鎌倉の妙本寺のある辺りの谷は比企谷(ひきがやつ)と呼ばれ、かつて源頼朝の重臣・比企能員らの屋敷がありました。
比企能員(ひきよしかず)の娘は鎌倉幕府二代将軍・源頼家の側室となり嫡子を生む等、勢力を拡大しますが、それに危機感を抱いた頼朝の妻・北条政子の父親である北条時政の策謀により比企一族は滅ぼされています。
その後、生き延びた能員の末子・能本が、日蓮聖人に帰依して一族の屋敷跡に法華堂を建立し日蓮に寄進したのが妙本寺の始まりであると言われています。
妙本寺は池上本門寺とともに日蓮宗の本山とされています。
妙本寺の総門を抜け、石段を登ると、弁柄塗りの「二天門」があります。
門は天保11年(1840)に建立されたと言われ様々な彫刻が施されています。特に中央の龍の彫刻は見事です。
一般的な寺院にある仁王門とは異なり、仏教を守護する帝釈天に仕える四天王の内、持国天と多聞天を安置してあることから二天門といいます。
祖師堂は日蓮宗の開祖である日蓮聖人を祀るお堂です。現在の祖師堂は天保年間、約170年前に建立されたもので、鎌倉では最大規模の大きさを誇るお堂です。
この祖師堂のあたりが、比企能員の養母・比企の尼が住まわれた場所だそうです。比企の尼は鎌倉幕府初代将軍源頼朝の乳母であり、頼朝が幕府を開くと、武蔵(現在の埼玉県)から招き、ここに住まわせます。頼朝の正室北条政子が懐妊すると、頼朝は政子を尼の許に送り、ここで二代将軍頼家が生まれたと伝えられています。
鎌倉の妙本寺境内には様々な史跡があります。
本妙寺の祖師堂に向かって右手に比企能員一族を供養する五輪塔があります。
また、五輪塔の脇にある石塔の一つには「本行院日学聖人」と刻まれていますが。日学聖人は比企能員の末子、比企能本の事であり、日蓮聖人に帰依し、この地を寄進しています。
その他にも比企一族のお墓や関係者の供養塔があり、鎌倉時代の好きな方はぜひ訪れていただきたいです。
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