ポーランド・中世の香り漂う世界遺産の町トルンを散策しよう!

ポーランド・中世の香り漂う世界遺産の町トルンを散策しよう!

更新日:2015/10/13 11:11

菊池 模糊のプロフィール写真 菊池 模糊 旅ライター、旅ブロガー、写真家
ポーランド中北部に世界遺産に指定された素敵な町トルンがあります。石造りの古い街並みや美しい教会、そしてコペルニクス博物館やドイツ騎士団城跡など見所がいっぱいあります。
ハンザ同盟の交易都市として栄えたトルンの町を散策し、中世の雰囲気を満喫しましょう!

トルンの中世の街並みを歩く

トルンの中世の街並みを歩く

写真:菊池 模糊

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トルンは、古くからバルト海沿岸で採れる琥珀などを、内陸部にある首都のクラクフやワルシャワへ運ぶ中継地点でした。
ポーランドを広く南北に流れるヴィスワ川に面して、交易の拠点として発展し、ハンザ同盟をけん引する商都となりました。
また、地動説を唱えた偉大な天文学者コペルニクスの生誕地としても有名です。

現在は人口20万ほどの中程度の町ですが、中世の雰囲気を色濃く残していることから、その街並みは世界遺産に指定されており、興味深い観光スポットが沢山あります。
日本で言えば金沢や飛騨高山のような小京都といった雰囲気があります。また、世界遺産のトルン旧市街中心部は歩行者天国になっており気軽に街並み散策ができますので、ポーランド観光の白眉としてオススメします。

写真はトルンを代表する建物である旧市庁舎とコペルニクス像の前で記念撮影をするポーランドの人々です。国内からも多くの観光客を集めているようです。
1393年に建てられたこの旧市庁舎には、往時、商人たちの住居、織物取引のための織物会館、市議会、裁判所などがありました。この建物は北ヨーロッパ随一壮麗な市庁舎と言われています。

聖母マリア被昇天教会

聖母マリア被昇天教会

写真:菊池 模糊

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世界で最も信心深く敬謙なキリスト教徒の国と言われるポーランドには、とても教会が多く、宗教関係の像や十字架には花が絶えません。
トルンにも沢山の教会があります。その中でも歴史的に由緒があり必見なのが、聖ヨハネ大聖堂と聖母マリア被昇天教会です。

司教座のある聖ヨハネ大聖堂は重厚で荘厳な雰囲気がします。コペルニクスが洗礼を受けた洗礼盤や胸像などもあり興味深いですが、内部は撮影禁止です。

聖母マリア被昇天教会は、落ち着いた雰囲気の見事なゴシック様式の教会で、地上27mの高さの内部天井を持ち、圧倒されます。
写真をご覧ください。星模様の天井が遥か高みにあり、奥のステンドグラスも上品で押さえた美しさがあります。
聖母マリアを讃える教会だけにマリアの像や画が多いのですが、その中には黒いマリアもあります。また、アウシュビッツで囚人の代わりとなって餓死刑に行ったコルベ神父の肖像画もありますので、忘れずに見学しましょう。
この教会は、14世紀に聖フランシスコ会によって建てられたもので、まさに中世ポーランドを代表する美しい教会と言えるでしょう。

他にもトルンには、精霊教会やドミニカン修道院、聖カタリナ教会など数多くの教会がありますので、もし時間的に余裕があれば教会巡りを楽しんでください。

コペルニクス博物館

コペルニクス博物館

写真:菊池 模糊

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物事の見方が180度変わってしまう意味で使われる「コペルニクス的転回」の本家本元:地動説のコペルニクスの育った町がここトルンです。
コペルニクスは、1473年にトルンで生まれました。その生家は旧市街の一角にあり、現在はコペルニクス博物館として公開されています。写真はそのファサードです。

父親は銅を商う裕福な商人で、ドイツ騎士団をトルンから追い出した誇り高き市民でした。
それゆえ、生家のコペルニクス博物館では、中世ポーランドの典型的な商人の館の生活を見ることができます。
また、二階には書斎があり、コペルニクスいわれの品々が展示されています。
撮影も自由なので中世を実感させるレトロな洋館としても楽しめます。

コペルニクスは学業が非常に優秀だったので、首都のクラクフ大学に進学し、その後、イタリアに留学し博士号を取得しました。天文学者、カトリックの司祭やカノン、知事、長官、法学者、占星術師、医者として活躍しました。
主著 『天体の回転について』で地動説による星の軌道計算を行ない、後にケプラーやガリレオによってこの地動説が支持され、世界観の転換に大きく寄与したのです。

ドイツ騎士団城跡

ドイツ騎士団城跡

写真:菊池 模糊

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トルンは中世の街並みだけでなく、見所が多く、古い城跡もあります。それが、旧市街地の東側、ヴィスワ川沿いに残るドイツ騎士団城跡です。

ドイツ騎士団は13世紀頃からポーランド北部を制覇し、トルンに城塞を築きました。これは、キリスト教化の確固たる入植拠点とするのが目的でした。
やがて、ポーランドにキリスト教が広がり、トルンはバルト海から内陸地方への貿易を中継する商業の町として繁栄していきます。
そして、住民と騎士の対立が起こり、力をつけたトルン市民たちが蜂起し、騎士を都市から追放し、1454年に城は破壊されました。その城跡は壊された当時の状態で保存され、現在は公園として公開され観光スポットとなっています。
また城跡の一部は、幼稚園としても利用されています。

トルン名物ピエルニキを買って食べよう!

トルン名物ピエルニキを買って食べよう!

写真:菊池 模糊

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トルンの名物といえば、美味しいお菓子ピエルニキです。
ヨーロッパでは、古くから広く作られているジンジャーブレッドの一種です。トルンがその発祥の地とされており、特にピエルニキと言います。
ジンジャーブレッドといってもパンではなく、生姜をつかったクッキーに近い焼菓子です。
素朴な味ですが、蜂蜜の甘味と生姜のほのかな刺激が効いていて、とても美味しく人気があります。
トルンでは、一番の名物土産として、チョコレートコーティングされていたり、いろいろに工夫されていて、種類も豊富です。

写真は、トルンのピエルニキ専門店の商品展示風景です。
天井まで積み重ねられたピエルニキの数々は見ているだけでも楽しいものです。散策しながら食べるのも良いですが、日持ちもしますので、ポーランド土産としても、ぜひ買って帰りましょう。

まとめ

ヴィスワ川の水運で栄えたトルンは、現在でも中世の面影を残す世界遺産の町です。
特に市庁舎とその周辺の商人の館は、ゴシックやルネサンス様式で彩られ、とても美しい景観を見せており、多くの観光客で賑わいます。
また、いくつもの教会や、コペルニクス博物館、ドイツ騎士団城跡など、見るべきスポットもたくさんあります。
できれば、一日ゆっくりと散策を楽しんでください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2013/06/19 訪問

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