地下鉄神保町駅A9出口からすぐの学士会館から始めましょう。漱石が17歳(1884年)のときに、当時この場所にあった大学予備門(後の第一高等学校)に入学します。今で言う東京大学教養学部ですね。
この時期に漱石は生涯の友人となる俳人・正岡子規と出会います。上の写真は学士会館のブロンズ製モニュメント「野球発祥の地」ですが、Baseballという英語を「野球」と翻訳したのは子規だったといいます。よく見るとボールが地球儀になっていますね。これはアメリカ合衆国と日本を縫い目で結び「野球の国際化」を表しているのだそうです。
現在の建物は関東大震災後の1928年に建てられたもので、学士会以外にもホテル・レストラン・結婚式場など一般のお客様に使用されています。「相棒」や「半沢直樹」のロケに使用されたことでも有名ですね。
次は学士会館から北上して白山通りと靖国通りの交差点まで歩きます。徒歩2〜3分でしょうか。靖国通り沿いに古書店が軒を並べているのが見えます。これが日本一、世界一とも言われる神田神保町古本屋街です。
ところで、古書店の多くが靖国通りの南側にあることにお気づきでしょうか。これは、南側つまり北向きに店を出すことによって、書物を直射日光から守るためなのです。
古書店にはそれぞれ得意分野というものがあり、明治期日本文学を得意とする書店を覗くと漱石の初版本や直筆草稿や書簡などの資料を見ることもできますよ。もちろん、かなりのお値段になっても構わなければ購入も可能です。
いくつか古書店をご紹介しましょう。
●中野書店古書部
平安時代の教典や書物から、近代文学の初版本にいたるまで「古くて貴重な本」が豊富に揃う店。
●玉英堂書店
2階の「稀覯本(きこうぼん)コーナー」が有名。錚々たる顔ぶれの初版本や直筆の草稿も多く、まるで「明治文学の博物館」。
●八木書店
作品はもちろんその作家を学ぶうえで欠かせない資料も充実している。また直筆原稿や書簡などのコレクションも豊富。
古書店を覗きながら靖国通りを東へ進むと駿河台下交差点というのがあります。かつて路面電車の停車場があった場所で、「門」では主人公「宗助」がここで乗り換えて丸の内へ通勤していたことが書かれています。「門」の記述を見ると当時の神田は銀座よりも賑やかだったというのがうなづけます。
作品に登場する場所
● 「坊っちゃん」 坊ちゃんが小川町(古本屋街から東に5分ほど)に下宿
● 「こゝろ」 先生の散歩コース 「猿楽町から神保町の通り」
● 「門」 宗助が駿河台下停車場で乗り換えて丸の内へ通勤
駿河台下交差点からマクドナルドの脇を少し行くと、御茶の水小学校があります。当時は錦華学校があり、漱石が転入してきて1年間だけ通い、飛び級(成績優秀の場合2学年あるいは3学年を一度に進級すること)で中学に進学してしまったという小学校です。今は道路際に「錦華に学ぶ」碑があるだけですが、靖国通りから少し北へ入るだけでもう住宅街です。繁華街/大学/住宅が背中合わせに佇む情緒ある街ですね。
お茶の水小学校の隣の大きなビルは明治大学で、ロンドンから帰った漱石が一時教鞭をとっていたことがあります。
お茶の水駅近くまで行ってみましょう。どの通りでもよいですが東へ向かって3-400mすすむと本郷通りという大通りに出ます。本郷通りをお茶の水駅方向に左折してしばらくすると左側に異彩を放つ大聖堂が見えます。今も信徒が集まる現役の大聖堂、ニコライ堂です。
「それから」の代助がニコライの復活を語る場面を引用します。
正教会の厳かな光景が目に見えるようです。
「代助は面白そうに、二三日前自分の観に行った、ニコライの復活祭の話をした。
御祭が夜の十二時を相図に、世の中の寐鎮まる頃を見計って始る。参詣人が長い廊下を廻って本堂へ帰って来ると、何時の間にか幾千本の蝋燭が一度に点いている。法衣を来た坊主が行列して向うを通るときに、黒い影が、無地の壁へ非常に大きく映る。」
(夏目漱石「それから」の一節)
さてニコライ堂のすぐ隣、本郷通り沿いに目を向けてみましょう。井上眼科という立派な建物が簡単にみつかります。ニコライ堂の隣の目医者で女性に一目惚れ?漱石24歳のときのことです。妻・夏目鏡子の「漱石の思い出」から引用しましょう。
「トラホームをやんでいて、毎日のように駿河台の井上眼科にかよっていたそうです。すると始終そこの待合で落ちあう美しい若い女の方がありました。背のすらっとした細面の美しい女で、そういうふうの女が好きだとはいつも口癖に申しておりました。<略>そんなことからあの女ならもらってもいいと、こう思いつめて独りぎめをしていたものと見えます。」
(夏目鏡子「漱石の思い出」の一節)
では、漱石にまつわる散歩のエンディングに洋食屋さんを一軒ご紹介します。
天皇の料理番を務めたこともあるという初代店主堀口岩吉が漱石のために作ったのが「洋風かきあげ」。東京帝国大学が招いたフォン・ケーベル博士の専属料理人だった店主が、「漱石のために何か変わったものを」と頼まれて考案しました。カリッとあがった中身はいろいろな野菜・ぶた肉などで、ボリュームありますよ。詳しくは店内の額をみてください!何と「洋風かきあげの作り方」が貼ってあります。
「うちもそうですが、このあたりは関東大震災後の建物が多いんですよ。第二次世界大戦では、ニコライ堂があったおかげで空襲を免れたのじゃないかと言われています。」と話してくださったご主人。大きな建物が少なかった当時、駿河台にそびえるニコライ堂はどんなにか立派だったことでしょう。曾祖父が起こした老舗を父から子へと守りつづけてゆくということが大事。そんな思いに浸れる、質素なたたずまいのお店です。
東京には漱石にまつわる場所が多数あります。その中でも神保町・御茶ノ水は古書店街もあり漱石ファンには是非とも訪れてみたい散歩道ではないでしょうか。文庫本を片手に歩いてみませんか?
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索