併せて
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伏見桃山城の天守から歩いて15分程度のところに明治天皇が眠る「明治天皇 伏見桃山陵」があります。現在、明治天皇陵のあるこのあたりは、伏見城の本丸があったところです。

明治天皇陵に向かうための階段がありますが、かなりの段数です。天皇陵ももちろんですが、頂上にたどり着いたときに上がってきた方を振り向いてみましょう。そこからの風景もオススメです。

伏見城本丸跡にある明治天皇陵

伏見城本丸跡にある明治天皇陵
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明治天皇は、急死した父親の孝明天皇の跡を継いで15歳で第122代天皇に即位されました。明治元年10月13日に明治天皇は初めて江戸に行幸し、江戸は東京に改められます。一旦京都に還られた後、翌年再び東京に移り、以後天皇家は東京の皇居に居住されることになります。

天皇陵は囲いの外からしか見学することはできませんが、伏見桃山城とともに見学されることをオススメします。

まとめとして

伏見桃山城と明治天皇陵はいかがでしたか。
周辺には明治天皇陵だけでなく、桓武天皇陵もありますので、併せて見学されるのもオススメですが、明治天皇陵に行ったつもりが桓武天皇陵だったという間違いにはご注意ください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/04/19 訪問

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