神宮を語るうえで避けて通れない経緯が、2003年に破産宣告を受けたことです。前代未聞、日本初の出来事であり、その詳細は大きく報道されました。しかし、この事件がなければ現在の「東のお伊勢さん」は存在しません。
そもそも明治時代、貿易の街として急速に発展し始めた横浜は、キリスト教を背景とした欧米文化の広がりが顕著でした。国家は古来の神社信仰を横浜の地に確立することが精神的支柱に成り得ると考え、その必要性を唱えました。
街の総鎮守が破産したことは住民はもとより、行政も事態を重く受け止め、再建に向けて各方面への交渉が始まりました。そこで名前が挙がったのが「伊勢神宮」でだったのです。本来ならば伊勢神宮から部材を譲り受ける「下げ渡し」が常識ですが、皇大神宮側は「社殿をまるごと欲しい」と懇願しました。一旦は断られるものの、粘り強く交渉を続け、全国の神社の本宋(本家)である社殿完全移築が実現したのです。
本殿前に構えられた二本の柱の間に、しめ縄を張ったような門があります。実はこれ、現在の神社で多く見られる鳥居の原形なのです。注連柱(しめばしら)といい、社殿のある聖域との境界を区別するもので、その先は結界であることを意味します。
その注連柱の横には、境内の荘厳な雰囲気とは不釣合いなモダンな灯台型の常夜灯が建っています。伊勢の鎮守とは縁もなさそうなこの建築物。一体、何の目的で建てられたのでしょう?
この常夜灯、正式名称を「照四海」といい、1882年に初代が建てられました。名前には「港を見通す高台から世界の海を照らす」という意味が込められているそうです。高さ9メートル、コンクリートと木材でできており、大正時代まで夜になると小窓に灯りがともっていました。しかし、関東大震災で倒壊。長らく老朽化が進み、壊れていましたが、同神宮が2020年に鎮座150周年を迎えるにあたり、LED電球が取り入れられ、壊れていた屋根や本体も改修されました。
本殿を目指して石段を昇っていくと、黒光りした重厚な石碑があることに気がつきます。足を止めずにそのまま通り過ぎてしまう人も見受けられますが、よくよく石碑の文字を読んでみると「蒋介石」の文字が。なぜ、この伊勢山の地に彼の顕彰碑が建立されたのでしょうか。
蒋介石は明治20年、中国に生まれ、日本の旧陸軍学校で青年時代を過ごしました。辛亥革命後、中華民国の平定と確立に尽力し、やがて最高指導者に上り詰めます。太平洋戦争後、彼が憂慮したのは日本の行く末でした。日本の天皇制存続が危ぶまれると、アメリカ占領下のなか、国体の保持の立場を明確にします。その背景には明治天皇への崇敬の念が強かったと言われています。
天皇の先祖を奉仕する格式高い神宮の境内に、個人の顕彰碑が建立されているというのは珍しいことです。蒋介石生誕100年を記念して建てられた碑には、中国と密接な関係にあった「横浜」という土地が深く関わっている事を伺わせます。
神宮内を散策していると、立派な社殿もさることながら、覆いかぶさってくるような圧倒的な樹木の迫力に魅了されます。そこに立っているだけで、精神が研ぎ澄まされ、カラダの内なる活力がみなぎってくるようです。
また、伊勢山皇大神宮は桜の名所としても知られており、春の訪れと共にソメイヨシノが境内の随所で咲き誇ります。拝殿の横の枝垂れ桜は小ぶりですが、まるで花々がせめぎ合うように隙間なく密に咲き、ボリューム感のある贅沢な見栄えです。その他にも境内には杵築宮、子之大神の隣に巨大なクスノキの木がそびえ立っています。クスノキには魔除けの効果があるそうです。
かつては、横浜港に入ってくる船舶からこの伊勢山の常夜灯や鳥居や樹木が視界に入ってきたそうです。まさに横浜の総鎮守の風格を物語る逸話です。
大神神社磐座(おおみわじんじゃいわくら)。よほど神社仏閣に詳しい人でなければこの漢字を一発で読める人はいないでしょう。社はなく、祀られているのは岩だけ。しかしこの岩は、奈良県の三輪神社から分霊された立派な神様なのです。
日本における神様は合祀、分霊され日本各地で繋がっています。八百の神の精神が日本人に根付いているのも納得です。ちなみに三輪山の磐座が三輪の地より出るのは日本の歴史上初めての出来事でした。それに伴い、初年例大祭として「鎮花祭」が東国(関東・東日本)において初めて斎行されました。2000年の時を経て三輪山の大物主大神と伊勢の天照皇大神が再び並祭されるというのも歴史の壮大さを実感させてくれます。
なお、「磐座」のお隣には「杵築宮」「子之大神」が鎮座しています。杵築宮は現在の出雲大社の起こりといわれる殿舎であり、子之大神はかつての野毛地区の鎮守でした。パワースポットしてはかなり「気」が良いと評判で、平日でも地元の住民の方や女性の観光客の姿が目立ちます。
背景にランドマークタワーを重ねあわせれば、時代の流れをひとつのフレームに収め、古代からの歴史の潮流のコントラストを堪能することができます。高台にあるので周辺を歩いているとずっとランドマークタワーのアタマだけが飛び出しています。神社に祀られている神様は当初、社殿を見下ろす高い建物ができるとは思ってもみなかったことでしょう。
神道では山・川・海、ありとあらゆるものに命があると考えます。それは自然と共に共生しようとする教えであり、皮肉にも自然環境の変化が著しい現在への警鐘にも聞こえます。
天照大御神が天孫降臨にあたり、稲の穂を与え、稲作により国土を納めれば天地ともに窮まりなしと告げられたのは、まさしく現代の持続可能な循環型機能を指しているといえます。環境や子孫の未来に危惧を感じている今こそ、日本人が持っていた古来の考えを新たに見直す時ではないでしょうか。
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