クレオパトラの逸話も残る古代都市 世界遺産トルコ「ベルガマ」

クレオパトラの逸話も残る古代都市 世界遺産トルコ「ベルガマ」

更新日:2023/01/05 12:19

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ レトロ建築探訪家、地域の魅力伝え人
トルコのエーゲ海側「ベルガマ」には世界最古の医療施設アスクレピオンなど、見どころがたくさん。ここは最も美しいといわれていたペルガモン王国の王都で、紀元前4世紀から、芸術、そして科学の中心として繁栄を極めた文化都市です。
今でも丘の上には壮麗な古代王国の遺跡が残り、ヘレニズム時代を代表する遺跡として世界遺産にもなっているベルガマ。丘の上にあるアクロポリスを、伝えられた逸話とともにご紹介します。

海の向こうにギリシャをのぞむ地

海の向こうにギリシャをのぞむ地

写真:万葉 りえ

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ベルガマ(ペルガモン)があるのは、トルコのエーゲ海側です。ギリシャでは紀元前8世紀ごろからアテネやスパルタなどの都市国家(ポリス)ができはじめ、やがて海を隔てたトルコ側にも都市国家が造られていきました。

「アクロポリス」とは小高い丘に造られた神殿などがある地域のことで、ポリスのシンボルでした。ベルガマのアクロポリスは標高335mの丘の上に造られています。

この丘にあるアクロポリス遺跡やトラヤヌス神殿をはじめとする歴史的建造物が、街外にある紀元前4世紀に造られた総合医療施設跡「アスクレピオン」とともに2014年に世界遺産に登録されました。

この都市の繁栄がわかる 巨大な野外劇場

この都市の繁栄がわかる 巨大な野外劇場

写真:万葉 りえ

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この古代都市はアクロポリスがある上市と、中市、下市に広がっていて、現在上市まではロープウェイで上がることができるようになっています。ロープウェイに乗っている途中にも、残された遺跡がいくつもあるのがわかります。

この都市が繁栄したのは、アレキサンダー大王の遺産を手にしたフィレタイロスが紀元前4世紀にペルガモン王国(アッタロス朝)を築いてから。次の王、エウメネス1世の時代からは領土も拡大し、やがて芸術や科学の中心となる文化都市になっていきました。そして、エウメネス2世の頃に、アテネ神殿やゼウス祭壇が建設されます。

こちらの野外劇場跡は紀元前3世紀ごろ建造され、観客席の段数は80段もあります。収容人数はなんと一万人!この数からも都市がいかに繁栄していたかがわかります。
この劇場の傾斜はかなり急。近くで見学される場合は、足元に注意してください。

クレオパトラにぞっこんだったアントニウスのプレゼント

クレオパトラにぞっこんだったアントニウスのプレゼント

写真:万葉 りえ

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マケドニアのアレキサンダー大王がエジプト支配の中心都市として建設したのがアレクサンドリアでした。アレクサンドリアの図書館は、古代世界の学問の中心。しかし、かなり強引なやり方で、あちらこちらから貴重な書物を収集していたようです。

ベルガマのアテネ神殿跡の北側にも図書館がありました。当時最大と言われていたアレクサンドリア図書館をしのぐほどの大きさで、20万冊の蔵書があったといいます。ペルガモンの文化がいかに発展していたかがわかりますね。

当時の書物はパピルスを原料としていた「パピルス紙」で作られていました。学問の中心である地位を脅かす存在だと思われたのか、品不足もあってアレクサンドリアがパピルス紙の輸出を止めてしまいます。
そのため、パピルス紙の替わりに生産されるようになったのが「羊皮紙」。羊皮紙を英語で「parchment」と表すのもこういう由来があるからです。

クレオパトラにぞっこんだったアントニウスのプレゼント

写真:万葉 りえ

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繁栄していたペルガモン王国ですが、アッタロス3世の遺言により紀元前133年に領土を共和制ローマへ委譲します。

それから約100年の後、エジプト攻めの時に焼失させてしまったアレクサンドリア図書館の代わりに、ローマのアントニウスがこのペルガモン図書館をクレオパトラにプレゼントしたという話も残っています。

ローマ帝国が繁栄した時代のトラヤヌス神殿

ローマ帝国が繁栄した時代のトラヤヌス神殿

写真:万葉 りえ

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丘の頂上の位置に立つのが、ローマ帝国のトラヤヌス帝(在位98〜117)の時に建設が始まったトラヤヌス神殿です。

完成したのはハドリアヌス帝(在位117〜138)の時代だったので、この神殿には二人の皇帝の像を祀っていたそうです。当時、皇帝の神殿を建てるには皇帝の許可が必要だったそうで、それを許された都市にとっては名誉なことだったのでしょう。皇帝に対する“ゴマすり”の面も多分にあったのではないかと推測できます。

ハドリアヌス帝といえば、漫画、そして映画化された「テルマエロマエ」でも重要な人物。ここは、あの時代を含めて、紀元前4世紀から紀元後7世紀まで栄えた歴史を持っています。
コリント式の白い大理石の柱が立っていますが、基壇下の構造がかなり良い状態で残っています。

ヘレニズム時代を代表する遺跡の数々

ヘレニズム時代を代表する遺跡の数々

写真:万葉 りえ

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ギリシャの都市国家が神殿などを平地に造っていたら、後の時代になって農作地などに変わり、遺跡は残らなかったかもしれません。この高い丘の上に建てられたからこそ、残ったともいえるでしょう。

ベルガマ(ペルガモン)遺跡は神殿の数が多く、テルメル(豊穣の女神)神殿、ディオニソス(別名バッカス・酒の神)信仰の集会所などが中市にあり、別の野外劇場跡や、30kmほどかけて水をひいていた水道橋跡なども見下ろすことができます。

マケドニアのアレキサンダー大王が東方遠征を行って、古代オリエントとギリシャの文化が融合して生まれたヘレニズム文化。そのヘレニズム時代を代表する都市だったベルガマ。
現在はのどかな田舎町の雰囲気があるベルガマの、繁栄を極めたころの風を丘の上で感じてきてください。

ベルガマ遺跡の基本情報

住所:Hamzalısueleymaniye, 35700 Bergama/Izmir
定休日:なし
アクセス:ベルガマ観光案内書から車で15分

2023年1月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

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掲載内容は執筆時点のものです。

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