宇宙人まで出現!?聖徳太子とかかわりを持つ兵庫県・斑鳩寺

宇宙人まで出現!?聖徳太子とかかわりを持つ兵庫県・斑鳩寺

更新日:2015/10/24 11:41

乾口 達司のプロフィール写真 乾口 達司 著述業/日本近代文学会・昭和文学会・日本文学協会会員
「斑鳩」という地名から、いったい何を連想しますか?歴史に詳しい方ならば、聖徳太子ゆかりの法隆寺のある街(奈良県斑鳩町)を連想することでしょう。しかし、兵庫県にも同じく「斑鳩」の名を持つお寺があること、ご存知ですか?しかも、その寺があるのは「太子町」なのです。今回は聖徳太子や法隆寺とゆかりが深い上に宇宙人を思わせる人物像なども有する兵庫県の古刹・斑鳩寺をご紹介しましょう。

法隆寺とゆかりのある斑鳩寺

法隆寺とゆかりのある斑鳩寺

写真:乾口 達司

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法隆寺のある奈良県斑鳩町と同じ読みであることからもわかるように、斑鳩寺(いかるがでら)は法隆寺を建立した聖徳太子と深いかかわりを持っています。創建は飛鳥時代のこと。推古天皇14年(606)、聖徳太子は勝鬘經や法華経の講義をおこないました。それを喜んだ推古天皇は、太子に対して、水田百町を与えます。その地こそ当地であり、太子はここを「鵤莊」(いかるがのしょう)と名付けられ、伽藍を建立しました。これが斑鳩寺の起源です。寺伝によると、聖徳太子自身、当地を訪れたとのこと。その真偽のほどは置いたとしても、斑鳩寺が法隆寺や聖徳太子とかかわりのある寺であることは間違いありません。

創建当時の寺領は広大でしたが、天文10年(1541)、出雲国の盟主・尼子氏の播磨侵攻の際に堂宇が焼失。現在の建物の多くはその後に再建されたものです。写真は弘治2年(1556)に再建された講堂。内陣には大きな釈迦如来・薬師如来・如意輪観音の三尊がまつられており、毎年、聖徳太子の命日に当たる2月22日と23日にご開帳されます。

法隆寺の夢殿?等身大の聖徳太子立像を安置した八角形の聖徳殿

法隆寺の夢殿?等身大の聖徳太子立像を安置した八角形の聖徳殿

写真:乾口 達司

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写真は聖徳殿と呼ばれている建物。大正5年(1916)年に建立されました。ご覧のとおり、八角形の建物で法隆寺の夢殿を彷彿とさせます。内陣には16歳のときの姿を模したという等身大の聖徳太子立像が安置されていますが、この聖徳太子立像、何と本物に似せて髪の毛が植えつけられている上、着物まで着せられているのです。着物は、代々、皇族から寄進されたものを着せ替えることになっており、現在のものは、昭和37年(1962)、高松宮から寄進されたものです。その姿はきわめて珍しいものゆえ、斑鳩寺を参拝した折には、ぜひ、拝観してみて下さい。

国指定の重要文化財に登録されている三重塔

国指定の重要文化財に登録されている三重塔

写真:乾口 達司

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国の重要文化財に指定されている三重塔の再建は、永禄8年(1565)。当時、西播磨一帯をおさめていた龍野城主・赤松政秀らの寄進によったものです。再建された建物のうち、当時のまま残るのはこの三重塔だけ。まさしく斑鳩寺のシンボルといっても過言ではないでしょう。

宇宙人!?三重塔に見られる謎の人物像

宇宙人!?三重塔に見られる謎の人物像

写真:乾口 達司

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三重塔の木組をじっくり観察してみましょう。初層の北西側の軒下にはご覧のような装飾が刻まれていますが、注目していただきたいのは、人間らしきものが彫り込まれていること。この頭でっかちの人物、右手が異様に長いと思いませんか?ひょっとして宇宙人!?真相は謎ですが、このような奇妙な造形まで見られることもあわせてご紹介しておきましょう。

ちなみに、寺宝には「聖徳太子の地球儀」と呼ばれる謎のオーパーツらしきものも残されています。聖徳太子信仰と宇宙人とは、果たしてかかわりがあるのでしょうか!?

仏像をはじめとする寺宝の数々が展示された宝物館

仏像をはじめとする寺宝の数々が展示された宝物館

写真:乾口 達司

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本堂の裏手には、ご覧のような宝物館も設置されています。館内には国の重要文化財に指定されている日光・月光菩薩立像をはじめとする仏像や絵図、上で紹介した「聖徳太子の地球儀」などの貴重な寺宝が多数展示・保管されています。普段は閉館していますが、お寺の方に声をかけると案内していただけるので、ぜひ、拝観しましょう。

おわりに

斑鳩寺の歴史、ご理解いただけたでしょうか。聖徳太子や法隆寺に関心を持つ歴史好きの方には特にお勧めのお寺。ぜひ、もう一つの法隆寺に足を運んでみてください。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/09/27 訪問

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