意外や意外、奈良市きっての繁華街・三条通界隈の新発見伝!

意外や意外、奈良市きっての繁華街・三条通界隈の新発見伝!

更新日:2015/10/30 14:42

近鉄奈良駅から大阪へ続く国道369号線と春日大社一の鳥居、興福寺からJR奈良駅を結ぶ三条通の東西の大道に挟まれた街区は、奈良町の風情、奈良の名産品、グルメの数々が楽しめる奈良市でも有数の繁華街です。
そんな観光地の喧騒の中にあって、静謐の時が流れるとりわけ重要な史蹟とお洒落スポットを紹介しましょう。

三条通のブラックホール・開化天皇陵

三条通のブラックホール・開化天皇陵
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近鉄奈良駅から続く東向商店街を南へ下り切ったところが、奈良市内最高の賑わいを見せる三条通です。この通りを東の興福寺、南の奈良町へと向かわずに、西のJR奈良駅方面へ少し歩いたところにひらける広大な空間が第9代開化天皇陵です。

正式名称は春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのうえのみささぎ)と呼ばれ、初期王権にとってとても重要な地位を占める天皇なのです。
なぜなら、神話時代の神武天皇から第8代の孝元天皇までの陵墓が、畝傍山麓から葛城山麓一帯にかけて広がるのに対し、歴史時代の初代天皇とされる次代の崇神天皇の陵墓が三輪山麓に移っていることから、政治の中枢が畝傍葛城から春日山山麓の当地に移り、三輪王朝の成立を準備したとされるからです。

この地は、琵琶湖周辺から春日の地一帯に勢力を伸ばしていた和爾氏(わにし)の支配するところ。彼らの力を借りて、初期の天皇家はその勢力の基盤づくりに励んだと思われます。

今辻子町の町屋ギャラリーとカフェ

今辻子町の町屋ギャラリーとカフェ
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開化天皇陵の一筋西の南北の通りに面した界隈が、今辻子町(いまづしちょう)。
その通りを少し北へ上り、質屋さんの脇の路地を入ったところに町屋を改造して建てた「Gallery OUT OF PLACE」があります。

東京と奈良という我が国の新旧2つの帝都を結び、アートの未来を築く若い作家たちを真剣に育てている本格ギャラリーです。開廊日は週の後半の木・金・土・日・祝のみですが、このおしゃれなスペースで催されるアート展は、現代アートの熱気にあふれたものばかり。
探し当てるのに一苦労な路地裏のギャラリーですが、現代の桃源郷の趣きすらある素晴らしい場所です。

絵本とコーヒーのパビリオン

絵本とコーヒーのパビリオン
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そのギャラリーの奥隣には、自家焙煎のコーヒーと手作りケーキで有名な「パビリオン・カフェ」があります。
出版畑出身の奥様と、コーヒーに魅せられたご主人のこだわりの味が自慢のほのぼのとした空間はまさに隠れ家的雰囲気が漂います。
現代を突き抜けて近未来を暗示するすごいパワーをもったアートに圧倒された後は、静かに世界各国の絵本を手にとり、オール手作りのカフェで普段着の奈良を楽しむのも一興です。

ギャラリーとカフェが並ぶこの不思議な路地は、まったく別々の世界からここに来合わせて、善きお隣近所の関係を築いてきたらしく、この界隈の隠れたお宝スポットとして名物となりつつあります。

お饅頭の神様の漢国神社とさえくさ祭で有名な率川神社

お饅頭の神様の漢国神社とさえくさ祭で有名な率川神社
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近鉄奈良駅の西、高天(たかま)交差点を南北に走るにぎやかな通りは「やすらぎの道」と呼ばれていますが、この通りにも二つのお宝スポットがひそかに息づいています。
その一つが奈良ビブレの向かいにある漢国神社(かんごうじんじゃ)。
創建は推古朝にさかのぼるといわれる古社ですが、平安後期よりは春日大社の末社となりましたが、社の名称からもこの辺りには渡来民が早くから居住していたことがうかがわれ、古代最大の豪族・蘇我氏にゆかりのある神社とされています。

この神社がお饅頭の神様とされたのは、歴応年間(1338〜42)に中国の元から亡命してきて薯蕷(しょよ)まんじゅう(蒸し菓子の皮のふっくらしたもの)をもたらした林浄因(りんじょういん)を祀る「林神社」があることによっています。
彼は、ここで肉饅頭の中身を餡にして製造販売し好評を博した和菓子づくりの始祖にあたる人物で、没後神様に昇格いたしました。

また、本子守町バス停の西側にある三枝祭(さえくさまつり)で有名な率川神社(いざかわじんじゃ)の社殿は、右に玉櫛姫命(たまぐしひめのみこと)、左に狭井大神(さいのおおかみ)の両親を脇侍として、その子神の五十鈴姫を中央に置き守っていることから、子守明神の名で愛されてきました。

三枝祭は、神武天皇が三輪山の山すそを流れる狭井川のほとりでササユリを摘んでいた五十鈴姫命(いすずひめのみこと)と出会って恋に落ちた故事に由来するものと言われ、疫病払いの祭とされてきました。

しかし、大神神社の摂社とされるこの神社が、今日まで続く天皇家の礎を築いた古代の要衝の地・春日と呼ばれた当地の重要性を問わず語りに物語っていること。
そんな思いをもって毎年の6月17日に催される三枝祭に出向けば、奈良大和というものの歴史認識がより深まります。

ちなみにさえくさは幸草(さきくさ)。無病息災の長寿のシンボルである三つに枝分かれしたそれぞれの枝に、更に三つずつの枝をかかげる瑞兆としてのきのこの霊芝(れいし)を意味します。

寺瓦に菊水紋を配した浄教寺

寺瓦に菊水紋を配した浄教寺
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やすらぎの道と開化天皇陵の間の三条通に面した、ソテツ寺として有名な浄教寺。
浄土真宗本願寺派属し、16世紀に河内国から当地に移ったといわれ、現在の境内地は、慶長8(1603)年に徳川幕府から寺地として認められたものです。

ここの寺瓦が菊水紋であることはご存知でしたか?。
それは、この寺の第六世・円誓(えんせい)の時代に、楠木正季(くすのきまさすえ)の子息の正忠(まさただ)が初陣の際に深手を負い、円誓の養子となってこの寺で出家したことから、南朝の後醍醐天皇(光明院帝)の勅願寺となって、それ以来寺紋を「菊水」としたといわれています。

各所に動植物・渦・雲等の彫刻を施し均整のとれた山門が三条通を足早に歩く人々の目には留まっても、なかなか蘇鉄やしだれ桜で有名な境内にまでは足を運ぶことはまれです。

お買い物のひまにぜひ一度訪ねてほしい穴場です。

最後に

奈良市は、古代より現代まで連綿と人々の営みが繰り広げられて来た歴史ある街並みが広がっています。
時には、お買い物気分でガイドブック抜きのぶらり散歩をはじめてほしいものです。
心にひっかかるものに出会ったらためらうことなく入って行って、思いがけない発見を楽しみましょう、そんな期待に十分に応えてくれる場所こそが、古都の名に値するものであることに想いを致しましょう。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/09/21 訪問

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