写真:万葉 りえ
地図を見る建仁寺があるのは、祇園の花見小路のつきあたり。比叡山で天台密教をおさめた後に、28歳と47歳で二度も宋へ渡って学んだ栄西禅師が開山しました。宋では茶礼など茶の喫茶儀礼も修行し、帰国後に日本初の禅寺を福岡で開きます。その後60歳を過ぎた1202(建仁2)年にこの寺を建立。75歳で亡くなるまでこの寺で過ごしたのです。
三門ごしに法堂(はっとう)を望む風景をご覧いただいていますが、有名画家たちが障壁画を描いた大きな方丈はこの法堂のさらに奥。また、庭を挟んで秀吉ゆかりの茶室やいくつもの塔頭があるという広い建仁寺。ここは、いつ来てもおおらかな空気に包まれています。
作者や正式な名前は知らなくても、この寺が所蔵する絵画はきっとどこかで目にしているはずです。襖(ふすま)数枚にわたって描かれた巨大な龍をはじめとして、重要文化財や国宝級の絵画を建仁寺はたくさん所蔵しています。なぜなら、栄西禅師が持ち帰った教えは仏教界で新しく大きな風となり、当時の人気の絵師たちがこぞって障壁画を描いたのです。
写真:万葉 りえ
地図を見る日本美術史の中でも大きくとり上げられる「風神雷神図屏風」。
俵屋宗達(たわらやそうたつ)が描いたこの絵は「琳派(りんぱ)」の象徴ともいわれていて、受付を過ぎると真っ先に人々を出迎えてくれます。近くで鑑賞できるのでしっかりと見ていってください。
作者の俵屋宗達の生涯については詳しいことがわかっていないのですが、町の絵師として扇面などに絵を描いていたようです。やがて本阿弥光悦とコラボ作品を作るなどだんだんと名を挙げ、京都を代表する寺院の襖絵なども手掛けるようになっていきました。茶会を開いたという記録が残っているところからすると、裕福な町人だったようです。
この宗達さん、これまでの流れにとらわれない方だったようで、作品はオリジナリティにあふれています。「風神雷神図屏風」にしても、それまでは六曲が一般的だった屏風の形を、二曲一双(二曲の屏風を二つ合わせて一組とする)に変えただけでなく、ずっと脇役でしかなかった風神さんと雷神さんを堂々の主役に抜擢!
この絵が後の時代に、尾形光琳に衝撃を与え、酒井抱一へも模写されて琳派を代表する絵画になるなんて、宗達さんもビックリでしょうね。
しかし、「国宝級の絵画を撮影してもいいのか…?」と思われたのではないでしょうか。建仁寺では巨大な天井画も含めて、襖絵なども、その絵画があるべき場所で鑑賞できるだけでなくすべて撮影OKなんです。
方丈の奥へ入っていくと待っているのが、展覧会が開かれるほどの人気となっている海北友松の「雲龍図」です。国宝級の絵画は博物館や美術館で見るというのが普通ですが、建仁寺では襖絵は襖絵として、広い庭に面して開け放たれた場所で桃山時代と変わらぬ様子のまま見ることができます。
そんなことが可能となったのは、栄西禅師の入寂から800年の記念事業の一つとして重要文化財などの絵画が高精細デジタル複製されたからこそ。紫外線や埃などの劣化を心配することなく、現代でも同じように落ちついた和の空間で絵と対峙することができるのです。
そんな襖絵がはめ込まれた建物、方丈の前に広がるのが、「大雄苑(だいおうえん)」と称される枯山水の庭。白砂の向こうに岩と緑が作りだす世界は多くの人を大河や大海原を見ている心地にさせてくれるようで、日本人だけでなく海外からいらした方もこの庭の前だとゆっくりと過ごしてしまうようです
写真:万葉 りえ
地図を見るでは、長い廊下をはさんだ先にある法堂へと進んでみましょう。
1765年に建立された堂々たる大きさの建仁寺の法堂。中に入ると厳かな気持ちが湧き上がってくることでしょう。
こちらで特に注目していただきたいのが天井に描かれた龍の図です。ふつうは1匹を描くことが多いのですが、建仁寺の法堂(はっとう)では二匹。口を開いたものと閉じたものと「阿吽(あうん)」の龍になっています。
この龍は平成に入ってから小泉淳作氏が描いたのですが、昔からここに住んでいたかのように法堂の建物に溶け込んでいます。法堂が大きいので見上げても龍の大きさがぴんとこないかもしれませんが、描かれているのは畳108枚分もの広さなのです。この大きさなので、制作には北海道の廃校になった小学校の体育館が使用されたそう。
龍は「水をつかさどる神」といわれています。この寺を、そして人々を、まるで天から見守っているようですね。
写真:万葉 りえ
地図を見る次は方丈の奥にある緑に包まれた空間へ行ってみましょうか。木立の間をたどっていくと竹垣の門が迎え入れてくれます。美しい苔が広がる先にあるのが、豊臣秀吉が北野大茶会を催した折に利休の高弟が担当した席で使われたといわれている茶室「東陽坊」です。
にぎやかな祇園の花見小路がすぐ傍とは思えないほど静かなこの辺り。まるで当時の客人がたどったように、門をくぐれば茶室へと誘われます。
ご覧いただいているのは茶室のにじり口になります。にじり口とは、千利休が考えた、客が茶室への出入りする処のこと。こんな小さな入り口ですから刀などを持ち込むことはマナー違反でした。誰もが頭を下げ、身分や肩書を外へ置いて中へと入っていくのです。
北野大茶会の折には有名武将が何人もこのにじり口から茶室へ入ったことでしょう。当時どんな会話が交わされたのでしょうね。
浴室そばの枝垂れ桜から咲き始めると、ほかの桜も咲きだして華やかな景色も楽しめる春の建仁寺。
そして、秋になれば三門の周りがたくさんの紅葉に包まれます。
方丈の奥にある四方正面の禅庭「潮音庭」にも、モミジが植えられています。見る方向によって違う面が見えてくるこの庭は、禅の教えとつながっているのかもしれません。新緑も美しいのですが、秋は苔の上に色づいた紅葉が映え華やかな一面も見せてくれます。
そして「潮音庭」では、庭越しで「風神雷神図」も。
塔頭の一つである300坪の庭園や茶室で有名な「両足院」は通常公開はしていませんが、特別公開時期が設けられます。そして開運・勝利祈願として有名な「摩利支尊天堂」の秘仏は、10月20日の大祭でお会いすることができます。
また、東山方向すぐに北政所・ねねの寺として知られている高台寺があるのですが、こちらは1624年に建仁寺の三江和尚を開山としてむかえてから高台寺と称するようになったという、建仁寺と縁のある寺。高台寺蒔絵など日本の技術工芸も有名なので、一緒に周られてはいかがでしょう(下記MEMO参照)。
建物と、庭と、日本美術をまとまって観賞でき、しかもおおらかな空気で人々を包んでくれる建仁寺。京都の中心である四条河原町からも歩ける距離なので、旅の予定に加えてほしい名寺です。
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(2024/4/27更新)
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