坂本龍馬「脱藩の道」維新の志士が翔けた高知県梼原(ゆすはら)

坂本龍馬「脱藩の道」維新の志士が翔けた高知県梼原(ゆすはら)

更新日:2013/06/27 14:25

Ise Shinkurouのプロフィール写真 Ise Shinkurou
過去に何度もNHK大河ドラマの主人公として取り上げられ、話題になる人物「坂本龍馬」。常に私たち日本人の心を魅了し続ける数少ない歴史上の人物。彼が新時代への幕開けを胸に描き、激動の時代に翔けた夢の道「志士脱藩の道」を訪ね、維新の志士の夢と希望を追いかける旅のご紹介です。

躍動感のある「維新の門」

躍動感のある「維新の門」

写真:Ise Shinkurou

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ここ梼原(ゆすはら)は幕末の頃土佐藩の番所が置かれ、隣接する伊予の国(現愛媛県)への人の出入りを監視する重要な場所でした。

脱藩する龍馬にとって最後の関所と言えるでしょう。龍馬の維新への志を感じる為、まずは町の中心部に造られた「維新の門」を訪れます。

「維新の門」は平成7年、八志士の夢と功績を後世に伝えるために造られ、完成当時から躍動感のある群像として、龍馬ファンの間で話題になりました。

坂本龍馬を囲むように、その右腕となった澤村惣之丞、脱藩の手助けをした那須俊平・信吾父子等維新の志士が並びます。写真では奥になっていますが、懐手の龍馬が伊予国境(現在の愛媛県)を、そしてその先に見えるであろう広い海原を見つめています。

まるで幕末の舞台に踊り出て、共に夢に向かって走っているような臨場感。彼ら8人の新時代への夢と希望が私の心を震わせ、「志士脱藩の道」をさらに先へと誘います。

夢を追いかける感動をもらい、脱藩当時の様子が色濃く残る「御幸橋」を目指しました。

夢を繋いだ「御幸橋」

夢を繋いだ「御幸橋」

写真:Ise Shinkurou

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「維新の門」から歩いて15分程の場所にある「御幸橋」は三嶋神社の参道で、現在は美しい屋根付の木造橋となっています。幕末の時代に龍馬が澤村惣之丞と渡った橋はきっと簡単で粗末な板橋だったのでしょうか、まさに未来へと夢を繋ぐ橋です。

この橋を渡るとすぐ、脱藩の道の掲示があり、そこから山中へと入り込みます。龍馬の新時代への夢に思いを馳せながらしばらく散策を楽しみました。

脱藩の道は街中にも多く残っていますが、この静かな山道は幕末当時の雰囲気が色濃く残り、歴史を感じる事のできる特にお勧めの場所です。
この後、龍馬達は韮が峠(にらがとうげ)を越え伊予の国へと脱藩を果たします。

こうして夢を追いかけた8人の志士は、明治維新を知ることなく自決・戦死をし、また暗殺されてしまいますが、彼らの夢と希望は永遠に私たちに感動を与えてくれます。

維新の志士を育んだ茶や谷の「茶堂」

維新の志士を育んだ茶や谷の「茶堂」

写真:Ise Shinkurou

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韮ヶ峠(にらがとうげ)へ向かう脱藩の道沿いに、この地域特有の「茶堂」という茅葺屋根の建物があります。

藩政時代から残るこの建物は、道行く人々を茶菓でもてなすためまたそこに住む人々の交流の場として建てられました。内部には石仏や木造の仏などが祭られ往時の雰囲気をかもし出しています。

現在梼原町には13棟の「茶堂」が保存され、今もなお実際に地域の交流の場として使用されている建物もあります。

ちょうどその時小雨が降ってきたので雨宿りをしました。心が癒される素敵な建物で、龍馬たちもここに座り夢を語り合ったのでしょう。平成に生きている自分を忘れそうな時間が流れます。
皆さんも是非入って癒しのひと時をお過ごし下さい。

龍馬が翔けた道をたどる旅はいかがでしたか?「脱藩の道」は峠越えの後愛媛県側にも多く残りますので、ゆっくり散策を楽しみながら激動の時代にタイムスリップする旅もおもしろいのではないでしょうか。

夢を追いかける旅になりますように・・・By Shinkurou

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掲載内容は執筆時点のものです。 2012/05/01 訪問

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