国宝指定!「松江城」と城下町で江戸時代にタイムトラベル

国宝指定!「松江城」と城下町で江戸時代にタイムトラベル

更新日:2015/11/04 16:55

2015年に国内5例目の国宝天守となった島根県「松江城」。松江城と言うとどうしてもその国宝天守が注目されがちですが、複雑に積み上げられた巨大石垣に広大な水堀、そして今も武家屋敷が残る城下町と、天守以外にも実に多数の必見スポットがあります。そんな名城「松江城」で、江戸時代にタイムトラベルしてみませんか。

松江市民の長年の熱意と努力で国宝になった松江城

松江市民の長年の熱意と努力で国宝になった松江城
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松江城は今から約400年前、慶長十六年(1611年)に、信長・秀吉・家康の天下人三代に仕えた名将・堀尾吉晴によって築かれました。

その後松江城は幕末まで残りますが、明治新政府により廃城令が出されると、他のお城同様、松江城も建物が次々と取り壊されてしまいます。最後に天守が残り、これも取り壊されそうになった矢先、城を守ろうと地元の有志が大金で買い戻し、以後松江城天守は松江のシンボルとして保存の道を歩むこととなりました。

戦前までは「国宝」だった松江城天守は、戦後の法律改正によって「重要文化財」となります。これは価値が下がったわけではなく、現在の重要文化財に相当するものが戦前の法律では国宝という呼称だったのです。しかし松江の人たちは松江城天守を再び「国宝」にしようと立ち上がります。

長年に渡る松江市民の熱意と行動の結果、平成24年(2012年)になんと松江城天守の築城時期を記載した木札が発見されました。さらに調査の結果それが松江城天守の地下の柱に打ち付けられていたものと判明し、それが決め手となって平成27年(2015年)7月、重要文化財の中でも特に価値の高いものとして「国宝」に指定されました。現存天守が国宝に指定されたのは、姫路城・松本城・彦根城・犬山城に続いて5例目で、実に63年ぶりのことです。

天守は外観も中身は質実剛健、特殊な柱に注目

天守は外観も中身は質実剛健、特殊な柱に注目
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山陰地方で唯一、天守が現存している松江城。見所は天守だけではない、と言いましたが、やはり松江城に来たならば天守を見ないわけにはいきません。

天守は展示物と眺望を楽しむだけの場所ではなく、天守そのものが最大の展示物として捉えると、いろいろ興味深く見ることが出来ます。

天守の外観は二層の建物を90度ずつずらしながら三つ積み上げた形になっていて、更に入口にもう1つ小さな櫓をつけた「複合式望楼型」と呼ばれるタイプです。彦根城や犬山城の天守と同じスタイルですが、それらほど派手さはなく、黒い外観と合わせて優雅さの中にも質実剛健な雰囲気が感じられます。

内装は外観以上に質実剛健で、特に天守内では柱の周囲に板を貼り付けて鉄の輪などで固定した「包板(つつみいた)」と呼ばれる細工が多数見られます。不良材や細い木などもそのまま板を貼って柱として活用していった、そんな堀尾吉晴の質実剛健さが分かります。特に天守4階の大階段の間は太い包板柱と高い天井が圧倒的な迫力の、天守内で最大の見所です。

城内最大の技巧派石垣、水ノ手門跡は必見

城内最大の技巧派石垣、水ノ手門跡は必見
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城内には数多くの門跡、櫓跡、そしてそれらを構成する巨大な石垣が残ります。そんな松江城内の最大の必見ポイントは、なんといっても「水ノ手門跡」です。

天守の北東に位置する水ノ手門跡は、巨大な石垣の壁を複雑に配置し、道を何度も曲げて、さながら巨大な迷路のような門です。これは敵が攻めてきた時に、天守のすぐ裏手にあたる水ノ手門が簡単に突破されないよう、このような複雑な形で造られたものです。もちろん当時は、幾つかの堅固な櫓門が石垣の間の道を塞いでいました。

また、堀尾吉晴の頃の古絵図には水ノ手門は一直線の道として描かれていました。しかしその100年後の図では、現在見られるような複雑な形になっています。このことから、水ノ手門は江戸中期頃に大幅に改築されたことが分かります。実はその改築の痕跡は現場でも見られます。添付写真の向かって右上の石垣に石垣が一部縦に並んでいる場所があり、それが江戸中期の石垣の積み変え跡だと言われています。

実際に水ノ手門跡を通りながら、もし石垣の上に守備隊がズラッと並んでいて、こちらに火縄銃を向けていたら、果たしてここを突破できるだろうか・・・と攻める側の気持ちになって松江城の堅固さをぜひ味わってみてください。

武家屋敷や文豪小泉八雲邸が残る、江戸情緒たっぷりの松江城下町

武家屋敷や文豪小泉八雲邸が残る、江戸情緒たっぷりの松江城下町
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城を出てもまだ見所は続きます。
城の北側には城下町の雰囲気が色濃く残る一角があります。

ここには実際に江戸時代の武家屋敷が主に2軒、残されています。1軒は松江藩中級家老が実際に住んでいた「武家屋敷」、もう1つは旧武家屋敷を明治時代に文豪・小泉八雲が借りて住んだという「小泉八雲旧居」です。武家屋敷は外からの見学のみですが、八雲旧居は中に入ることも出来ます。ぜひ中に入って、座敷に座り、八雲が日々眺めていたという庭園を眺めてみましょう。

また、近くに店を構える出雲そばの名店「八雲庵」は、松江藩の剣術指南役だった大石源内の屋敷跡です。名物「鴨なんばん」を頂きながら、当時の松江城下町に思いを馳せてみましょう。

タモリも興奮した松江城のお堀めぐり

タモリも興奮した松江城のお堀めぐり
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人気テレビ番組『ブラタモリ』で松江城のお堀めぐりが放送され、低い橋の下を潜るときに屋根が下がるギミックのある遊覧船が話題になりました。

それはそれで面白いのですが、やはりお堀めぐりといえば、地上からでは見づらい・見えない隠れた江戸時代の痕跡を、異なる視点から間近で見られる貴重な体験が一番のポイントでしょう。松江城のお堀は埋められることなくそのまま残っており、遊覧船はお堀とそれに繋がる川を通りながら、松江城の周りを一周します。松江城を知り尽くした船頭さんの名調子に耳を傾けながら、川沿いや橋の下に残る当時の石垣を見て、当時の城下町の様子を想像するのも楽しいものです。

また冬場は船にこたつを載せて、みんなで暖まりながら遊覧できるステキなサービスがあるとのことです。松江に来たら、どんな季節でも、お堀めぐりは外せません。

おわりに。

今から約400年前に築城された松江城は、国宝天守だけでなくお堀やその周りの城下町にも江戸時代の雰囲気がよく残っていて、見所満載です。

今回紹介した見所ポイント以外にも、築城を指揮する姿の「堀尾吉晴像」や、大阪冬の陣で敵方の真田幸村(信繁)にその勇敢さを褒められ、後に松江城主となった徳川家康の孫「松平直政騎馬像」、大手門からも見える復元された櫓群、明治天皇行幸のために建てられた洋風迎賓館「興雲閣」など、見所はたくさんあります。

国宝指定で一躍人気となった松江城。天守だけでなく、松江の城下町そのものを、1日かけてまるっと楽しんでみませんか。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/09/07 訪問

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