日本初!昭和生まれの国の重要文化財。富山に残る中島閘門操作室の内部を見学!!

日本初!昭和生まれの国の重要文化財。富山に残る中島閘門操作室の内部を見学!!

更新日:2013/06/13 14:37

富山市内にあり、日本でも珍しいパナマ運河方式の閘門を持つ中島閘門。運河をゆく船の航行のため、閘門の水位を調整していたのが操作室です。運河の衰退とともに、操作室も老朽の一途をたどっていましたが、1998年に国の重要文化財(近代化遺産)に指定され、2010年に創建当初の姿に復元されました。そんな貴重な歴史的遺産の内部を、見学してみました。

昭和の土木建築物では全国初の国の重要文化財

昭和の土木建築物では全国初の国の重要文化財
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富山駅北口にある環水公園と、富山港付近にある岩瀬カナル会館を結ぶ富岩運河。
その途中に中島閘門はあります。

中島閘門は日本でも珍しいパナマ運河方式を採用した閘門ですが、その心臓部とも言えるのが中島閘門操作室です。
操作室は、水位を調整して運河の船をスムーズに通行させる「閘門」をコントロールする場所のこと。
中島閘門本体とともにこの操作室も昭和9(1934)年に建設されました。
そして富山の水運に大きく貢献してきたのです。

しかし戦後になって、自動車社会になるに従い、富岩運河も衰退。
操作室も活躍の機会が激減し、荒れるに任せる状態になります。

しかし平成10(1998)年に操作室を含む中島閘門は国の重要文化財(近代化遺産)に指定されました。これは昭和の土木建造物としては全国初のことです。

その後、文化庁の助成と指導で平成20(2008)年から保存修理が始まります。
そして平成22(2010)年の8月、1934年創建当初の姿に復原されたのでした。

同時に、内部の見学もできるようになりました。
ただし、見学ができるのは運河クルーズの富岩水上ラインが運航される土日祝日のみ。

ということで、環水公園から運河クルーズ船sora(そら)に乗って、水路から中島閘門を訪問することにしました。

乗船しているガイドさんの説明を聞いてから、いよいよ操作室へと向かいます。

昭和初期のそのままの姿で復原

昭和初期のそのままの姿で復原

こちらが大理石パネルの操作盤。
創建当初のものがそのままの姿で残されています。
芝浦製作所(いまの東芝の前身)の製造です。

そして復原後の特徴の一つが、ガラス窓。
以前はアルミサッシでしたが、創建当時に忠実に木枠の窓ガラスになっています。

管理人の息吹が聞こえてきそうな施設

管理人の息吹が聞こえてきそうな施設

閘門の操作や治水のため、操作室には24時間体制で管理人が住み込んでいました。
こちらが管理人が使った浴室。
当時としては珍しい内風呂(建物の内に設けてある風呂)です。

便所は大小に分かれています。もちろん和式です。

台所には「たも」があります。
「たも」とは、木、竹、金属の枠に袋網をつけ、それに柄をつけた漁具のことです。

台所を出た外側には井戸の跡もあります。

当時の管理人の息づかいが聞こえてくるような気がしました。

管理人が起居した8畳間も公開

管理人が起居した8畳間も公開

管理人が寝泊りした和室です。8畳ひと間。
一人で住み込むには、充分な広さではないでしょうか。
床の間と押入れがついてます。
いまも誰かが暮らしているような雰囲気です。

この操作室、見学は無料というのがうれしいですね。
ただし、土日祝の10時から17時までの限定公開で
平日は内部に立ち入れないそうです。

運河クルーズやライトレールで昭和にタイムスリップ

運河クルーズやライトレールで昭和にタイムスリップ

この中島閘門および操作室ですが
周辺に駐車場がありません(やや離れた公園に駐車場有)。
私のように運河クルーズで訪れるか、
鉄道ファンなら富山ライトレールのポートラム「越中中島」駅からのアクセスがベターでしょう。

JR富山駅の北口にある「富山駅北」駅から5駅、10分で越中中島に着きます。
越中中島駅から中島閘門までは徒歩15分くらいです。

操作室を見学している間、
なんだか昭和の昔にタイムスリップした感覚にとらわれました。

日本初の昭和の近代化遺産で、
昭和へのタイムトラベルはいかがでしょうか。

掲載内容は執筆時点のものです。

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